関東学院小学校 オリブの若木

関東学院小学校オリブの会のブログです。「あなたの子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようである。」(詩編 128:3)

オリブの若木52号(会報)発行

2008-03-26 08:37:58 | Weblog
2008年3月17日にオリブの若木52号が発行されました。

最初のページは、清水校長先生の「有用感」という文章です。「有用感」を持っているとは「自分が必要とされる、自分がそこにいる意味がある。」ということです。他人の「有用感」を奪うことは許されることではないこと、「有用感」は社会生活の基本を学ぼうとする小学生にとって欠かせない感覚である、と書かれておられます。

次のページは、「たんぽぽの会」木下会長と「父母の会」星会長の挨拶文です。

・第52回卒業生「わたし達の好きな言葉」
 ・・・先日卒業した卒業生の好きな言葉を紹介しています。

・関東学院小学校での思い出
  ・・・清水校長(六浦小学校卒)、滝沢先生(20回)、徐先生(24回)、市川先生(32回)の小学校時代の思い出がつづられています。

・各学年の授業参観の様子

・第7回オリブ祭の写真

・各学年の社会科見学の様子

・下校時パトロールの様子

・秋の屋外なかよし会の写真

・1・2・3・4年生の学習発表会の写真

・父母の会文化活動の紹介
 ・・・聖書をひもとく集い・みもれ会・花の会エクレシア・おやじの会コヘレト

・父母の会委員会からの報告
 ・・・オリブ祭アトラクション委員会・オリブ祭飲食物販売委員会・事業委員会・広報委員会

・ピアニカ・算数セットの献品のお礼
 ・・・ピアニカ41台・算数セット68個をタイの大里先生・ルワンダの佐々木先生を通じて現地の子供たちの教育に役立てていただきたいと思います。

・退任役員の挨拶
 ・・・福田副会長・板井会計・峰会計監査・菖蒲谷書記がご退任されます。お疲れ様でした。今後ともお見守りください。

・中学校合格状況

無事発行されましたことを感謝いたします。
次号は新年度「教職員紹介号」となります。

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父母の会全体会

2008-03-24 20:15:07 | Weblog
3月22日(土)に終業式が行われ、その後「父母の会全体会」が行われました。ご退任される清水校長から退任の挨拶と、名取新校長・石塚新教頭が発表されました。

父母会の星会長から、清水先生への感謝の言葉と、関東学院小学校らしさを引き継いでいただきたい旨、挨拶させていただきました。また「花の会エクレシア」(父母会サークル)作成のお花を清水校長に贈らせていただきました。

会の終了後、校長室に生徒や保護者が次々と集まりお別れの挨拶をし、また清水校長と一緒に写真を撮るなどして、とても名残惜しい雰囲気でした。ご退任されてからも、行事などの際には学校に顔を出していただきたいと思います。

4月1日には新校長の就任式が行われます。父母の会も新校長をバックアップして、より良い学校になるよう努力して行きたいと思います。

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関東学院小学校 卒業式

2008-03-16 17:45:11 | Weblog
明日は関東学院小学校の卒業式が行われます。52回生の紫帽子の児童が巣立っていきます。毎年壇上から子供たちの顔を見ておりますが、皆とても良い顔をしています。生き生きとした顔、緊張した顔、恥ずかしそうな顔・・・。

卒業式後は「たんぽぽの会」による「たんぽぽの会(OB会)入会式」が行われ、晴れて関東学院小学校のOBとなります。たんぽぽの会の言葉の意味は、たんぽぽの綿毛のように巣立って各方面で花を咲かせて欲しいという意味です。

今は感じなくても何年かすると、関東学院小学校を卒業したことを誇りに思い、親に感謝する日が来ると思います。それは結婚して子供ができ、子供が小学校入学前に感じるかもしれません。その時はぜひ関東学院小学校に戻ってきてもらいたいと思います。そして父母の会やその他の場で関東学院小学校のためにご奉仕していただきたいと思います。

明日の卒業式とその後の6年生を送る会が素晴しい式になりますようお祈りいたします。

【卒業式報告】
3月17日 関東学院小学校の卒業式が礼拝堂において無事行われました。賛美歌の中とても感動的な式でした。その後みなとみらいにて、卒業生を祝福する会が行われました。卒業委員のお母様方が一年かけて準備をされただけあって、卒業生の劇や先生の手品の披露などとても楽しい会でした。

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清水校長先生ご退任

2008-03-08 21:47:04 | Weblog
本年度を最後に清水元校長が定年の為ご退任されます。清水校長は関東学院小学校を心から愛されていました。また関東学院小学校の歴史を知る数少ない方のお一人でもあります。昨年行われた55周年の記念礼拝では歴代教職員、父母の会役員・たんぽぽの会役員等々の「関東学院小学校応援団」が集まりました。清水校長が若い先生たちに歴史と伝統を引き継いでいらっしゃるように感じました。来年は56年目の新たなスタートとなります。父母の会も協力してより良い学校になるよう努力して参りたいと思います。

関東学院 学院資料室 ニューズレター№.8 2006.06 に清水校長先生の文章がありましたので、ご紹介いたします。


関東学院小学校の歩み
関東学院小学校校長 清水元

1.三春台分教室開設

1949(昭和24)年、戦災によって六浦の新キャンパスに移転した関東学院中学校及び、そこで発足した新制高校が三春台校地に復帰しました。それに伴い、三春台校地にも小学校を設立し、キリスト教に基づく小・中・高校の一貫教育を行おうと、1952(昭和27)年4月、現在の地に関東学院小学校三春台分教室が開設されました。

小学校校長は坂田祐学院長が兼務。主事として中学校美術科教諭水船六洲が任命され、分教室の開設、運営の一切を直接担当することになりました。当初、学校規模は、1学年1クラスとし、1クラスの定員を36名と定め、施設の関係で、初年度は1・2年生のみを公募し1年生36名、2年生22名で始められました。分教室開設初めの入学式は4月5日、当時の高等学校小講堂で、1・2年生の全児童58名と、学院長坂田祐、中高校長清水武、同副校長山本太郎、同若崎重富教諭、小学校主事水船六洲、友井栄子、鈴木英子、金子悦子の3教諭出席で執り行われました。

分教室の施設は、戦後急造された中学の木造普通教室2棟が当てられ、校庭は一部にまだ戦災で焼失した旧校舎の基礎コンクリート部分を残している1700㎡ばかりのものでした。しかし、彫刻家として広く名を為した水船主事自ら金槌・鋸を持ち、ペンキを塗り与えられた施設の改造に当たったのでした。運動場の周囲には木製の白い柵をめぐらし、次第に小学校として独特の雰囲気を形作っていきました。

教育内容についても、少数教育の利点を生かし一人一人を大切に、個性をゆたかに育むべく多彩な教育活動を行なったのです。毎朝行った礼拝。夏休みに一週間校庭で開いた「緑の学校」。全児童参加の絵画・工芸作品の総合的「展覧会」、児童全員の自由詩を編集した詩集「白い柵」。児童と保護者が一緒になって行うクリスマス礼拝と祝会等々、初年度に次々と特色ある教育活動を企画し実践していきまた。これらを可能にしたのは活動の全てに中学、高校からの惜しみない援助があったからです。礼拝は中高の校長、副校長をはじめ数名の教師が交代で受け持ち、体育、理科、聖書、美術、書道、英語等の教科も中高専科教師のバックアップで豊かな内容の教育が推進されました。最初の1年間の教育実践は日を経ずして認められるところとなり、翌1953(昭和28)年度の入学募集では、36名定員に対して135名もの応募があったのでした。この結果、72名を合格とし53年度の1年生についてのみ急遽2クラス編成としました。

2.小学校として独立

この年1953(昭和28)年3月六浦校地に置かれていた中・高校が独立し、関東学院六浦中学・高等学校となり、小学校も六浦小学校となったので三春台分教室は独立し『関東学院小学校』と称したのです。その後、毎年木造校舎を改築増築し、全校6学年生が揃うまで教室、講堂(礼拝堂)、特別教室の拡充を図っていきました。

さて、草創期の小学校にとって大きな力は中学高校の理解と協力でしたが、加えて保護者の信頼と絶大な協力がありました。日常の授業や次々と企画される特別行事一つ一つに、労力と資金を惜しみなく提供してくれた協力者『関東学院小学校父母の会』があって初めてできた事でした。このような外からの協力に対して、小学校内では『関東学院小学校子供の座研究会』が結成され、教育の問題を考える場が作られました。ここでは、教職員全員が視点を子供の座に置いて把え、日常の様々な問題を子供の立場から研究していこうとするものでした。各クラスの問題も全教職員の問題として受けとめ、学院の特別な小学校教育を確立する場を備えたのです。その後、小学校の教育活動は全てこの場を通して練り上げられたと言えるのです。「サーヴィス・グループ」(日直・係り)、「緑の勉強室」・「グリーン・チャンネル」(夏休みワーク帳)、「子供ライブラリー」(図書館)、「一斉テスト」(学力テスト)、「ぶどうの木子ども会」(クラブ)、「秋の屋外なかよし会」(運動会)、「緑の学校」(後の校外宿泊学校)、「夏・冬のはげみ会」(夏・冬期休暇の補習授業)等々、いずれも今日まで受け継がれている独自の教育活動です。

3.学校規模拡大から充実

1965(昭和40)年度より関東学院葉山小学校を吸収合併することになり、急遽木造校舎の一部を取り壊し、鉄筋コンクリート3階の校舎を建築しました。そして1学年2クラス制が整い、教職員の数も22名を超え今までのほぼ2倍となりました。このスタッフによって大規模拡大に伴う従来の軌道の修正と再組織化がはじめられることとなりました。「虹の会」・「鶴の会」・「桃の会」・「文化教室」の新企画によるこどもライブラリー活動の強化。「6年生算数のグループ別」指導。「葉山生活学校」(4・10月2回の宿泊学校)。低学年「らいふ」(現在の生活科に当たる)の新設と高学年社会・理科の強化。子供の座編集の「こどもさんびか」。従来の「私のはげみ」(教科成績の記録)と対になる「私の旗」(行動の記録)。その他数々の教育活動の新しい工夫全てが「子供の座研究会」の場で話し合われ実施されていきました。

教育環境を更に充実させるために残る木造校舎部の改築を計画しました。鉄筋コンクリート4層で特別教室・児童用脱靴室、通用口・ボイラー室等。これにより従来の教室棟と棟続きになり児童の教室移動も効率よくなったのです。1972(昭和47)年1月27日創立記念日に献堂式が行われました。小学校最後の木造建造物礼拝堂の老朽化が烈しくなったため、1980(昭和55)年運動場西端に1階に体育館、2階に礼拝堂を持つ鉄筋コンクリートを建てました。これにより、小学校は内も外も一応のかたちを整えたと言えるのです。1982(昭和57)年関東学院小学校創立30周年を、1992(平成4)年には創立40周年の記念式及び記念行事を実施しました。この間に、阪神淡路大震災が生じたことから、充分な耐震を考えて児童が多くの時を過ごす教室棟を改築しました。1998(平成10)年、地上4層12教室、それに特別教室を5室。各階にアルコープ、更に屋上にはプールを備え今まで以上に充実した施設となったのです。多くの先達による知恵と献身的なお働きによって小学校のいまが在ることを想います。歴代の校長、教職員は勿論のこと保護者、卒業生、学院法人、そして関東学院中学校高校等、関わり下さったみなさまに感謝の念を厚く致します。

資料・『関東学院百年史』923頁以下参照

関東学院小学校ホームページ

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関東学院中学校新館献堂式

2008-03-04 08:54:33 | Weblog
関東学院中学校の新館献堂式が2月27日(水)4時からグレセット礼拝堂にて行われました。聖書朗読のあと森島学院長による説教、内藤理事長による式辞、冨山校長による挨拶がありました。その後、設計監理をされた山下設計、施工をされた清水建設に感謝状が渡されました。

その後、新校舎にてレセプションが行われ、関東学院に関係のある方々が新校舎竣工を祝い集まりました。改めて関東学院を取り巻く人々の団結の強さを感じました。

関東学院小学校から毎年約40名の生徒が関東学院中学校に進学します。新校舎で学べることを感謝して、学生生活を有意義に過ごしてもらいたいと思います。

関東学院中学校高等学校ホームページ

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餅つき大会

2008-03-03 15:53:27 | Weblog
3月1日(土)関東学院小学校グラウンドに於きまして、第2回餅つき体験会が行われました。本年度の行事はことごとく雨に祟られておりましたが、最後の行事は快晴の天気のもと盛大に行われました。主催は「おやじの会コヘレト」ですが、父母の会、お料理サークル「みもれ会」が力を合わせ無事に開催されました。昨年度の反省を踏まえ、待ち時間も少なく、参加者は去年の約1.5倍の380名でした。学年ごとに臼を囲み、先生も交えてお餅を搗き、とても楽しい会でした。

メニューは納豆・みたらし・きな粉・大根おろしの他に、みもれ会の汁がとても好評でした。

また校長先生は関東学院高校の卒業式出席のため遅れていらっしゃいましたが、皆の楽しそうな顔を見てとても嬉しそうでした。


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