老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

日本の精神ー簡浄について

2009-04-13 06:36:20 | Weblog
晩年の森鴎外は
「文体は簡浄に努めなければならない」
と自身に戒めたという。

正岡子規は
「萬葉集は歌集の王なり。
萬葉に貴ぶ所は其簡浄なる処、荘重なる処、
高古なる処、眞面目なる処に在り」と言う。

積むは枯葉降りくるものも枯葉にて簡浄の音立てて相触る  大野誠夫

大野誠夫歌集『水観』に収載されている一首。
岡山県の備中松山城を訪れた時詠んだもの。
今に至るまでの城にまつわる全ての事象を超越し、
そこには、
枯葉が枯葉の上に降り積もるという景を見ている
大野誠夫がいた。そして、
大野自身もまた枯葉の一枚だという思いがある。

書道の世界も茶道や料理の世界も
「簡浄」を最高のものとしている。
神様が使われる白木の箸や素焼きの土器(かわらけ)など、
すべて「簡浄」を形に表わした物のようだ。

「簡浄」は日本古来の精神である。