KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

マラソンに殺されない法 vol.11

2012年05月16日 | マラソンに殺されない法
マラソンというのは、スタートラインに立つまでのプロセスを楽しむスポーツなのです。少なくとも、走ることを自らの「趣味」に選んだのであれば、練習は「楽しんで」やるものなのです。

「週2回、1時間の練習を3ヶ月続ければマラソンは完走できる。」

というのがどのような方法なのかは分かりませんが、少なくともそのようなトレーニング方法に飛びつく人というのは、マラソンの練習を「苦行」と考えているのでしょう。

僕も最初は3km走るのが精一杯でした。初めて10km走った翌日にはぎっくり腰を経験しました。(当時31歳でした)しかし、走れる距離が少しずつ伸びていくことが本当に楽しく感じました。昨日まで出来なかったことが出来るようになることは本当に楽しいのです。

“ああ、あのとき、私はいまよりずっと老けていて
 いまはあのときよりずっと若い”

(ボブ・ディラン「マイ・バック・ペイジス」)

本当にそのような気持ちになれるのです。

もちろん、練習を続けていくことで故障や怪我に見舞われたことは何度もあります。しかし、そのおかげで、ストレッチやアイシングといった身体のケアの重要さも身に沁みて理解できました。それに、走ることによって人間関係も広がりました。走る事を通じて知り合った友人からは、地元の信頼できる接骨医を紹介してもらうことが出来ました。

自分の身体が変化していくと、日々の生活の中で走ることが大きな位置を占めるようになります。仕事をしていても、終業時間が待ち遠しく思えてきます。休日の前日は、まるで子供の頃の遠足の前日のような気分になります。ランニング・ウェアに着替えて、シューズに履き替え、外に飛び出す時の開放感が待ち遠しいのです。

少ない練習量で大きな効果を得ようとする「効率重視」の発想は、僕はマラソンとは相容れないものだと思っています。

フルマラソンの最大の魅力は完走した時に味わう達成感だと、このDVDの紹介文では謳っています。しかし、本来、この達成感の大きさは、練習で流した汗の量と比例するものだったはずです。

初心者が一流アスリートと同じ練習をしてもしょうがないという意見もありますがそうでしょうか?僕は一流のランナーへの憧れの気持ちも抱いていました。知り合いの会社のグラウンドでインターバル走をしたり、森林公園のクロスカントリーコースを走りこんだりと、一流アスリートと同じような(質と量は全く違います)練習をすることで、満足感を得ていました。

それにしても、このようなDVDに15000円も払う人がいるんですね。

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