KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではない vol.13~「1Q94」④

2009年11月23日 | あなたもマラソンランナーになれる
長く暑かった1994年の夏、僕は走り込みを続けた。当時の勤務先まで、自宅から17.5kmあったが週に2、3度はランニングで帰宅し、他の日は自転車で通勤していた。(ホームセンターで1万円で買った安物の自転車だったが、1年でガタガタになり、この年の暮のボーナスでB社のクロスバイクを買った。)

9月の第一週には、週間走行距離が100kmを越えた。

走り込みの成果が最初に表われたのは10月の第一日曜に出た10kmのレースだった。そこで初めて40分を切ってゴールした。

2度目のフルマラソンには福知山マラソンを選んだ。理由としては、とりあえず、最も近くで行なわれる大会だったからだ。同時期に小豆島で開催される瀬戸内海タートルマラソンには当時、35歳以上でないと出場資格が得られなかった。(中高年の健康づくりが目的の大会だったのだ。)河口湖やつくばは遠過ぎる。ましてやニューヨークやホノルルなど行けるはずもない。

福知山マラソンは、ランニング情報誌「ランナーズ」が運営に携わる大会である。前述の河口湖や関西の大規模市民マラソンである篠山などの「欠点」を研究したうえで、ランナーの声を運営させた大会と言われていた。

3日前に、5kmのレースに出場し、ここで初めて20分を切った。

ちょうど15年前の今日、1994年11月23日。マラソンを始めていなければ、おそらくは出かける機会などなかったに違いない町、京都府福知山市で開催されたマラソンで、僕は初めてフルマラソンを完走した。

3時間18分40秒。総合938位。

5km21~22分台のペースを維持し、中間点を1時間32分台、30kmを2時間15分台で通過した。川沿いのフラットなコースは、いつも練習で走っている立岩川沿いのコースを思い出させた。終盤のへースダウンも5km25~26分前後にとどめることが出来た。

ゴールラインを越えた時、少しだけ泣いた。公衆電話で自宅に電話した。まだ携帯電話を持っていなかった頃だ。出てきた父親に完走できたことを告げた。

それはゴールではなく、スタートだったのだ。それからも僕は走り続け、レースに出るために旅に出かけた。翌年は北海道、その翌年はカナダ、さらにその翌年にはオーストラリアにも足を伸ばした。

30歳過ぎて、自分が何か「特別なもの」になれるなどとは思いもしなかった。大量の汗と、足の筋肉痛と、何度も剥がした足の爪と、煙草を喫う楽しみを捨てることと引き換えに得たもの、それは「マラソンランナーになる」ことだった。

15年経った今も僕は走っている。ただ、量はあの頃の半分にも満たない。もはや「マラソン・ランナー」の名に値しないかもしれない。最後にマラソンを完走してから、1年9ヶ月過ぎてしまった。次のマラソン出場予定は来年1月の愛媛マラソンだ。制限時間が6時間に延びた。6時間以内には完走出来るだろう。

しかし、どうせ走るなら、やはり4時間以内で完走したい。その想いだけは持ち続けている。もはや15年前には戻れない。だが、僕は「マラソン・ランナー」でいたい。

なぜ?

「なぜあなたは走るのか?」
と聞かれたら、あなたはどう答えますか?ダイエットのため。自己実現のため。美味いビールを飲みたいから。

僕の答えはそれだけではない。

「マラソン・ランナーはかっこいいから。」

僕はそう思っている。自分もかっこ良くなりたいから、走っている。これからも走るつもりだ。


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