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犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

"Angel " このよろこびをくれたあなたへ

2016年03月11日 | おせわがかり日誌
DOUBLE "Angel "

3月に入り仕事がピーク。
週の後半ともなると、ちょっと疲れてきたので、癒しを求めてしまう。
若い頃、癒し系音楽の出版社にいて、音楽が仕事の対象になって以来、趣味から外れた。
何を聴いても仕事の材料になってしまい、楽しめなかった。
そんな時に、この曲がラジオから流れてきて、ふわ~っと不思議な気持ちになったのを覚えてる。




すうっと耳から入ると、血管に流れ込んで、体中をめぐり、
『心』に届き、内側からなにかじわじわと心地よい成分が分泌される。
それが『脳』に届くと、パラパラパラ、と、日めくりがもどっていき、
あのころに戻っていくんだわ、自分ごと。
わたしだけかもしれないけど、この曲にはそんな不思議なちからがある。




ちょうど、クリスマスだったのかな。
それからわーっと流行って、あちこちでかかっていたし、人気も実力もあったから、
多くの人の思い出の曲になってるんじゃないかと思うんだけど、私にとってもそう。
この曲と当時の自分に何か特別なことがあったわけじゃない、ないんだけど、この曲を聴くと、
あの頃に見た景色や雲のいろ、記憶の断片に絡みついて残っている温度、におい、空気、感覚のすべて、
チチチ、と燃える線香花火のように、蘇っては消えて、ぎゅーんと連れ戻される。
ものすごい腕力で。



これは懐かしさというんだろうか。ちがうのだろうか。
ちょっとさびしいような気がするのは、どんなに懐かしくても、
あのころの町や景色や時間にはもう、戻れないとわかっているからなんだろうか。
今の自分が、そのころに戻りたいと渇望してるわけではないと思うんだけどな。
ドライブしていて、通り過ぎて、もう行くことはない、けれど夢に見たり、
なんとなく思い出したり、懐かしくなってくる、そういうことなのかな。




犬にもそんな気持ちってあるんだろうか。
人間のように音楽を聴くことはないだろうけど、何かと何かが結びついて、
ああ、小さいころはおかあさんがお顔をなめてくれたなあ、だれかにこうして頭をなでてもらったなあ、
大きな広場をかけまわったなあ、あのときしか会わなかったけれど、仲良く遊んだ子がいたなあ、
あの子は元気かなあ、また会いたいなあ、とか。

オレコもこんもするけれど、眠りながら夢を見て、足を(走るように)動かしたり、
起きてるときには決して出さないような声というか音というか、小さく吠えているような、
誰かに話しかけているような、そんなふうに鳴くことがあって、そんなときはいつも、
会いたいけど会えない友達や、ひと、行きたいけど行けない場所に、
自由に行ったり、会ったり、遊んだり、そんな夢を見てるといいんだけどな、と願う。



2011年3月11日のことも、なんでもわりと簡単に忘れてしまうわたしにとっては珍しく、
あの瞬間から起こったことのすべてに近いくらいの容量の出来事を、明確に覚えている。
それからしばらく続いた不自由な暮らし、起きたこと、あの日を境に変わった自分自身。


あの日、1万8000人の人が、突然いなくなった。
ひとつの町が忽然と消えてしまうようなものだ。
そんなことがあって、5年がたち、そして今がある。

残ったひとも、いったひとも、お互いにとっての"Angel "なんじゃないか。
DOUBLE "Angel "を聴きながら、若いころにはかみしめることのなかったその歌詞に心を傾けながら、そんなふうに思った。


暗闇を過ぎれば
また新しい世界が待ってると

その温かい心を通して
この喜びをくれたあなたへ

たとえ別れが 来ても
変わらない 永遠にこの愛を捧ぐ

生まれ変わるとしても
また新しい未来のあなたを愛す



今日だけは、日常を忘れてわちょっとぼんやりしてもいい。
そういう時間が、あってもいい。