老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

いないいないー不在について

2009-04-17 06:30:45 | Weblog
母が亡くなった。
そうすると私達は、
母が永久にこの家から
いなくなることを経験で知っている。

妻が外出した。
そうすると夕方までには
帰ってくることを経験と勘で理解する。
 
しかし、経験の無い乳幼児はどうだろうか。
在から不在へ、不在から在への認識の変換が
とてもスリリングのようだ。
 
例えば、「いない、いない」
と言いながら顔を両手で覆っただけで、
とても不安と不思議な顔をする。
その時、突然「ばあー」などと言って、
顔を現そうものなら、
母親の胸に抱きついて恐れかつ喜ぶ。
 
どんな玩具にも、
たちまち飽きてしまう嬰児も
「いない、いない」「ばあ」
この繰り返しに、
飽きることを知らない。

しかし、
「いないいないのお爺ちゃん」
などと言われながら、張り切るものの、
爺の方が先に疲れてしまい、
いつも終わり方が情け無い。
 
そして、お爺さんは、
嬰児に遊んでもらっているのに気付くのである