1995年3月20日。月曜日だった。前日僕は京都国際ハーフマラソンに出場していた。1月に起こった阪神大震災のせいで開催が危ぶまれたが、無事に開催。愛媛マラソン初完走からちょうど1ヶ月。ハーフマラソンの自己ベストを大幅に更新することが出来た。まだ新幹線が復旧していなくて、関西新空港を利用して京都まで往復した。
その日の昼休み、前日に撮った写真を現像してもらうために、当時勤務していた会社の近くの写真屋に足を運んだ。優勝したモーゼス・タヌイやウタ・ピッピヒらの写真を撮っていたのを早く見たかった。
店に行くと、奥の部屋のテレビがただ事ならぬニュースを伝えていた。ちょうど当時の総理大臣、村山富市氏の記者会見の最中だった。
「阪神大震災からわずか2ヶ月でこのような事が起こるとは・・・」
なんだなんだ?大震災に匹敵するような事件が起こったのか?
店員さん(けっこう可愛かった)に、何があったのか聞いてみた。東京の地下鉄で毒ガスが撒かれたようだという。それがサリンだと知ったのはどのタイミングだったかは記憶にない。ただ、それが月曜日の朝の出勤途上で起きた事件だったことは覚えている。
地下鉄サリン事件と、その実行犯であるオウム真理教の幹部。そしてそれを指揮した教祖麻原彰晃については、ここでは詳しく述べない。昨日、特別手配中の女性信者菊地直子が逮捕されたとのニュースには驚かされた。
長い間彼女のことが気になっていたのだ。それは彼女が「ランナー」だったからだ。
サリン事件など前代未聞の犯罪を起こしたことで「狂気のカルト集団」としてその名を歴史に刻んだオウム真理教が、陸上競技部を持っていたのをご記憶だろうか?菊地直子は高校時代に陸上競技部に在籍し、長距離を走っていた。オウムに入信したのも、足の故障の治療のために通ったヨガの道場がオウム真理教が運営していたためだという。その年、1989年は坂本弁護士一家殺人事件が起こった年である。翌年、大学に入学した1ヶ月後に出家。
その翌年(1991年)の夏、オウム真理教は陸上競技部を設立し、その秋に東京陸上競技協会に加盟した。登録団体名は「オウム・スポーツクラブ」。陸上部は教団内部では、「世界記録達成部」と呼ばれたという。ヒントとなったのはチベットの修行者である「風の行者」。彼らは瞑想をしながら神秘的な「風」の力で、すさまじいスピードで草原を駆け抜けていくと言われ、その力を修行によって身につければ、「世界記録が達成できる」と教団の内部では考えられていた。陸上部の部長はサリン事件で死刑が確定している遠藤誠一である。
当初僕はオウムが陸上部を設立したのは、教祖がマラソンや駅伝の盛んな熊本出身であることと関係があるのではないかと思った。しかしながら、「オウム真理教」の教団名をプリントしたランニングシャツで彼女は東京や大阪の国際女子マラソンに出場し、マスメディアもその姿を取り上げた。出家した際、私立探偵を雇って彼女を連れ戻そうとした家族の方々はマラソンを走る彼女の姿に何を思っただろうか?少なくとも、彼女は教団の「走る広告塔」として一定の役割は果たした。
判明している彼女のマラソン成績は
3:23:05 24位 91.11.24 河口湖(陸連登録者の部)
棄権 92.11.15 東京国際女子
3:07:40 127位 94.01.30 大阪国際女子
である。ちなみに、'94年の大阪で優勝した安部友恵さんは、彼女とは同学年である。
彼女たちが続けていたトレーニングはいかなるものであったのか。詳細に紹介した報道には接していない。ただひたすら「風」の力を求めて走り続けるようなものだったのだろうか?かつて、報道番組において、廃墟と化したオウムの教団施設の中で、埃を被ったウェイト・トレーニングの器具を見た記憶がある。彼女の強いモチベーションとなっていたのは、やはりマラソンで好成績を残すことで教祖からの寵愛を受けることだったのだろうか?
オウムスポーツクラブは、1994年度の東京陸協の加盟登録を更新しなかった。その年の6月に松本サリン事件が発生した。
翌年の5月、彼女は地下鉄サリン事件の共犯者として指名手配される。さらに、東京都庁に送られた小包爆弾事件にも彼女が関与したと報じられ、彼女には「走る爆弾娘」というニックネームが捜査関係者やマスコミ関係者につけられた。
世界で初めての女性だけの国際公認マラソンだった、東京国際女子マラソン。おそらく彼女はその大会の出場者で唯一の(調べたら他にもいるかもしれない)刑事事件の被告人であろう。彼女のマラソン・ベストタイムは僕のそれとさほど変わらない。おそらく、一緒に走れば、長時間並走できただろう。いい年して何を甘っちょろいことを言うのかと言われそうだが、僕はどこかで、
「マラソンを走る人に悪い人はいない。」
と信じたい気持ちが心のどこかにへばりついているのだ。猫ひろし氏のことも、認めたくないと思う反面、かれが非難にさらされているのは哀れに思う。取り巻きが悪かったのだと思うようにしている。
本稿を書くにあたって、月刊誌「宝島30」の1996年1月号に掲載された「私が愛した『爆弾娘』」という記事を参考にさせていただいた。それは、出家前の彼女と1ヶ月同居した経験があるというオウムの在家信徒の告白記事であり、オウム信者の実態に迫ったノンフィクション「麻原彰晃を信じる人々」の著者である大泉実成氏が構成を担当している。
在家信徒氏はこう語っていた。
「私の知っている彼女は長い逃亡生活に耐えられるような図太い人間ではないはずです。」
「一刻も早く自首して、自分の過去を清算して欲しい。」
筆者の大泉氏も彼女が「消される」事を危惧していた。
公共の場に貼られた指名手配の彼女の写真を見るたびに、今頃彼女はどこにいるのかと気にしていた。正直、今はほっとしている。
念のためにお断りしておくが、僕はオウム真理教の教祖の指示に従って凶悪犯罪を行なった信徒たちを擁護する気持ちは全く無い。昔、好きなミュージシャンのライブ会場にて、彼の呼びかけに従って死刑制度廃止を要望する署名に協力したことはあったが、教祖とサリン事件実行犯が死刑判決を受けたのは当然と思っている。死刑制度の無い国であるイスラエルも、ホロコーストに携わったナチスの幹部たちは処刑したのだから。
しかし、菊地直子を「マラソン・ランナー」として見てしまう、マラソン馬鹿の僕がさまざまな想像を巡らせてしまうことをどうかお許しいただきたい。
今、彼女は18年前のマラソン出場のことをどのような思い出として記憶しているのだろうか?
逮捕された時の彼女は、指名手配の写真とは別人のようにやせ細っていた。この逃亡生活の間、ジョギング・シューズを履いたことがあったのだろうか?
そして、もし、オウムが「本気で」マラソン・ランナーの育成を考えていたら・・・。マラソン経験者を勧誘して入信させ、専門的なトレーニングで日本代表を狙えるレベルのランナーを育成させていたとしたら、僕たちはそのランナーにエールを送っていただろうか?
その日の昼休み、前日に撮った写真を現像してもらうために、当時勤務していた会社の近くの写真屋に足を運んだ。優勝したモーゼス・タヌイやウタ・ピッピヒらの写真を撮っていたのを早く見たかった。
店に行くと、奥の部屋のテレビがただ事ならぬニュースを伝えていた。ちょうど当時の総理大臣、村山富市氏の記者会見の最中だった。
「阪神大震災からわずか2ヶ月でこのような事が起こるとは・・・」
なんだなんだ?大震災に匹敵するような事件が起こったのか?
店員さん(けっこう可愛かった)に、何があったのか聞いてみた。東京の地下鉄で毒ガスが撒かれたようだという。それがサリンだと知ったのはどのタイミングだったかは記憶にない。ただ、それが月曜日の朝の出勤途上で起きた事件だったことは覚えている。
地下鉄サリン事件と、その実行犯であるオウム真理教の幹部。そしてそれを指揮した教祖麻原彰晃については、ここでは詳しく述べない。昨日、特別手配中の女性信者菊地直子が逮捕されたとのニュースには驚かされた。
長い間彼女のことが気になっていたのだ。それは彼女が「ランナー」だったからだ。
サリン事件など前代未聞の犯罪を起こしたことで「狂気のカルト集団」としてその名を歴史に刻んだオウム真理教が、陸上競技部を持っていたのをご記憶だろうか?菊地直子は高校時代に陸上競技部に在籍し、長距離を走っていた。オウムに入信したのも、足の故障の治療のために通ったヨガの道場がオウム真理教が運営していたためだという。その年、1989年は坂本弁護士一家殺人事件が起こった年である。翌年、大学に入学した1ヶ月後に出家。
その翌年(1991年)の夏、オウム真理教は陸上競技部を設立し、その秋に東京陸上競技協会に加盟した。登録団体名は「オウム・スポーツクラブ」。陸上部は教団内部では、「世界記録達成部」と呼ばれたという。ヒントとなったのはチベットの修行者である「風の行者」。彼らは瞑想をしながら神秘的な「風」の力で、すさまじいスピードで草原を駆け抜けていくと言われ、その力を修行によって身につければ、「世界記録が達成できる」と教団の内部では考えられていた。陸上部の部長はサリン事件で死刑が確定している遠藤誠一である。
当初僕はオウムが陸上部を設立したのは、教祖がマラソンや駅伝の盛んな熊本出身であることと関係があるのではないかと思った。しかしながら、「オウム真理教」の教団名をプリントしたランニングシャツで彼女は東京や大阪の国際女子マラソンに出場し、マスメディアもその姿を取り上げた。出家した際、私立探偵を雇って彼女を連れ戻そうとした家族の方々はマラソンを走る彼女の姿に何を思っただろうか?少なくとも、彼女は教団の「走る広告塔」として一定の役割は果たした。
判明している彼女のマラソン成績は
3:23:05 24位 91.11.24 河口湖(陸連登録者の部)
棄権 92.11.15 東京国際女子
3:07:40 127位 94.01.30 大阪国際女子
である。ちなみに、'94年の大阪で優勝した安部友恵さんは、彼女とは同学年である。
彼女たちが続けていたトレーニングはいかなるものであったのか。詳細に紹介した報道には接していない。ただひたすら「風」の力を求めて走り続けるようなものだったのだろうか?かつて、報道番組において、廃墟と化したオウムの教団施設の中で、埃を被ったウェイト・トレーニングの器具を見た記憶がある。彼女の強いモチベーションとなっていたのは、やはりマラソンで好成績を残すことで教祖からの寵愛を受けることだったのだろうか?
オウムスポーツクラブは、1994年度の東京陸協の加盟登録を更新しなかった。その年の6月に松本サリン事件が発生した。
翌年の5月、彼女は地下鉄サリン事件の共犯者として指名手配される。さらに、東京都庁に送られた小包爆弾事件にも彼女が関与したと報じられ、彼女には「走る爆弾娘」というニックネームが捜査関係者やマスコミ関係者につけられた。
世界で初めての女性だけの国際公認マラソンだった、東京国際女子マラソン。おそらく彼女はその大会の出場者で唯一の(調べたら他にもいるかもしれない)刑事事件の被告人であろう。彼女のマラソン・ベストタイムは僕のそれとさほど変わらない。おそらく、一緒に走れば、長時間並走できただろう。いい年して何を甘っちょろいことを言うのかと言われそうだが、僕はどこかで、
「マラソンを走る人に悪い人はいない。」
と信じたい気持ちが心のどこかにへばりついているのだ。猫ひろし氏のことも、認めたくないと思う反面、かれが非難にさらされているのは哀れに思う。取り巻きが悪かったのだと思うようにしている。
本稿を書くにあたって、月刊誌「宝島30」の1996年1月号に掲載された「私が愛した『爆弾娘』」という記事を参考にさせていただいた。それは、出家前の彼女と1ヶ月同居した経験があるというオウムの在家信徒の告白記事であり、オウム信者の実態に迫ったノンフィクション「麻原彰晃を信じる人々」の著者である大泉実成氏が構成を担当している。
在家信徒氏はこう語っていた。
「私の知っている彼女は長い逃亡生活に耐えられるような図太い人間ではないはずです。」
「一刻も早く自首して、自分の過去を清算して欲しい。」
筆者の大泉氏も彼女が「消される」事を危惧していた。
公共の場に貼られた指名手配の彼女の写真を見るたびに、今頃彼女はどこにいるのかと気にしていた。正直、今はほっとしている。
念のためにお断りしておくが、僕はオウム真理教の教祖の指示に従って凶悪犯罪を行なった信徒たちを擁護する気持ちは全く無い。昔、好きなミュージシャンのライブ会場にて、彼の呼びかけに従って死刑制度廃止を要望する署名に協力したことはあったが、教祖とサリン事件実行犯が死刑判決を受けたのは当然と思っている。死刑制度の無い国であるイスラエルも、ホロコーストに携わったナチスの幹部たちは処刑したのだから。
しかし、菊地直子を「マラソン・ランナー」として見てしまう、マラソン馬鹿の僕がさまざまな想像を巡らせてしまうことをどうかお許しいただきたい。
今、彼女は18年前のマラソン出場のことをどのような思い出として記憶しているのだろうか?
逮捕された時の彼女は、指名手配の写真とは別人のようにやせ細っていた。この逃亡生活の間、ジョギング・シューズを履いたことがあったのだろうか?
そして、もし、オウムが「本気で」マラソン・ランナーの育成を考えていたら・・・。マラソン経験者を勧誘して入信させ、専門的なトレーニングで日本代表を狙えるレベルのランナーを育成させていたとしたら、僕たちはそのランナーにエールを送っていただろうか?
自ブログでも以前書いたのですが、地下鉄サリン事件が起こった際、自分はアジア圏に出張している最中でした。仕事を終えて同僚達と屋台に飲食しに行った際、隣に座っていた現地人(中国人?)が新聞を真剣な顔で読んでいたのですが、其の1面に大きく「沙林」という文字と共に、大勢の人が慌てふためいている写真が載っていました。「日本で何か在ったみたいだけど、何だろう?」と同僚達と話したものの、よもやテロ事件が起こったとは思いも寄らず、ホテルに戻ってニュースを見て、初めて事の次第が判り、唖然としてしまった次第。
昨年大晦日の深夜に平田容疑者が出頭して以降、略半年で残る2人が逮捕された事になります。逃げ回っていた彼等にとって、17年間という月日は一体何だったのだろうか?多くの犠牲者を生んでしまった事に、彼等が少なからず関与していた事を考え合わせると、此れからは生を終える迄、ずっと悔い続けて欲しい。
書き込みありがとうございました。
オウム真理教というのは、幹部の多くが自分と同世代であり、10代の頃にはオカルト的な話にも少なからず興味があった自分には、
「なぜ、彼らは?」
という想いでさまざまな雑誌記事や書物に目を通しました。菊地直子にしても、オウムの一員してでなく、マラソンのスタートラインに立っていれば、という想いが残ります。
時代がめぐり、今も「アレフ」と改称したオウムに入信する若者が後を絶たないといいます。貴ブログにも以前コメントさせていただきましたが、そんな若い信者にある雑誌が取材したところ、ある者は、
「僕、ニュースとか見ないんで。」
と、サリン事件自体を知らなかったと言いますし、別の者は、
「日頃マスコミは嘘つきだと言っている人たちが、どうしてマスコミが『オウムがサリンをまいた』という事だけは信じるんですか?」
などと答えていたのに唖然としたものでした。
これだけ「情報」が溢れる時代なのに、「自分にとって都合のいい話」しか見ようとしない人が多いのか、と考えさせられたものでした。