モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

モナリザは肖像画ではない。

2014-03-07 09:33:07 | 日記

以前書いたブログ記事を転写します。

タイトル
「モナリザは肖像画ではない。」

繰り返し繰り返し
何度も訴えよう。
そのうち
あまねく人々は
理解する。
いえ
もう既に
理解している人々は大勢いるのかもしれない。
現在、モナリザだと知られている絵画は
元々は、肖像画ではなかった。
ダ・ヴィンチは、神と人とを区別しない、画期的な絵画を描いた。
そう、その微笑む女性は、神にあらず人であり、人にあらず神である。
ダ・ヴィンチは、黄金比率を駆使して、微笑む女性を描いた。
絵画は、全て計算された絵画だ。
数学的、幾何学的な様々な理解と、宇宙の真理のもとで
描かれた、絵画は人々を魅了し続けた。
ただ、ただ
当時のキリスト教の枠組みから
かなりはみ出した絵画だったから
最高権力者のキリスト教の教皇たちからしてみれば
ダ・ヴィンチがした行為は、犯罪者に近いことだった。
だから
当時の最高権力者や、それを取り囲む貴族たちが
手を組み、様々な策略をして、、、
あの微笑む女性を
「肖像画」という
枠組みに、無理やり入れた。
ジョコンダさんは、その時代の波に、操られ、利用された。
ダ・ヴィンチは、元々
肖像画を描いてはいない。
ダ・ヴィンチは、数学的、幾何学的、理解を極め、宇宙の真理を現す
聖母を描いた。
その聖母は、キリスト教の枠組みに当てはまらず、キリスト教の理解には、当然当てはまる、真理を現す絵画だ。
その他、数多くの宗教を、
一つにまとめるような
要素も持つ。
「ワンネス」
現在、スピリチュアルブームが到来している為、この事を理解している人たちは、少なくない。
全ては、一つである。
神と人とは、本来
境界線などないのだ。
私とあなたに、境はない。
私はあなたであり、あなたは私である。
私ではなく
私たちという集合意識。
その拡大された
集合意識は
あの有名なモナリザというタイトルの
絵画の
「肖像画」という概念を外す。
元々、肖像画ではなかったのだから、、、
はじめに帰れば良いだけのことなんだけどね。
人々は、宇宙の真理の理解を深める。
真理は
理解が深まれば深まるほどに
あの絵画に
「肖像画」的要素を感じる者は
もはや、いないであろう。
※ほとんど、霊感で書きました。間違っていたら、ごめんなさい。

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