モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

レオナルドを知れば知るほど、モナリザにジョコンダ夫人を感じなくなる。

2014-03-19 13:10:37 | 日記

過去ブログを転写します!

タイトル
レオナルドを知れば知るほど、モナリザにジョコンダ夫人を感じなくなる。
2013.06.25

ダ・ヴィンチを研究されている方が出版された本や、モナリザを熱心に研究されている方のブログ等を
参考までに、幾つか拝読させて頂いています。
共通して言えることは
その誰もが
モナリザをジョコンダ夫人だと、思っていない、ということ。
今まで読ませて頂いたなかで、一番多いご意見は
レオナルドの理想の女性像
※母に対する憧れや思慕を含めて、理想の女性を描いたという見解のようです。
続いて多いのが
神(女神)、聖母(イエスの母聖母マリア、マクダラのマリア)など
※絵画から、レオナルドが託した宗教的なメッセージ等を読み取り、ダ・ヴィンチコードの続編のようなスタイルで文章を書かれています。
弟子のサライというご意見も、割とよく見かけます。
母カテリーナというご意見も、結構多くみられます。
レオナルドの自画像というご意見も、根強いです。
レオナルドを知れば知るほど(研究すればするほど)モナリザは、ジョコンダ夫人であるとの解釈や観念から
だんだん
だんだん
遠ざかっていくようですね。
私は、モナリザは
全ては一つを象徴する絵画。全ての宗教を超えた、全ての宗教観を一つにするような、聖母像であるとの見方をしています。モナリザから、フリーエネルギーを感じます。
元々は、母に対する思慕や憧れが根源だったかもしれない。
だけど、レオナルドは、絵を描いているうちに、様々な意識が拡張し、何らかの悟りを開き
発展的思想が膨らみ続け、最終的に、あのような微笑む女性像を描いたのだと思います。
そろそろ、モナリザと言われている絵画を
ラ・ジョコンダ(ジョコンダ夫人)だという解釈の呪縛から
解放させてあげたいです。
タイトル名となった、ジョコンダさんの魂も、空の上で
それを望んでいるはずです。
ジョコンダさん自身、そのことに関して、長い間苦しまれていたことを、私は霊的に理解出来るから、、、
願いを込めて書かせて頂きます。
「モナリザ新たなるタイトルに向けて」
モナリザが、ジョコンダ夫人の肖像画ではないと証明がされたら
何がしかのサブタイトルがつけられる日が来るかもしれませんね。

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