愛媛県今治市伯方島木浦にある禅興寺の住職様より、標記新聞記事のカラー切り抜き記事を、本年の沈没75年慰霊祭のものと併せてお贈りいただきました。ありがとうございます。
以前、芸備地方史研究会『芸備地方史研究』第315・316合併号(2020年7月)に記事《史跡をあるく》「愛媛県伯方島禅興寺第十東予丸慰霊塔」を寄稿したので、この完成誌をお贈りしただけなのですが、お返事に貴重な資料を教えてくださりました。事故自体が終戦時の混乱期でもあり、当時は海難審判の内容が公開されぬまま、記録もそのあと未確認の状況が続いていたようです。しかし、今世紀に入ってから所在が確認された「裁決書」を読み解き、標記の記事で詳細な解説がなされました。
標記の新聞が発行された、今から5年前の平成27年12月3日は木曜日。ならば、ちょうど広島県の自宅から愛媛県の新居浜高専へ出勤する曜日なので、本来自力で出会えるところなのに、まったく気づいておりませんでした……。