青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

一畑寺に参拝する(6)

2015-09-14 21:00:00 | 日記
皆様、こんばんは。
事務局です。

14日の一宮市内は、引き続き、晴れの天気でした。

私(寺西)は、午前は勉強会、午後は、市役所に書類を提出した後、明日の現場作業で使う材料の製作をしていました。

午後、「島根県人会」に入っている、とお話される男性の方から、激励のお電話をいただきました。

ありがとうございます。

前回の続きになります。

写真は、下生閣(あさんかく)の前にあります、お茶湯(おちゃとう)が提供されている小屋です。

お茶湯は、「信仰のお茶」と言われているそうです。

一畑で栽培された特別なお茶、「御霊茶」(茶葉)にプラス、薬師堂の井戸から汲み上げられた「御霊水」を沸かして、お茶湯を作っている、とのことです。

一畑寺本堂裏には、闊葉樹林(かつようじゅ。以前は広葉樹林と言いました)が広がっています。

この樹林は、聖域になっているそうで、人工的構造物等は見えません。

その自然のままの土地の地下から汲み上げた、御霊水で沸かした御霊茶を、毎朝、お薬師様にお供えし、ご祈念をかけて、お茶湯として、参拝者に提供しているそうです。

お茶湯は、写真に写っている、陶器製の「トックリ」に入れて持ち帰ります。

トックリを、参拝土産にされる方もいらっしゃいます。

500円硬貨を賽銭箱に入れて、私もお土産で持ち帰ります。

ちなみに、トックリのフタはゴム製で、お茶湯の漏れはありません。

下生閣の東側、本堂前に「鐘楼堂」があります。

この鐘は、1841(明治24)年に鋳造された、比較的新しい鐘なのですが、太平洋戦争中、不思議な出来事が続いたことで、知られるようになったそうです。

鐘は直径106cmで、1582(天正10)年に、毛利輝元の陣鐘を改鋳さたものと伝えられています。

太平洋戦争中、1944(昭和19)年10月、軍の命令で、鐘は供出となり、岡山県玉島市にある製鉄所に運ばれたそうです。

運ばれた製鉄所では、鐘にまつわる、不思議な出来事が続いたそうです。

鐘を熔鉱炉に入れようとすると、停電して溶かすことができなかった。

ある時は、鐘を吊り下げるチェーンが切れて作業が中断してしまった。

またある時は、担当係員が病気で休んでしまった。

不思議な出来事が続いているうちに、1945(昭和20)年8月終戦。

鐘はそのまま、製鉄所で保管され、ある作業員から、鐘が保管されている、という知らせがあったことで、一畑寺に戻ってきた、とのことです。

なお、鐘に付いている、108つある「こぶ」のうち、8つは、鐘の材質を調べるために、製鉄所で切り取られてしまったそうです。

次回に続きます。

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