メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

節分前夜記念 方相氏でちょっとだけ悩んだ

2010年02月02日 19時57分30秒 | mai-mai-making
 仕事の帰りにスーパーへ買い物に寄ると、恵方巻きなどが並んでいて、そういえば明日は節分。追儺の鬼やらいのシーズンです。
 千年前の世界で書かれた『源氏物語』の『紅葉賀巻』では、若紫が遊び相手の犬君とともに雛の人形を使って鬼やらいごっこをしている描写があります。正確にいえば、鬼やらいごっこで大騒ぎした挙句に、雛人形の家を壊してしまったのを、若紫が修理しているさまです。そんな感じで諾子がやってることは、たいてい当時の書物にあることだったりします。わりとリアルなのです。
 
 鬼やらい、追儺の会(ついなのえ)はかつては宮中の行事でした。ここで登場するのは、四つの金色の目をもち、矛と盾を手にした方相氏(ほうそうし)です。方相氏は部下の舎人(とねり)たちとともに、災いの元凶である鬼を宮中から追い出す役目でした。方相氏は正義の味方のスーパーヒーローであったはずなのですが、ところが、いつの頃からか「方相氏とは鬼の名である」と思われるようになり、追儺で追われる鬼のほうが四つの目を持つように変わってゆきます。

 どっちなんだろうか。と、考証協力の永沼幸仁さんにも相談してみました。

「うーん、清少納言のころなら方相氏はもう鬼の役目に変わってると思いますよ」
「やっぱりそうかあ。・・・・・・しかしそれじゃつまらんなあ」

 それではせっかくの諾子の人形劇のキャラクターが足らない感じになってしまいます。
 ここは思い切って目をつぶって、諾子の中には、古式ゆかしく舎人を率いて鬼を追い払う四つ目の正義の味方がいることにしてしまいました。新子の中には水の上を走る緑のコジローが住んでいるのと同じように。





 ところで。
 『ブラックラグーン』原作の表紙などカラー画の彩色を担当しておられる、イラストレーターの山中虎鉄さんから、自筆の諾子の絵をいただいてしまったのですが、それがこれです。
      
 劇場版『Fate / stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』のキービジュアルを描いた方、といえばよろしいでしょうか。
 素晴らしい光の表現ですね。
 すばらしい。しかも絵葉書にできるサイズになってます。

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昭和30年4月の確かに見覚えがある風景 『ゴジラの逆襲』

2010年02月01日 00時02分00秒 | mai-mai-making
 映画『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台は、トップシーン(アバンタイトル)が昭和30年3月。メインタイトル後の映画前半は昭和30年4月後半です。青麦の背の高さだとかその辺の表現をまず決めて、逆接的にさかのぼってシナリオに反映させました。
 この前年、昭和29年は『七人の侍』『ゴジラ』が公開された年です。30年4月24日、すなわち映画の中で新子と貴伊子が運命的な出会いを遂げたまさにその頃、映画館のスクリーンには『ゴジラの逆襲』が公開されていました。・・・・・・というところまでは前に書きました。

 この1月30日、大阪九条のシネ・ヌーヴォの上映初日に行ってきました。
 新大阪から御堂筋線で本町、乗り換えて九条に至るわけなのですが、御堂筋線の淀屋橋駅は通るたびに、『ゴジラの逆襲』でゴジラの足がこの駅のカマボコ型の天井を踏み抜いてきたことを思い出させられます。
 子どもの頃、この映画を見て、はじめて自分の知っている場所が映画に現れるという体験をしたわけです。いや、まあ、大阪城だとかも『ガメラ対バルゴン』で見てましたか。ともあれ、こうした映画に登場する「自分が知っている場所」は、実写ではなく、特撮のミニチュアセットで再現されたものでした。確かに見覚えがある風景が、映画の中では怪獣たちに蹂躙されてゆく。
 そういえば、大学の同級生の友人は、九州出身のそのまた友人の家が『ラドン』の中で吹き飛ばされていた、なんていっていましたっけ。

 ものすごくリアルに舞台となる土地を描く。『マイマイ新子と千年の魔法』で行ったその技法の根本は、ひょっとしたら自分が子どもの頃に見ていた怪獣映画にあったのかもなあ。生まれ故郷である大阪へ行ってみて感じたのは、そんなことだったりしました。
 知ってる場所が作り物として映画の画面に登場する不思議さ、おもしろさ。
 やはり、この映画は自分自身の子ども時代の感覚に強く根ざしているようだったのでした。

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登場しなかった「千年前の少年」

2009年12月28日 08時59分56秒 | mai-mai-making
 清少納言・諾子の父である清原元輔は平安時代の中級官人です。
 その13歳年下に、陰陽師として有名な安倍晴明がいます。

 中級官人の家系に生まれた清原元輔が、長年にわたり歌人として貴族たちの宴の席を盛り上げたことを認められて、年老いてようやく周防守の地位を得たように、元輔よりもやや格下の家から出た安倍晴明は、陰陽道をよくすることで貴族に覚えられ、かなりの年齢になってからようやく位階を上ることができています。晴明を重用しはじめたのは、のちに築地塀の上になでしこの種を捲く花山天皇です。
 清原元輔も安倍晴明も学芸の道で出世しましたが、その出世はあまりにも遅く、70代になってからやっと従五位、正五位に上がるという感じでした。この位は、平安京では牛車を乗り回すことが公式には認められない下位のものでしかありません。

 千年前の場面に、まだ無名時代の安倍晴明(それでも50歳代になっています)を登場させられないかと考えたことがあります。
 天神様となった菅原道真の霊の機嫌が悪くなり、陰陽道で治めにやって来て、そこで諾子と近づきになっていたことにしよう、などと。

 清少納言が書いた『枕草子』の中では、陰陽師に仕えて「小わらべ」として働き、かつ修行する少年に対して親和的な目がたびたび注がれています。
 実は『アリーテ姫』でも、旅の途中に「塔を訪ねてこなかった3番目の騎士」である年若い少年と出会って、それぞれが抱く将来への希望を交換する場面を考えていたことがあります。
『マイマイ新子と千年の魔法』でも、諾子を安倍晴明に仕える少年と出会わせようなどとぼんやりと考えていたわけだったのでした。

 映画の終わりの方で、諾子は病人の家で「鬼やらい」を行います。
 この時代、「医療」などというものはなく、病に対しては陰陽道による祈祷がもっとも効果あるものと考えられていました。病気は鬼が原因なのであり、騒々しくお払いをして鬼を追い払うことこそ、最高の医療行為だったのです。
 諾子がそういうところに行き着く前の段階として、陰陽師の小わらべとの出会いを想定していました。諾子は彼から呪文のひとつも習っていたのかもしれません。
 ですが、新子と貴伊子の物語が深まるに連れ、千年前も女の子同士の世界とするほうがよいように思われてきて、省きました。

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千年前の防府を見せてくれるサイト

2009年12月22日 10時44分33秒 | mai-mai-making
 千年前の防府がどんな土地だったのか、眺めてみるのにうってつけなのは、防府市教育委員会文化財課が作ってるサイト「防府WEB歴史館」です。

 特に、「奈良平安時代」の周防国府のページは、『マイマイ新子と千年の魔法』の世界と直結しています。



『政庁推定地「二町域」』は、「ほら、ここに。ここは千年前、国の都でしたよ、って」の場所。


『宗常地区』には工房がありました。「千年前の鍛冶屋さんが、トンテンカン、トンテンカン」。


『船所・浜ノ宮地区』は、「ざっぷーん、ざっぷーん」の場所。


『築地地区』の柱穴は、諾子の館そのものです。

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オート三輪

2009年12月19日 15時39分16秒 | mai-mai-making
 今回は普通にメイキング。

 ラスト付近で出て来るオート三輪はマツダLBです。
『となりのトトロ』の同じような場面と見比べられることもあるようですが、あちらは戦時中、一式陸攻を作っていた三菱・水島製作所製じゃなかったかしら。こちらはメーカーから別物にしました。



 マツダのものは、ショート・ホイールベースのGBと、ロング・ホイールベースのLBがあって、『マイマイ新子と千年の魔法』で使ったのは、荷台が大きいLBの方です。



 真横から見るとわかりにくいのですが、運転席の左右には補助座席が付いていて、ふつうのトラックと同じように前に三人乗れるようになっています。画面にはまったく映ってませんが、運転手の右側には長子さんが乗っていたのかもしれませんね。


 ということで、この運転席周りの図は、実車(ただし後期仕様)の注油マニュアルの取説図です。
 せっかく取説まで買い込んだのに、この辺のアップ・ショットは作れなかったのが残念といえば、いささか残念。

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