●カネボウ防府工場の閉鎖作業に辛うじて間に合い、最後の工場長のご協力を得ることができた。
新子のともだち貴伊子の家は「埋立地の紡績工場の社宅」であるといいます。
リアルな住所でいうと「防府市鐘紡町」ということになります。鐘淵紡績は戦前・昭和10年頃からここに工場を築き、社宅、男女寄宿舎、マーケット、社員クラブ、銭湯、診療所など、自立した機能を持つほとんどひとつの町を作り上げていました。
この場所へは1月の最初のロケハンでも訪れました。ですが、何か様子が違います。我々が入手した昭和50年代のカラー航空写真では赤屋根の社宅家屋がずらっと並んでいるはずだったのですが、実際に訪ねてみると家々の屋根は黒っぽく、造作も新しい感じです。並びは同じですが、家屋そのものが建て替えられてしまっているようなのです。
3月上旬の二度目のロケハンでは、工場の事務所棟を訪ねてみました。
カネボウは防府工場を閉鎖し、土地を売却しようとしていました。我々が訪問したとき管理棟で仕事されていたのは、最後の工場長・村田太郎さんでした。
片付けられつつある荷物の中には、往時の隆盛を示す大版の工場全景航空写真が何枚もありました。やはり、社宅はかつては赤屋根だったようです。

村田さんは、突然の闖入者である我々に丁寧に受け答えして下さいました。
赤い屋根の社宅はたしかにずっと建っていたのだけれど、少し前の台風で損壊し、全棟建て替えられてしまっていたとのことでした。
村田工場長は台風以前の写真がしまってあったことを思い出し、わざわざ自宅の奥様に電話して雨の中を工場まで運んできていただいてしまいました。かたじけない写真を眺めさせていただくと、2005年には赤い屋根の家が立ち並ぶ姿がまだあったのでした。

村田さんのご厚意でそのほかにも工場内に保管されていたたくさんの写真を見せていただけ、その後訪れた市役所にもこの社宅出身の職員の方がおられ、貴重な資料を色々見せていただくことができました。
こうして、貴伊子の家は「鐘紡中住宅い-○」「C号住宅」であることが明らかになりました。戦前の建築なのです。

(これは戦時中の防空演習の写真。住宅外壁が白っぽく塗られているのがわかる)

(壁を白く塗りました)
現地にはまだ古く趣きある事務所棟や倶楽部ハウス棟が残っているはずです。昭和の遺産として永久保存されるとよいのになあ、と思います。