モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

2011.02.18 「まるで、メルツィの死を待っていたみたい」

2015-09-18 09:59:49 | 日記
2011.02.18のブログを本日添削


もしかしたら
ダ・ヴィンチは信頼を寄せる弟子のメルツィだけには、モナ・リザにおける重要な情報を明記した何らかの文書を手渡していたかもしれないと思っています。
「手記がきちんと残っていたら・・・」喪われた現象を鑑みて、私は、それが残念でなりません。


何故なら
ダ・ヴィンチの思想や宗教観は、現代なら通じる内容で、世の中に理解されると信じるからです。


ダ・ヴィンチは、当時の人達より、何百年も進んだ、
超越した思考の持ち主であり、その時代にそぐわない、発展的な思想を持っていたと思われます。


しかしながら、キリスト教の思想を基に、世の中を、統制しようとしていた、当時の支配者や権力者達には、
許されない記述だらけだったのでしょうか?


メルツィが亡くなったのは1570年。
まるでメルツィが亡くなるのを待っていたかのようなタイミングで
「ヴェールを被ったフィレンツェの婦人」は「モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)」と命名されました。


メルツィは、師であるダ・ヴィンチの手稿等を本当に丁寧に大切に保管していたらしいのですが
メルツィの死後、大切な手稿の多くが、ずさんな管理体制の為、バラバラになったり紛失したりしたといわれています。


※管理体制がずさんだどいうのは、歴史的な建前上の問題で、真実は、意図的に廃棄処分されたのでは?と、私は思っています。


(約580字)


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