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活動の予定や報告、リレーコラム「真実の世界」など

『サリー初体験』

2006-03-29 | 真実の世界
ファッションの話に続いて、またファッションの話?まぁ、服の話。
3月27日~29日まで、箱根で行われたバプテスト同盟の全国女性会に参加してきました。青年会をやっているのに何で女性会?と思われるかもしれないけど。うちの教会は年齢に関わらず女性は全て女性会に所属していますので。たまたま仕事が休みになったのをいいことに、水俣の時と同じく夜勤明けの体を引きずって行って来ました。

いや~、、、信仰の先輩たちのパワーは凄いなと。
20代の参加は多分2人だけ?確認してないけど。もしかしたらまだいらっしゃったかもしれません。平均年齢は多分60歳を超えるような全国集会に飛び込んで、色んな話を聞き、学ぶ機会が与えられました。
講師の先生がキリスト教海外医療協力会のワーカーで、バングラデシュに10年間働いていた方でした。メッセージを話されるときに文化の紹介、ってことでサリーを着ていたんですね。それが綺麗で、着てみたいなぁとチャンスを伺っていました。

そして2日目!講師の先生の話を聞くワークショップでチャンス到来!
サリーの着方を実際に見せてくださった後、着たい人はいますか?と言われたので、思わず志願して着付けていただきました。
サリーはインド辺りの国々で女性がきている民族衣装。
長さ6m、幅1m20cmくらいの1枚の布だけでできています。本当にベロ~ンと長い布で、それをウエストに巻きつけたり背中にたらしたり。やってもらっていたのであんまりわからなかったんですが、ふと気がつくと体に巻かれて服のようになっている。ただウエストに巻きつけただけだと足が開き難かったりするんだろうけど、布が長い分折り返してプリーツ部分が作れるので意外と歩きやすかったりします。サリーの下にはサリーブラウスとペチコートを着るんだけど、私はジャージ・Tシャツとかなり略装で着させてもらいました。一本の帯も、ボタンも一切使わずに、ウエストとか布の端に織り込むだけで着付けてしまう服です。化繊の服だったので軽くてサラサラで、気持ちよかったです。
写真を自分でとっていなかったので、ここに紹介できないのが少し残念!!

日本に住んでて日本人でいても着物なんか滅多に着ない私にとって、他の国の服を着るのはなかなか刺激的。衣装から文化を知りたいなぁと思うのも、ありかなぁなんて思ってしまいます。ちなみにこのワークショップでバングラデシュの歌が紹介されて、思わずバングらの言葉を読めるようになったらカッコいいなぁとか思ってしまいました。どうやったら習得できるのか、さっぱりわかりませんが。英語とか、みんなが勉強している言語もいいけれど。誰もやらない言語を学んでみるのもいいなぁとか思いません?

夜勤明けで全然行く気がなかった女性会でしたけど、講師の先生に会えて話を出来た事は大収穫です。・・・人生ってどこにどんなチャンスが転がっているか本当にわからないなぁと思っています。

ファッション考

2006-03-24 | 真実の世界
久々に服を買いました。思えば、中学生の頃は友達と梅田や心斎橋をぶらぶらしながら服を見ることが多かったのに、最近は一人でかなりてきぱきと目的意識をもって買い物することが増えました。「あそこでパンツを買ったら、一時間後にはすそ直しできるから、そのあいだに隣のビルでグレーの長袖ニットを探そう」とか。だいたい買いたいものが決まっているので、それを売っていそうな店を頭の中のマップから検索します。そして店から店へ移動しながら、その動線上にあるお店でランチします。あらかじめ和食が良いのか軽くサンドイッチか、ワンプレートかも考えるのでもう頭はフル回転。休めない性分みたいです。でもそうやって、欲しかったものと、余計なもの少々を買い終えた後は達成感でいっぱいです。「わたし結構できるじゃん!明日からは、もっとがんばろう!」って。
 それこそ中学生の頃は何を見ても「かわいい!着てみたい!」と思っていたのですが、最近はわりと好みが決まってきて服を探すのが大変です。同じグレーのニットでも七分袖じゃなくて長袖がいいとか、ビーズなんて付けないでくれとか、でも胸元は絞って欲しかったり。首周りのかたちもブイ、ラウンド、スクエア、ボートネックといろいろあります。袖やすそはリブ編みが良いのか、すとんとさらりと着こなしたいのか、まじめに考え出すと発狂しそうですが実はかなりまじめに考えています。
 とりあえず、自分の好みをカミングアウトすると、シンプルで(意味なくフリルやレースをつけられると重たくなったりかえって野暮ったくなるのです)スタイリッシュで(でもきっと一番スタイリッシュに見えるであろうキリッとブラウスは窮屈な感じがして苦手なのです)動きやすくて(ストレッチ素材は最高だと思います。肩をぐるぐる回したり、着たまま逆上がりや木登りができれば言うことなし)家でざぶざぶ洗えるものでしょうか。色は淡くて冷たそうなのが好きです。ピンクやオレンジでもシャーベットカラーなら大丈夫。服に関して(ほかの事にしてもそうだけど)わたしが一番大切だと思うのは安心感です。全く正反対という人も多いでしょう。おしゃれは冒険だ!と。そういう精神大好きです。ただ自分が着るなら、人からどう見えるかよりも、着ている自分がほっとできるかどうかを重視します。寒くっても女の子はキャミを着るのだ、という主張とは真っ向から対立するのでしょうか。
 わたしにとって、服というのはそれを着て何をするのかにつながります。服を着るために服を着ているのではないぞと。どこへいってだれと会って、何をするのか、そのために一番わたしをサポートしてくれる服はどれだろうって考えながら鏡の前に立っています。プレゼンをするならスカーフを巻くのもいいかもしれない、キャンプで元気に遊ぶならTシャツかな、緊張しそうな場には着心地の良い服を、しんどいときは締め付けない薄手の素材をさらりと着たり。
 ここまで語ってきて、「あれ、でもいつも同じような服着てない?」と思われた人もいるかもしれません。同じ人とは同じような場所に行くことが多いのでそうなるのでしょう。基本的に教会には動きやすい格好で行くことにしています(机運んだり、走ったりするから)。夜景を見にドライブとか、しっとりとショットバーに行くとかなら、また着る服も変わるんでしょうけどね~(笑)

『マリッジ・ブルー??』

2006-03-23 | スケジュール
こんばんは。今日は昼から夜までの仕事で1時間くらい前にやっと帰宅。
でも、こんな生活もあと1週間で終わると思うと少し寂しいです。

この4月に転職をします。今までのように、夜に働く仕事とは打って変わって規則正しい生活が始まります。高齢者の方が8割みたいな現場ではなくて、高校生や中学生と触れ合う毎日。それも男子校・・・想像がつきません。想像できないけれど、何だかドキドキしてワクワクしています。
でも、同時に寂しくもあったりします。そして迷ってもいます。
1年で仕事を変わって本当によかったのか、もっと学んでからでも遅くはなかったのか・・・、年齢制限とか考えたら今でよかったのか、本当に期待することができるのか。
送別会も無事に済んだので、もう後戻りはできないのだけど。

思い返したら、特殊な職場に働いていたなぁと思います。
殆ど毎日が夜勤で、日中に働くことなんて殆どなかったし。人の生死に直結する現場で、仕事が終わってから家に帰って思い出し泣きをしながら寝たこともあるし。自分の気持ちを揺るがす出来事がイッパイあったなぁ。
それでも、仕事をすることが楽しかった、と振り返って言い切ることができます。
だから余計に、次の職場への第一歩を踏み出すことを躊躇っています。まるで結婚を1ヵ月後に控えた花嫁のマリッジブルー状態です。

どうしたら自分や周りにとって一番いい選択が出来るのか、教えて欲しかったりします。
どうやら4月以降、私の部署は勤務のシフトが組めないくらい大変らしいです。自分勝手な選択をしてしまったなぁ、と申し訳なくなってしまいます。
こんな風に迷った時に、聖書がパッと答えを導いてくれたら簡単なんですが、人生そんなに甘くない。。。と、いうかそれ程真剣に聖書を読んでいない私のせい?まぁ、そんなに答えをすぐに提示されてしまったら胡散くさくて、聖書を読むぞ!と思わないかもしれないので、いいんだけど。
救急外来での1年間が泣きながらだったけど、振り返ったら楽しかったと言えるように、今回の選択もいつか振り返って良かった、と思えるようにただただ精一杯がんばりたいものです。

頻繁な更新を目指して!

2006-03-23 | 真実の世界
毎日更新するのって結構大変だなと感じている今日この頃、部会青年会会長のKです、こんばんは。
 今日、大学で教わっていた先生が論文を寄せてらっしゃる本を買いました。思想史が専門の先生で、現代の脱規範という思考様式を批判的に見直してみよう、というテーマで書いてらっしゃいました。(西欣也 ~抽象への逃走―脱規範的思想傾向のメタクリティーク~『心と身体の世界化』港道隆編 人文書院 2006。)
 例えば「正しい生き方」というのを人に押し付けることをナンセンスとするのが今の時代だけれど、その自由そうな考え方だって今の時代という枠の中にあるはず。
 みんなちがってみんな良い的な脱規範をするときに「正しい生き方」なんて存在しないと言い切ることもできる。でもあえて、思うようには生きられない現実とこうありたいという理想がぶつかり合う場に身を置き続けることもできる。そうやって、脱したいと思うような規範をより良いものにしていく(先生はこの操作を彫琢と言ってらっしゃいました。わたしは知らない日本語に出会って辞書をひきました)ことが成熟した思考の態度ではないか、と。
 読み終えて、宗教改革のこと(ルターがプロテストせずに内側から改革していたらどうなったかな。それでもやっぱり分裂は避けられなかったかな。だとしても、その後なんでもかんでも分派していけばよいって物でもないよな。などなど)を考えながら、エキュメニカル運動(カトリックとプロテスタントの歩み寄り)に興味が湧いてきた一日でした。
 日本語で書かれていたのに、何故かというかやはりというか外国語文献を読んだ後のような状態です。次は是非漫画かファッションについてのブログ更新をしたい!!
 

『危険・・・?』

2006-03-21 | スケジュール
明日(もう今日かな?)は世間的にはお休み。でも私は出勤です。
仕事用の書類をまとめながら、早く寝なくちゃ・・・と思いつつパソコンに向かっています。ブログを書く暇があったらさっさと寝ろよ、という突っ込みは置いといて。

さて、私の今の職場はキリスト教であることが結構受け入れられているところです。
いや、それを言ったら次の職場もそうかもしれないけど。
とにかく、クリスチャン職員が少なくないところで働いています。
そんな2日前の夜勤のこと。クリスチャンの研修医さんと話していたところ、どうも恋愛とか結婚とかに関して考えの相違があって、私の教会は『なんて危険な教会なんだ!』と言われてしまいました。意外とショックを受けていたりします。
話題になったのは、まぁ例えば中絶であったり、できちゃった結婚に関してだったんですけどね。「クリスチャンとしてはおかしいよね」という言葉を言われて、おかしいのかなぁと思いつつ上手く反論できなくて悔しい思いをしました。その気持ちをここに出しているのかもしれないです。

神様を信じてクリスチャンになる、ということは所謂クリスチャンらしい生活を歩むこと、なんでしょうか。と、いうか、クリスチャンらしい生活って何?「これはすべきではない」、「これをするような人はクリスチャンとして間違っている」、「クリスチャンならこうであるべきだ」。わかるようでわからない理由を持ち出されて責められている気がしてしまいます。
今年度私たちが創ろうとしているキャンプのテーマは「キリスト道」といいます。
キリスト道は、一本道なんでしょうか?決められたその道を歩まなければクリスチャンとして歩む事は出来ないんだろうか。仮に一本だったとしたら、その一本道は綱渡りをするような細さの道なんでしょうか。はずれてしまったら谷底に落ちるようなドキドキ感を覚えながら、「こうあるべき」と踏み外すことのできないような道を私たちは歩いているんだろうか。キリスト道って、私にとって一体どんな道になるのでしょう。

そんなことを思いながら、家への道を歩いていました。
駅から家に帰るだけの道だって、商店街を通ったり、大通りを通ったりで色々あるのに。神様を見つめて歩くキリスト道について、暫く考える毎日になりそうです。