モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

真実のマグダラのマリア

2015-06-19 10:53:42 | 日記

以前書いたブログ記事の記述間違いを見つけたので、編集しようと思ったら文章が途中で途切れてしまいました。

よく見ると注意事項がちゃんと書かれていました。

↓↓↓

ご利用の機種の仕様により、本文が途中で切れている場合がございます。この状態で[投稿する]ボタンをクリックすると、本文の一部が失われます(このまま[戻る]をクリックした場合は保持されます)。


途中で切れる場合がございます!?

はい。切れました(>_<)

、、、ということで、書き直します(;_;)


※ タイトルと、文章の一部を変更しました。


河出書房新社刊「マグダラのマリアによる福音書」について


私が気になっている本を読まれ、感想を書かれている方のブログを見つけました。

下記全て転写文です。


★転写★
※河出書房新社刊「マグダラのマリアによる福音書」表紙
ところで信徒でない私ではあるが、史実のイエスならびその歴史に興味を持ち続けてきた1人としてどうしても納得できないことがある。それは処女受胎でもなければイエスが行ったという奇跡でもなく、処刑3日後の復活でもない…。
聖書をざっと読んでみればわかるが、そこに登場する12人の使徒は決して優秀な弟子たちではなかった。イエスの言葉を理解できず、うろたえ、疑い、彼の真意を誰1人くみ取ることができなかったといっていいだろう。
ちなみに聖書そのものを歴史書として見ることは出来ようもないが、一方多くの真実が含まれていると感じるのはまさにこの点にある。なぜなら歴史の記録はすべて勝ち組の残したものであり、負け組の存在や記録は抹殺されるのが普通だ。もし自身で自分の伝記を書くとしたら、触れられたくない過去は装飾するなり無かったこととして記述するのが人間であろう(笑)。
しかし聖書には都合の悪いことも多々そのまま記録されているという点に大いなる興味を感じる…。






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