絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

No.34 誰でもが平和を望んでいるのに・・・ 

2008年08月13日 11時03分46秒 | Weblog
誰でもが平和を望んでいるのに・・・ No.34

 私にとって「絶対悪である原爆」投下は必要だったのか?

 ワシントンのスミソニアン博物館で計画された「原爆展」につて
ても取材していた斉藤道雄さんは、この疑問に対して、「原爆神話
の50年」(すれ違う日本とアメリカ:中公新書)の著書の中で、
以下のように記述しています。

 「スミソニアンの学芸員たちは、1991年から基礎資料の収集
を行い、準備作業にとりかかっていた。こうした中で1993年に
はその基本的な考え方をまとめた内部メモが作られている。このメ
モを見ると当初の原爆展の構想がきわめて先鋭的なものであったこ
とがわかる。

 『広島と長崎:航空宇宙博物館における50周年の展示』という
サブ・タイトルの後にはこう書いてある。

 『核兵器の創出とその広島、長崎への投下は近年の人類史の中心
的な出来事であった・・・多くの問題が解決を見ないまま残されて
いる。
 
 半世紀後のいまも、日本に原爆を落とすことが必要だったかどう
か、また道義的に正しかったかをめぐる論争は続いている。

 広島と長崎を機に始まった核競争の現実と相克は、今日未だに解
決を見ない問題である』

 このため、博物館は原爆の投下について徹底的に学術的な再検討
を行いたい。なぜなら原爆に対する人々の見方は『しばしば限られ
た知識と、個人的偏見によって形作られている』からだ。

 提案は、こうした『限られた知識』の対極には「原爆を戦争犯罪
とみなす考え方」まであることを指摘している。もしこの文書が公
表されたものだったら、きっとこの「戦争犯罪」のくだりがきわめ
て強い反発を招いたことだろう。

 この内部メモで、私がいちばんスミソニアンの意気込みを感じた
のは、トルーマン大統領の原爆投下の決定を、『いわゆる原爆投下
の決定』と述べている部分である。
 
 『この展示は、かなりの部分が広島と長崎、そして1945年春
から夏にかけてのいわゆる”原爆投下の決定”を中心としたものに
なるだろう』

 中略

 50年前、大統領は原爆を他のオプションと真剣に比較検討した
上で、投下の決定を下したのだろうか?メモには、そうではあるま
い、という痛烈な批判が込められていた(注1)」

注1
「原爆の投下に関してトルーマン大統領が『投下せよ』と命令した
記録は残されていない。原爆の開発は前任者ルーズベルト大統領か
らの『引継ぎ』であり、はじめから原爆は『できたら使う』と考え
ていたためと思われる。

 このためアメリカ政府の中で誰が、どのような検討のもとに日本
への投下を決めたかは不明確な部分がある。

 しかしそのことをもって大統領は明確な決定をしなかったという
のは、『命令書がないからヒトラーはユダヤ人虐殺を指示しなかっ
たというのと同じことだ』(リチャード・ハリオン)という反論も
ある」

 原爆投下の必然性において、原爆投下をしなければ日本本土への
米兵上陸作戦(今となっては幻の上陸作戦)において100万人も
のアメリカ人の命が亡くなるという可能性を阻止できたという推測
(今となっては伝説)が当時あったそうです。

 次回はこの推測がどうして伝説になっていったのかを説明します。
原爆容認論(投下やむを得ず論)における、論拠の寄りかかりであ
る「原爆神話」の検証となります。



歓乃喜 師弟 No.34(8/13 2008) 
コメント
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