ジョー・オダネル氏の長崎原爆写真が伝えること No.37
「生前、原爆投下に後悔の念をいっさいもらさず、胸を張ってその
決定を擁護していたトルーマン大統領は、ホワイトハウス付のカメ
ラマンとの私的な会話の中で、原爆の投下についてはその後どれほ
ど『心を悩まされたことか』と語ったことが明らかになっている」
と斉藤道雄さんは「原爆神話の50年」の著書となかで記述してい
ます。私はこのカメラマンは多分ジョー・オダネル氏だと思いまし
た。
NHKが今年8月7日に放映したドキュメント番組「解かれた封
印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」を見終わったときそう思い
ました。
番組での会話を再現します。
ジョー・オダネル氏
「大統領、私は長崎と広島で写真を撮っていました。
あなたは日本に原爆を落としたことを後悔したことはありません
か?」
彼(トルーマン大統)は動揺し、顔を真っ赤ににしてこう言った。
「当然それはある。
しかし原爆投下は私のアイデアではない。
私は前の大統領から単に引き継いだだけだ」
この番組は08年8月27日(水) 深夜 【木曜午前】0時45分~1時
34分 総合 で再放送されます。ぜひ見てください。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html
真珠湾を知ったときから日本人への復讐心に燃えたオダネル氏が
19歳の冬に海兵隊の写真記録班に入隊し、占領軍として原爆投下
後の長崎に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、
軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録した。
帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネ
ガを自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してし
まう。
しかし晩年になった1989年、ある修道院で反核運動の象徴で
ある彫像に出くわしたことから、「原爆の悲劇を訴え母国アメリカ
の告発に踏み切っていきます。その彫像とは、原爆の被害者の写真
が貼り付けられている彫像でした。
原爆投下を信じる周囲から非難の声をオダネル氏はたくさん浴び
ました。1990年自身の写した原爆写真展を行おうとしたが、ど
の施設でも拒否、自身の長崎での体験を本にしようと思ったが、3
5社の出版社からも拒否。
今回の私の連載でも取り上げていたましたが、スミソニアン博物
館での展示にも予定されていたがキャンセルされた。
彼の撮影した長崎の写真、それは原爆を正当化する退役軍人にと
っては"決して口には出してはならない真実"だった。そのために彼
はアメリカ中から非難され新聞の投書にも非難の声が聞かれるよう
になった。
そのなかでひとつ、彼を擁護する投書があった。
「原爆が正しいと言っている人々は、図書館で世界の歴史をもっと
勉強してから意見を述べるべきだ。」と、書かれていました。
それはなんと、当時23歳だった、ジョー・オダネルの息子タイグ
さんが書いたものだった。
理解を得られぬ奥様からは離婚され、オダネル氏自身も原爆の後
遺障害で25回もの手術を行ったが、85歳の生涯を閉じた。
なぜオダネルは、軍の規則に違反して写真を撮影したのか?なぜ
その写真を長年隠し、晩年になってトランクを開け母国を告発した
のか?
その足跡を追う息子が、遺品の中に残された録音テープを発見し
た。そこには写真に秘められた過去と、真実を伝えざるを得なかっ
たオダネル氏の思いが告白されていた。
以上が番組の内容です。
オダネル氏がトルーマン大統領に本当に言いたかったことは、
まず、
1
「Please, do not misunderstand me, I am an American, I love
my country .」ここを前提として・・・
2
「だからこそアメリカ国民として歴史の真実を見てくれ、知って
くれ!そして、おなじ人間として、兵士でもない、何の罪もない、
子どもたちや母親たち民間人の多くの人たちを国のために殺したこ
とは正当化できない、長崎での真実を伝える義務が私にはある」
3
「たとえ小さな一つの波紋でも真実である限りかならず日本から米
国という太平洋の対岸まで伝わっていく筈だ。いつか米国民も長崎
の原爆投下の真実を理解してくれる。全世界の誰でもが平和を実感
できる日が必ずくる」
以上3項目ではないかと思いました。
歓乃喜 師弟 No.37(8/16 2008)
「生前、原爆投下に後悔の念をいっさいもらさず、胸を張ってその
決定を擁護していたトルーマン大統領は、ホワイトハウス付のカメ
ラマンとの私的な会話の中で、原爆の投下についてはその後どれほ
ど『心を悩まされたことか』と語ったことが明らかになっている」
と斉藤道雄さんは「原爆神話の50年」の著書となかで記述してい
ます。私はこのカメラマンは多分ジョー・オダネル氏だと思いまし
た。
NHKが今年8月7日に放映したドキュメント番組「解かれた封
印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」を見終わったときそう思い
ました。
番組での会話を再現します。
ジョー・オダネル氏
「大統領、私は長崎と広島で写真を撮っていました。
あなたは日本に原爆を落としたことを後悔したことはありません
か?」
彼(トルーマン大統)は動揺し、顔を真っ赤ににしてこう言った。
「当然それはある。
しかし原爆投下は私のアイデアではない。
私は前の大統領から単に引き継いだだけだ」
この番組は08年8月27日(水) 深夜 【木曜午前】0時45分~1時
34分 総合 で再放送されます。ぜひ見てください。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html
真珠湾を知ったときから日本人への復讐心に燃えたオダネル氏が
19歳の冬に海兵隊の写真記録班に入隊し、占領軍として原爆投下
後の長崎に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、
軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録した。
帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネ
ガを自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してし
まう。
しかし晩年になった1989年、ある修道院で反核運動の象徴で
ある彫像に出くわしたことから、「原爆の悲劇を訴え母国アメリカ
の告発に踏み切っていきます。その彫像とは、原爆の被害者の写真
が貼り付けられている彫像でした。
原爆投下を信じる周囲から非難の声をオダネル氏はたくさん浴び
ました。1990年自身の写した原爆写真展を行おうとしたが、ど
の施設でも拒否、自身の長崎での体験を本にしようと思ったが、3
5社の出版社からも拒否。
今回の私の連載でも取り上げていたましたが、スミソニアン博物
館での展示にも予定されていたがキャンセルされた。
彼の撮影した長崎の写真、それは原爆を正当化する退役軍人にと
っては"決して口には出してはならない真実"だった。そのために彼
はアメリカ中から非難され新聞の投書にも非難の声が聞かれるよう
になった。
そのなかでひとつ、彼を擁護する投書があった。
「原爆が正しいと言っている人々は、図書館で世界の歴史をもっと
勉強してから意見を述べるべきだ。」と、書かれていました。
それはなんと、当時23歳だった、ジョー・オダネルの息子タイグ
さんが書いたものだった。
理解を得られぬ奥様からは離婚され、オダネル氏自身も原爆の後
遺障害で25回もの手術を行ったが、85歳の生涯を閉じた。
なぜオダネルは、軍の規則に違反して写真を撮影したのか?なぜ
その写真を長年隠し、晩年になってトランクを開け母国を告発した
のか?
その足跡を追う息子が、遺品の中に残された録音テープを発見し
た。そこには写真に秘められた過去と、真実を伝えざるを得なかっ
たオダネル氏の思いが告白されていた。
以上が番組の内容です。
オダネル氏がトルーマン大統領に本当に言いたかったことは、
まず、
1
「Please, do not misunderstand me, I am an American, I love
my country .」ここを前提として・・・
2
「だからこそアメリカ国民として歴史の真実を見てくれ、知って
くれ!そして、おなじ人間として、兵士でもない、何の罪もない、
子どもたちや母親たち民間人の多くの人たちを国のために殺したこ
とは正当化できない、長崎での真実を伝える義務が私にはある」
3
「たとえ小さな一つの波紋でも真実である限りかならず日本から米
国という太平洋の対岸まで伝わっていく筈だ。いつか米国民も長崎
の原爆投下の真実を理解してくれる。全世界の誰でもが平和を実感
できる日が必ずくる」
以上3項目ではないかと思いました。
歓乃喜 師弟 No.37(8/16 2008)