母が亡くなった。
そうすると私達は、
母が永久にこの家から
いなくなることを経験で知っている。
妻が外出した。
そうすると夕方までには
帰ってくることを経験と勘で理解する。
しかし、経験の無い乳幼児はどうだろうか。
在から不在へ、不在から在への認識の変換が
とてもスリリングのようだ。
例えば、「いない、いない」
と言いながら顔を両手で覆っただけで、
とても不安と不思議な顔をする。
その時、突然「ばあー」などと言って、
顔を現そうものなら、
母親の胸に抱きついて恐れかつ喜ぶ。
どんな玩具にも、
たちまち飽きてしまう嬰児も
「いない、いない」「ばあ」
この繰り返しに、
飽きることを知らない。
しかし、
「いないいないのお爺ちゃん」
などと言われながら、張り切るものの、
爺の方が先に疲れてしまい、
いつも終わり方が情け無い。
そして、お爺さんは、
嬰児に遊んでもらっているのに気付くのである
そうすると私達は、
母が永久にこの家から
いなくなることを経験で知っている。
妻が外出した。
そうすると夕方までには
帰ってくることを経験と勘で理解する。
しかし、経験の無い乳幼児はどうだろうか。
在から不在へ、不在から在への認識の変換が
とてもスリリングのようだ。
例えば、「いない、いない」
と言いながら顔を両手で覆っただけで、
とても不安と不思議な顔をする。
その時、突然「ばあー」などと言って、
顔を現そうものなら、
母親の胸に抱きついて恐れかつ喜ぶ。
どんな玩具にも、
たちまち飽きてしまう嬰児も
「いない、いない」「ばあ」
この繰り返しに、
飽きることを知らない。
しかし、
「いないいないのお爺ちゃん」
などと言われながら、張り切るものの、
爺の方が先に疲れてしまい、
いつも終わり方が情け無い。
そして、お爺さんは、
嬰児に遊んでもらっているのに気付くのである