●その土地の過去をイメージするおもしろさ。ふたつの時代が二重写しに重なって見えてくる。
この2回目のロケハンには、考証協力の永沼幸仁さんにも同行してもらっています。
永沼さんはアニメーション業界とは縁もゆかりもない職業の方です。監督の飲み友達といいましょうか、日本の中世史に造詣深く、話をよく聞かされていました。
その永沼さんが拙宅を訪ねてきたのが2002年10月。
「あのさ、お宅の近所にさ、久米川古戦場跡ってあるでしょ」
我が家から目と鼻の先みたいなところです。
「ちょっとその辺、車で案内してもらえないかなあ」
永沼さんが調べている新田義貞が鎌倉攻めの途中、北条方と戦った戦跡です。自分がふだん何気なく通る近所の交差点が、西暦1333年5月には交通の要衝であり、3000の兵士たちがそこで敵を待ちうけ、命がけで守るべき軍事上の重要拠点だったのだ、と彼はいいます。
「当時の道はどこを走ってたんだろね」
地形を眺めてそれらしい道を選んでくねくねと車を走らせると、「勢揃橋」「誓詞橋」「白旗塚」と関係ありそうな地名が次々とその道の上に現れてきました。意外に見る目があったといいましょうか、その日、我々はたしかに地形を読むことだけで670年前の道を見つけていたのでした。
「おもしろい」
入間川から多摩川までのあいだを車で走り回りました。ふたつの川に挟まれた南北20キロほどの土地の「中世」。
神社ごとにいわれを読んで1333年に焼打ちにあった神社をいくつも見つける。道路地図と地形図を見比べる。江戸時代以降の新しい集落を頭の中で打ち消し、当時すでに存在していたはずの里だけにしてみる。地形の凹凸を読む。武蔵野と呼ばれていた植生を思い浮かべてみる。水がきわめて少ない土地で水場はどことどこにあったのか。道はどこに集まるのか。押さえるべき戦略的要地はどこか。などと。
7時間さまよった末、日暮れとともに帰宅した頃には、すべての風景が姿を変えていました。
ふたつの時代が二重写しに重なって見えるような気がします。
なんとも不思議におもしろい気分。
『マイマイ新子と千年の魔法』という映画にはいくつかの「はじまり」があるのですが、この日のワクワク感はまちがいなくそのひとつです。
今度は山口県防府の千年前の道を捜します。
写真は、防府市国衙5丁目の南部。千年前の海岸線が段差となって残っています。
おもしろい。