みなさん、こんにちは!
最近、館の御近所のおばあさんがなくなりました。
心からお悔やみ申し上げます。
私の家も講中の一人なので、二日間ほど、葬儀のお手伝いに行きました。
お葬式のやり方も色々ありそうなので、館の廻りの昔からの方法を紹介します。
宮迫地区にはお葬式の講中(御近所の助け合い組織)が4講あります。
一つの講は大体、7~10家で構成されています。
ほとんどが、お隣同士ですが、中には少し離れた家も入っています。
葬儀の時には、当家(お葬式を出す家)から、当番さんの処へ連絡が入ります。
○月○日に○○が亡くなりましたので、よろしくお願いします。・・・
当番とは葬儀の度毎に順番で決まってきます。
そのお葬式を当家に替わって取り仕切る責任重大な役目です。
当家から連絡を受けた当番は講中のメンバーに召集をかけます。
集合場所は当家です。当家より葬儀の日と時間とお寺さんの希望を聞きます。
当家の意向を聞いて当番さんは、メンバーの役割分担を決めます。
重大な役目が帳場と炊事の責任者です。
帳場の責任者は、葬儀の会計の責任者でもあります。
炊事の責任者は人員の把握から、献立と器の決定等大変です。
最近はJAに葬儀を任せる家が多いので、講中の負担はだいぶ減ってきました。
以前は葬儀すべてを取り仕切っていたので、大変な行事でした。
この地区はほとんど、西本願寺安芸門徒なので、宗教の違いはありません。
最も、講中の起源は浄土真宗本願寺派の布教の手段だったらしいから仏式以外に
講中という言葉は存在しないはずです。
今回は当家がJAに葬儀を任せられたので、講中はお通夜の取り仕切り、食事と帳場
の管理が主な仕事となりました。
火葬は、現在は、ほとんど、お隣島根県の邑南町の施設で行います。以前はこの地区に
も3箇所ほど、火葬場があったのを、覚えていますが、今は跡形もありません。
お年寄りに、昔のお葬式のことを、たまに聞きますが、ほんとに大変だったらしいです。
最も、人間にとって、死ぬことほど、大事は無い訳ですから、当たり前のことなのかも
しれません。
みなさん、こんばんわ!
最近、娘達が、言う事をきかないので困っています。
今日は子供達の親に対する思いで、凄いお話があったので紹介します。
1992年6月、ブラジルのリオで開かれた国連の地球環境サミットで
カナダ人の12歳の少女が、世界各国のリーダーたちを前に
わずか6分間のスピーチをしました。
その言葉は、人々の強い感動を呼び、世界中をかけめぐり、いつしか
「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになっています。
今日はこの感動のスピーチをご紹介します。このスピーチを聞いて
私も涙が出ました。
少し長いので、
時間のあるときにゆっくりとお読みください。
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロで環境と開発に関する国連会議
(環境サミット)に集まった世界の指導者たちを前に、
12歳の少女、セヴァン・スズキは語り始めました。
こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、
自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、
私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、
株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、
死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。
オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。
空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、
たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、
もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、
そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、
私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるような
のんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに
何をしたらいいのかはっきりわかりません。
でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、
あなたは知らないでしょう
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、
あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所に
どうやって森をよみがえらせるのか
あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、
こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、
父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。
そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが
同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、
このことは変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、
ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私は恐い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。
私の国でのむだ使いはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、
南の国々と富を分かちあおうとはしません。
物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、
そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つ
めぐまれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。
もしそうなら、家のない子すべてに、
食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、
やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、
分かちあうことを考えているというのに、
すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、
私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。
どこに生れついたかによって、
こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、
インドでこじきをしてたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、
貧しさと環境問題を解決するために使えば
この地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけどこのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、
世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたがたは、
私たちにするなということをしているんですか。
なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、
どうか忘れないでください。
そしていったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。
あなたがたはこうした会議で、
私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」
といって子供たちをなぐさめるものです。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、
「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ
使うことができなくなっているようです。
おききしますが、私たち子どもの未来を
真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、
つまり、なにをいうかではなく、
なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。
しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、
私たちは泣いています。
あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、私はいわせてもらいたい。
もしそのことばが本当なら、
どうか、本当だということを行動でしめしてください。
みなさん、おはようございます。
最近のテレビはクイズ番組が多いと思いませんか?
その中でも気になるのが、おばかさんキャラの人達です。
上地君とか、つるの剛士さんとか・・・・
チンプンカンプンな回答がされるのをみて、視聴者はどう思うのでしょう?
半分の軽蔑と、ほっとした癒しも感じているのではないでしょうか。
えぇ~こんな、簡単な常識問題がわからないの?
誰でも知ってることなのに、信じられない・・・
といった感じでしょうか・・・・・・
いままでの、クイズ番組ではなかったことではないでしょうか。
豊富な知識のクイズ回答者の方に番組の主体はあったはずです。
でも、最近の チンプンカンプンな 彼らの回答は意外性と安堵感も・・・
確かに感じさせます。
時代は気づかない間に随分と変わってきています。
類まれな豊富な知識より、トンチンカンなキャラの方に
皆の興味は向いていってるのではないでしょうか!
短小軽薄さの中にある、ある安堵感とは何者なんでしょうね?