斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

会社の愚痴

2022年08月08日 | 日記

この記事は、とても心が狭い典型的な日本人が感じる多文化共生への思いです。

 

これは会社編。自分が働いてる会社は日本にあるただの日本企業であるが、5人に1人が外国人という激しい外国人率だ。それでも日本人はマジョリティである。マジョリティにも関わらず、マイノリティの外国人によって隅に追いやられている。

これが原因で辞める人が多数いる為、とても問題になっている。

 

会社の外国人は全てが東南アジア人。技能実習生と、外国人の日雇いが働いている。

 

その実態は、無法地帯

 

外国人の素行で

酷いのを挙げるとトイレの洗面台で足を洗うとか、

トイレの使い方が不適切らしく、「便座の上に乗ってかがんで用を足すな!便座が曲る!座って用を足せ!」との注意書きがある。多文化共生らしい。

彼らはコロナ禍でマスクをして来ない。喋るなと言っても大声で絶えず喋る。密になりたがる。など。

実習生は日本語が殆ど通じない。その為社員が注意しても彼らは何で怒られてるのか理解していない。そのくせ「やめて下さい」「〜をして下さい」「嫌です」などの自分の意思を表示する言葉は達者である。

社員がいくら指示しても、動かない。

実習生との関係を悪化させたくないパートアルバイトは、実習生の言う事を聞いてしまい、職場の重大事項などが徹底されず、事故が多発する。

実習生の勝手は手がつけられないのである。

言ってしまえば彼らの方が強いのである。

外国人にイニシアチブを握られている。

職場崩壊。

実習生は日本語が話せる事を条件に日本国に受け入れられるはずだが、彼らはもぐりなのか?

社員も甘いところがあって、実習生と徹底的に向き合うところまではせずになあなあに終わらせてる所が散見されるので、こんな愚痴は会社に言えと思うよな。一応通訳はいる。

言っていいか解らないけど、この会社は正真正銘の技能実習生なのか確認した上で雇用してるのか疑問である。

 

この会社では制服に着替える。女子ロッカールームでは大多数の日本人が隅に追いやられている。

社屋は狭く、一人がやっと通れる所が多数ある。ロッカールームも狭く、ロッカー前は一人しか通れない。たいして仲良くもない他人と、身体的に近づかれたくない日本人は密を嫌う。

外国人は他人と近過ぎる距離に嫌悪感がないのか?満員電車並の密で抵抗なく着替えが出来る為、ロッカー前を占領出来る。

ロッカー脇の通路に追い出されて着替えるのは日本人ばかりという奇妙な画が出来る。もちろん誰もすみませんとは言わず、自らそうしている。自分ももれなくそうしている。

 

そんな混んでない時は、外国人は日本人の着替えスペースを奪い、座ってのうのうと着替えをする。

 

多くの日本人従業員は「なんで私達が遠慮しないといけないんだろうね?」

との愚痴をこぼす。

 

この時点ですでに生存競争に負けている。

 

着替えに10分以上掛かった人は掲示板に名前が張り出されるが、名前はいつも全て日本人。

地獄だ。

 

休憩室も狭く、一人しか通れない道しかない。コロナ禍のせいで、両隣・前後、パーティションで区切られている。外国人、特にベトナム人同士の距離感は奇妙で、人がいても狭い所を無理矢理通ろうとする。互いにぶつかっても気にならないらしい。

日本人は一人しか通れない道が非常に苦手で、立ち止まっている人がいたりすると迂回するか、相手がどくまで、待っていないふりをしながら待つか、する。

「すみません通ります。」と声をかけて無理矢理通ったり、無言で無理矢理通る事に非常に抵抗がある。

これがまさに日本人......和の距離感。

日本語がカタコト出来る外国人は「すみません」と抵抗なく言って通る。

 

外国人のパーソナルスペースは特異だ。

電子レンジのある所も一人しか通れない。レンジが終わる迄、レンジ前でずっと待つのも外国人ばかりだ。他人の弁当に勝手に触れて外に出せるのも外国人。日本人は、誰だか解らない、他人が食べる物に手を触れる事に非常に抵抗がある。

 

日本人は気を使って、頭を使うので、電子レンジかけた時点でスマホにタイマーをかけ、時間丁度に飯を取りに行く。

 

そこまでして人に迷惑をかけないようにする。

 

人のいる所を無理矢理通れない時点で、時間的効率性面で外国人に負けている。

 

外国人の何が苦手か?それは距離感(パーソナルスペース)の違い。

 

この会社のように狭い空間に、パーソナルスペースの違う者同士を混ぜ込む。この条件ではパーソナルスペースが狭くても抵抗がない方が生存に適している。

 

パーソナルスペースとは、他人に近づかれると不快に感じる空間のことである。

一見文化共生と関係なく見えるが、民族や男女にも差があると言われる。

日本人は世界平均と比較するとパーソナルスペースが非常に広いと言われ、広ければ広いほど警戒心が強く、狭ければ警戒心が弱いと言われる。

 

この場合、家族、友人ではなく、他人とのパーソナルスペースを指す。

 

外国人(東南アジア人)はパーソナルスペースが日本人よりだいぶ狭いようで、日本人が不快に感じるエリアに入って来る事がある。時に不用意にぶつかってくる事がある。自分はこれが不快で堪えられない。物凄いストレス。

これを入社1ヶ月目ぐらいでやられた時には、因縁をつけられたか、新人だから馬鹿にされてんのかと思ったが、今考えれば、これは何も考えてなかったんだと分かった。

 

自分は特に日本人要素が強いので、赤の他人に不用意に近づかれる事がとても怖い。相手が日本人であっても同じ。無理矢理後ろを通られても非常に不快だ。

 

ここからは私観だが、日本人の「和の精神」はこの広大なパーソナルスペース(警戒範囲)に由来しているんだと思う。日本人が先代からインプットされた皮膚感覚。遺伝子に組み込まれてるというか。

茶道も、日本人の独特なパーソナルスペース由来ならではな気がする。

 

茶道とはおもてなしの精神と思ってる人が多いが、茶道とは間違いなく武道です。

戦国時代に出来たもので、「自分を敵から守る術」を叩き込む教育の一環。

「境界線を尊重しろ、さもなくば殺せ!」という千利休の言葉にあるように、茶会で暗殺される可能性が高く、畳の縁には刃が仕込んである可能性がある。部屋への入り方が特殊なのは、無謀に頭から入ると首を切り落とされる危険性がある。抹茶は苦いので毒を仕込み易い。だから結び方が変わっていたりすると、毒を仕込まれている可能性があるので注意しろという事で、流派によって道具を入れる紐の結び方が決まっていたりする。茶会は今でいう国連交渉人のような世界で生きる人たちの間で開かれたという。

千利休はまさに武人だ。

 

日本人は元来平和ボケではない。

 

日本人のコミュニケーションは、トラブル回避から始まっていると思う。トラブルが起こる事前提に人と関わる。

これでは「和」とは反対の方向性。「和」とは何だと考えさせられた。

日本人は他人のテリトリーを侵害することに非常に抵抗がある。

その代わり、相手の仕事を尊重する。

外国人に「気が利かない」と言われるが、それは日本人が人の仕事に手出しをして、お手伝いなどを闇雲にしない為である。相手の仕事を尊重している証拠である。

あとトラブル回避。意思の疎通が難しい相手の仕事を手伝って、トラブルになることを嫌う。この感覚は日本人独特だと思う。

外国人 : 日本人はプライド高く、気が利かない。

 

日本人 : 相手の責任を尊重し、トラブルを回避する。

 

私観だが、日本人と外国人はここまで「つもり」違い。

 

国によってそれぞれ違うだろうから、それぞれに対応していくのは難しいが、多文化共生は日本人側がそれに振り回されないように強くなる必要がある。特に上が外国人と真剣に向き合って、話し合い、部署同士が連携する必要がある。

個々に於いても自分の意思表示をはっきり出来るように鍛錬する必要がある。

 

東南アジア人をディスっているようだが、彼らと言葉が通じたら良い友達になれるような気がする。南国系の人は、ラフで気のいい奴ばかりだ。

 

外国人が悪いわけではない。悪いのはだらしない会社の対応。


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