KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではない vol.18~アフターファイブの誘惑

2021年05月31日 | あなたもマラソンランナーになれる
2011年2月の東京マラソン以来、7年9ヶ月ぶりに県外の公認マラソンであるおかやまマラソンにエントリーし、当選した。2015年に新設されたばかりの大会だが人気は高い。よく当選したものだと思った。岡山市内のホテルは当選通知を貰った時点で既に予約が満杯になっていて、やむを得ず高松駅に近いホテルを予約することとなった。

大会当日、目を覚ますと右足首がひどく痛んだ。何ということか。欠場も考えたが、もはやホテルをキャンセルしてもキャンセル料が発生する。とにかく現地へ向かおうとした。痛い足を引き摺りながら特急しおかぜで岡山まで。受付会場までは徒歩で数10分、途中で薬局を見つけ、即効性のある痛み止めの薬を買って飲んだが、収まらない。参加受付を済ませて帰る途中に、救急当番医なのか、土曜日午後にも診療を受け付けている病院を発見。まだ天に見離されてはいないと感じたが、湿布を巻いてもらうだけで、安くない治療費を取られた。当時はさほど金銭に余裕が無く(今も余裕が無いけど)、この出費は痛く、おかげで夕食代を切り詰めなくてはいけなくなった。岡山から高松へ戻る。

痛みが収まらぬまま不安な一夜を過ごし、始発のマリンライナーで岡山へ。会場の岡山総合グラウンド体育館まで。さまざまなブースが並ぶ中に、鍼治療の無料サービスを発見。これぞ天の助けだ。治療を受けると痛みは無くなった。よし、これで走れるぞ。前日朝からの不安が消し飛んだ。逆転満塁ホームランを打ったような気分。

スタート時間が近づく。ゴール目標タイム4時間のグループに並んだ。スタートラインを通過するまでのロスタイムは2分53秒。これまで、ペーサーというものを意識して走ったことは無かったが今回、初めてペーサーのすぐ後ろについて走ってみた。岡山市内の中心街を走っていて思ったのは、我が松山の街は人口50万都市の割に中心街が狭いなという事。愛媛マラソンは愛媛県庁という市の中心地からスタートするが、5kmも走れば、郊外に出てしまう。さすがに人口72万人の政令指定都市である。

ペースメイカーのペースに合わせて走るのは意外にストレスが溜まる行為だった。常に彼らの存在を意識していたせいであろか?好天というよりも、11月にしては強い日差しを感じる。気温も上がっていたのだろうか。12日前に30km走をしていたのだが疲労が残っていたわけではあるまいか。20kmまでは5km28分台のペースを維持していたが、そこから急にペースダウン。中間点をスタート時のロスを引いても2時間を越えてしまった。

コースは既に郊外の田園地帯に入っていた。11月にしては強い日差しを遮る影となる建物も無い。ペースはじりじりと落ちていく。20kmから25kmのペースは30分オーバー、25kmから30kmは33分オーバー。30kmの通過タイムは3時間を3分越えた。

ペースダウンに緊張の糸が切れたのか、30km過ぎてからの旭川沿いのコースは完全にウォーキングとなった。これまでマラソンを走ってきて、リタイアは4回。いずれも、ゴール制限3時間30分~4時間の大会での、関門制限に引っ掛かってのリタイアである。制限時間が6時間になった最初の2010年の愛媛マラソン、肉離れが完治しない状態で出場し、4時間56分でゴール。僕にとっては初めての4時間オーバーの完走だった。その時思ったのは。5時間以上もかけてマラソンを完走というのは何としんどい事だろうか。ということ。自分からレースを止める勇気を持たなければ、途中関門に引っ掛かる事でしかレースを止められない。関門をクリアする度に、「まだ走らなければいけないのか。」と思いながら走り(歩き)続けた。

最近の大規模市民マラソンの多くが、エイドステーションの「ご当地グルメ」を売り物にしている。一部には、マラソン走行途中の栄養補給には効果が疑問のものも含まれているが、基本的に僕は、この種の給食は、4時間以内の完走を目指すランナーは手をつけないのが「マナー」と考えていた。こうした給食を必要とするのは、時間をかけて完走を目指すランナーたちである。サブフォーレベルのランナーまでが手を出していたら、本来、必要なランナーの分も不足してしまうからである。おかやまマラソンでは、ラーメンを出すエイドステーションを「売り物」にしていた。当初は、「これは自分には関係ないな。」と思ったが、今回、立ち止まってしっかり頂いた。

ゴールまでひたすら、歩を進める。とにかく完走だけはしよう。初の5時間オーバーになるかもしれない。ついに「アフター・ファイブ」デビューになるか。恥とは思わないが、来るべきものが来たかという感じ。

岡山城、後楽園を横目で見ながら、岡山市内の中心部に戻ってきた。30kmから40kmの10kmに100分以上掛かっていた。40kmの通過タイムは4時間44分。後方が騒がしくなった。5時間完走を目指す集団が迫っていた。その中心にいたのが、バルセロナ五輪のマラソン銀メダリストの有森裕子さん。当地岡山の出身で、今回も「ゲストランナー」として参加していた。思えば、岡山はシドニー五輪以降、毎回五輪マラソン代表を輩出する天満屋陸上部の本拠地であり、今回も歴代の天満屋OGのマラソン代表ランナーがゲストで出ていた。
有森さんの
「さあ、もう少しですよ、おとうさん。」
の一言で力が湧いてきた。ウソではない。それまで動かなかった足が動き始めた。100分以上歩き続けて、身体が回復していたのかもしれない。あと2km、僕は走り始めた。有森さんに引っ張られるように。すっかりあきらめていた5時間切りも出来るかもしれない。いや、切ってみせる。ゴールは総合競技場。陸上競技場のトラックを走ってゴールするマラソンは2008年の愛媛マラソン以来、10年ぶりだ。

フィニッシュ。4時間58分33秒。自己ワーストは更新したが「アフターファイブ」は免れた。


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