
おれこはミグノンさんにいたのはごく数日だった。
去年の8月15日に新宿歌舞伎町をさまよっていたところ、保護センターに保護された。
そうしてそこで2カ月ほどお世話になり(センターの方たちにはとても大切にかわいがられていたもよう)、
動物愛護団体であるミグノンさんにひきとられた。(2012年1月28日譲渡会の様子)
ミグノンさんの当時のツイッターによれば、ひきとられたオレコは、
かわいがられた保護センターでの生活がよほど心に馴染んだのだろう。
どよん、とした表情で、いやそうだったと記してある。
事実、真夏の暑い日に、歌舞伎町をさまよい続けて、ようやく保護された当時のおれこは、
捕獲された当時の写真によれば、スタッフの隣で満面「笑顔」だったのである。
赤いスカーフのようなものを首に巻いてもらっていて、以前の飼い主もかわいがっていた様子はうかがえた。
捨てられたのか、逃げてきたのか。
飼われていたころのことなのか、逃げるさなかのことなのか、人間から虐待されたようだ、と聞いている。
その後、6日間、ミグノンさんで仲間たちと一緒に生活し、我が家へやってきた。
我が家が一時預かりボランティアに登録したばかりの頃のことであった。

保護センターを経て、ミグノンさんでの生活がはじまったころ、おれこは一体どうしていたのだろう。
彼女の性格からすると、犬・人ともに、友好的ではあるのだが「一人が好き」なところもあるので、集団生活は苦痛だっただろう。
そんな中、心のよりどころとなったのは、共にすごした仲間のきたじろーくんだったようだ。
いま、おれこはお散歩エリアの中に、大好きなわんこが一頭だけいて、
その子がミグノンさんの「きたじろーくん」にそっくり。
ちょっとお年を召した柴犬だったので、わたしども家族の間では、失礼ながら「おじいちゃん」で通っている。
おれこはその「おじいちゃん」家の前で「くーんくーん」と鳴いて、その子のことを呼ぶ。
毎度毎度呼ぶ。たま~に会えるけど、ほとんど会えない。
だから散歩中はちょっとしたストーカーのように、何度も何度もその「おじいちゃん」家の前を通る。
そのたびに、「くーんくーん」と切なそうに鳴いて彼を呼ぶ。
そろそろ行こうよ、と誘っても、いやいやをして、納得するまで、そこから動かない。

たまに運よくおじいちゃんが庭に出ているとき、会えるときは、
おじいちゃんもじっと、おれこのそばにいてくれる。
門を隔てた間柄。

おじいちゃん、おれこのことは好きみたい。
じっとおれこのほうに体を向けて、おとなしくしている。

そんな風になってからしばらくして、偶然、おじいちゃんの飼い主さんに話をうかがうことができた。
なんでもおじいちゃんはたいそうな「犬嫌い」なのだそうで、たいていの犬にはがうがうとはげしくほえるそう。
そういえば少し気難しいような顔をしている。「明治の男」みたいな感じである。

きたじろーくんを、哲学者風にしてみたかんじだ。

だけどおれこに対しては、ちっともそうじゃないので、飼い主さんとってもびっくりしてたんだった。
「あれえ、ほえないわねえ。女の子だからかしらねえ。不思議ねえ。めずらしいわねえ」
おれこはおじいちゃんが大好きで、おじいちゃんのおうちのまわりの「ふむふむ」はかなり熱心だ。
いつもの倍、念いりに鼻をくんくんつかい、犬たちの残した『お手紙』を読む。
おじいちゃんの『お手紙』を探しているのだな、と思うことにしている。
それにしてもおれこのほうは理由がわかるにしても、おじいちゃんはなぜおれこのことを受け入れてくれたんだろう。
もしかして本当にきたじろう君となにかつながっていたりして。
きょうだいとか、親とか。
おじいちゃんとか、おばあちゃんとか。
あ、おばあちゃんはないね。
動物の別れというのはなんと切ないものだろう。
お互いの飼い主次第で離ればなれになり、どこにいるのかもわからない。
電話もメールもできず、連絡をとりあうこともできない。
まさに一期一会の出会いである。
そう考えると、仲良くなったお友達や、その出会いは、とても大切なものだと感じる。

もしかして、どこかにきたじろう君のお手紙が落ちていたりしたら、そのときはわかるのかしら?
きたじろう君がおれこの近くのおうちにきてくれたら、そういう偶然もあるんだろうな。
もしかしたら、おれこの兄弟姉妹あるいは親たちが、偶然この近くにいて、お手紙を書いているかもしれない。
そう思うと、むげに、「いつまでもやってないの、さっさと行くよ」とは、いえないものである。
犬たちのお手紙は道におちている。

あ、めだかの水かえしなければ。
おれこの散歩もいかなければ。

おじいちゃん、待ってるかもしれないし。