メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

昭和30年4月の確かに見覚えがある風景 『ゴジラの逆襲』

2010年02月01日 00時02分00秒 | mai-mai-making
 映画『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台は、トップシーン(アバンタイトル)が昭和30年3月。メインタイトル後の映画前半は昭和30年4月後半です。青麦の背の高さだとかその辺の表現をまず決めて、逆接的にさかのぼってシナリオに反映させました。
 この前年、昭和29年は『七人の侍』『ゴジラ』が公開された年です。30年4月24日、すなわち映画の中で新子と貴伊子が運命的な出会いを遂げたまさにその頃、映画館のスクリーンには『ゴジラの逆襲』が公開されていました。・・・・・・というところまでは前に書きました。

 この1月30日、大阪九条のシネ・ヌーヴォの上映初日に行ってきました。
 新大阪から御堂筋線で本町、乗り換えて九条に至るわけなのですが、御堂筋線の淀屋橋駅は通るたびに、『ゴジラの逆襲』でゴジラの足がこの駅のカマボコ型の天井を踏み抜いてきたことを思い出させられます。
 子どもの頃、この映画を見て、はじめて自分の知っている場所が映画に現れるという体験をしたわけです。いや、まあ、大阪城だとかも『ガメラ対バルゴン』で見てましたか。ともあれ、こうした映画に登場する「自分が知っている場所」は、実写ではなく、特撮のミニチュアセットで再現されたものでした。確かに見覚えがある風景が、映画の中では怪獣たちに蹂躙されてゆく。
 そういえば、大学の同級生の友人は、九州出身のそのまた友人の家が『ラドン』の中で吹き飛ばされていた、なんていっていましたっけ。

 ものすごくリアルに舞台となる土地を描く。『マイマイ新子と千年の魔法』で行ったその技法の根本は、ひょっとしたら自分が子どもの頃に見ていた怪獣映画にあったのかもなあ。生まれ故郷である大阪へ行ってみて感じたのは、そんなことだったりしました。
 知ってる場所が作り物として映画の画面に登場する不思議さ、おもしろさ。
 やはり、この映画は自分自身の子ども時代の感覚に強く根ざしているようだったのでした。
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