鴨頭の掲示板

日本史学関係の個人的な備忘録として使用します。

【記事】 鴨頭俊宏《新刊案内》「有馬卓也著『岡本韋庵の北方構想』」『地方史研究』第431号(2024年10月)

2024年10月11日 14時49分15秒 | いち研究者としての日記
地方史研究協議会へ投稿していた標記の記事を掲載する『地方史研究』第431号が完成し発行されました。掲載頁は102~104です。
案内する新刊のテーマ岡本韋庵(いあん、監輔、1839~1904年)とは、阿波国徳島藩領の農村(今日の徳島県美馬市、旧穴吹町域)に生まれ、文久3年(1863)より5回の樺太探検と、蝦夷地・北海道の開拓とに、後半生は儒学などで学校教育に勤しんだ探検家・官吏・漢学者・教育者です。樺太の有益さを主張するとともに、この地を侵蝕するロシアの脅威を訴え続けました。標記の新刊(中国書店、2023年)は、彼の生涯にわたる北方構想を、論文篇と資料篇を設けてわかりやすく描き出そうとしたものであり、記事では、その概要と地方史研究者の立場からの注目点とを簡潔に記述しています。
阿波国江戸時代における異国船の脅威といえば、文政12年(1829)牟岐(現海部郡牟岐町域ヵ) への、イギリス船籍と考察されている海賊船の漂着事件を想起します。この事件は彼が生まれる10年前なので、彼の異国観を含む思想にどのような影響を与えたかは不明ですが、以後、個人的に注目していきたいと考えています。

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【記事】 鴨頭俊宏《新刊紹介》「若林宣著『女子鉄道員と日本近代』」『交通史研究』第105号(2024年9月)

2024年09月24日 21時38分55秒 | いち研究者としての日記
このたび発行された交通史学会『交通史研究』第105号には、標記の《新刊紹介》記事も掲載しました。掲載箇所は99頁です。
その新刊(青弓社、2023年12月)とは、明治時代の前半から現在に至る鉄道界への女性就業の変遷を、新聞史料をはじめさまざまな文献を駆使しつつ数値分析もともないながら描き出していくものです。こうした研究の注目点を、簡潔な文章で紹介しました。

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【備忘】 交通史学会『交通史研究』第105号(2024年9月20日)

2024年09月24日 21時07分33秒 | いち研究者としての日記
私が編集・発行の担当者を務める標記の学会誌が、無事に完成して東広島市の自宅に届けられました。これから各会員の手許にも届けられると思います。
私自身、編集委員自体こそ複数の学会・研究会で通算10年以上務めているものの、会誌発行の担当者は、現役の大学院生時代以来で実に20年ぶりのことです。前回担当したときは、投稿データをFD(フロッピーディスク)で郵送するのが主流であり(もしかしたら、東京・大阪などではすでに変化しているかもしれませんが…)、そろそろCD-RWを使う人も現れてくるころでしたから、20年という時間の長さを実感させられます。

なお、この会誌は東京の吉川弘文館で販売することになっており、近日のうちに、そこのHPより会員以外のかたも購入できるようになります。どうかご味読ください。

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【業績】 鴨頭俊宏《新刊紹介》「熊原康博・岩佐佳哉編『東広島地歴ウォーク』」『芸備地方史研究』第325・326合併号(2024年8月)

2024年08月29日 01時07分33秒 | いち研究者としての日記
出版から記事掲載誌の発行まで1年以上も経過してしまったためもはや新刊とは呼べませんが……、芸備地方史研究会へ投稿していた標記新刊(レタープレス株式会社、2023年3月、A5判ソフトカバー、152頁、本体1,364円+税)の紹介文を掲載する『芸備地方史研究』第325・326合併号(2024年8月20日付)が完成し発行されました。掲載頁は30~32です。
標記刊行の出発点は、広島大学の当時教育学研究科社会認識教育学専修に属する(あるいは属していた)大学院生が、地理学の授業をとおして広島県東広島市内の地理・歴史に関し調べた成果を1冊の書にまとめていく活動にあります。東広島市域の歴史と現状の両面を実際にフィールドワークしながら学ぼうとする一般の人びとにとり、見やすく便利なハンドブックとなるよう、担当教員も執筆陣に加わりつつ工夫を凝らした成果だといえましょう。
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【受贈】 『日本歴史』編集委員会編『きょうだいの日本史』(吉川弘文館、2024年9月)

2024年08月24日 19時30分23秒 | いち研究者としての日記
その分担執筆者を務めた山崎圭先生・下向井紀彦さんより標記の編著書(吉川弘文館、A5判ソフトカバー、全280頁、本体2,000円+税、2024年9月)を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
本書は、日本史について古代・中世・近世・近現代4つの時代区分ごとに無名~著名さまざまな「きょうだい」計24事例を取りあげ、この具体的な関係のありようから各時代の特徴を見とおそうとするものです。本書「はじめに」によれば、学会誌『日本歴史』第896号(2023年)掲載《新年特集》「きょうだいの日本史」の成果をより広く共有しようと、史料の現代語訳化など一般的な歴史ファンも読みやすくする改訂を施すうえで書籍化したとのことです。
なお、山崎先生は近世編の「近世の百姓の欠落ときょうだい」(167~173頁)を、下向井さんは同じく近世編の「三井家擬制の兄弟」(142~155頁)を、それぞれ執筆しています。

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【受贈】 秋山寛行「近世後期本庄宿における本陣利用者獲得と休泊由緒—『田村本陣休泊控帳』を素材として―」(本庄早稲田の杜ミュージアム『調査研究報告』第3号、2024年3月)

2024年08月10日 00時43分49秒 | いち研究者としての日記
秋山寛行さんより標記論文の抜刷を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
研究では、中山道の江戸から数え10番目の宿である本庄宿(現埼玉県本庄市)の本陣で書き残された休泊関連史料を素材にしています。江戸時代の後期から幕末期にかけた参勤交代一団に対する休泊利用獲得のありようを検討しました。簡潔にいえば本陣では、過去の大名家の休泊記録をまとめた「休泊由緒」を作成し、それを大名家との交渉に用いるなどして利用を勝ち取ろうとしたようです。

さて、論文をひととおり読み気になった主な点は次の2つです。
1つは、江戸時代ではまだ前半期にあたる元禄期の「宿割」の存在です。論文抜刷3頁に掲げている【史料三】では、元禄11年(1698)7月付の記録として、
……先年拙者御宿仕候御宿帳等持参仕、御宿割求馬様へ御目掛候処、尤ニ候へ共……
とあるのに対し、直後の論述では
……以前の宿泊記録である「御手帳」・「古帳」などを持参し、大名家への直接交渉を行っており……
と、史料中の「御宿割」が大名家(藩)のなかでいかなる役割を担う役人なのかを省略した説明文になっています。宿割をめぐっては先行研究に論及があるので、参考のうえ、ほかの史料でも検索を試みるのが望ましいと考えます。
2つめは、対象とした近世後期のなかで生じた変化との相関性です。参勤交代を含む公用通行をめぐっては、必ずしも「近世後期」でひと括りにできるものでなく、このなかで変化が生じたことがすでにわかっています。すなわち、江戸への参勤交代で本来ならば東海道を通行する西日本大名のあいだで中山道を選ぶ場合が増えてきたものの、それを問題視した幕府が東海道通行を促す通達を発しています。また、三大飢饉の1つで有名な18世紀後半の天明年間には、自然災害により、通行者が東海道から中山道へ迂回したり逆に回避したりの変化も生じています。このように、中山道の通行をめぐっては、近世後期のなかでも増加と低迷の時期区分が成り立つと思われます。では、本庄宿をはじめとする中山道の本陣の場合、増加期と低迷期それぞれでいかなる利用獲得の活動をしていたのか、今後の課題点として興味深いところです。
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【記事】 鴨頭俊宏《新刊案内》「鹿毛敏夫著『近世天文塾「先事館」と麻田剛立』」『地方史研究』第430号(2024年8月)

2024年08月09日 00時01分01秒 | いち研究者としての日記
地方史研究協議会『地方史研究』第430号には、標記の投稿記事も併せて掲載されました。掲載頁は135~137です。
この投稿は、鹿毛敏夫先生ご本人より標記新刊(吉川弘文館、2024年2月)の完成書を私へも寄贈してくださったことに対する返礼を兼ねています。

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【記事】 鴨頭俊宏《新刊案内》「見瀬和雄編『中近世日本海沿岸地域の史的展開』」『地方史研究』第430号(2024年8月)

2024年08月08日 00時01分01秒 | いち研究者としての日記
地方史研究協議会へ投稿していた標記の記事を掲載する『地方史研究』第430号が完成し発行されました。掲載頁は130~132です。
本記事で案内した新たな編著書(岩田書院、2024年1月)は元々、石川県を中心に日本海沿岸地域の歴史研究に寄与しつづけた編者見瀬和雄氏の古希を祝おうと、編者に学恩を受けた研究者たちが企画していたものです。しかし、完成の前に編者が逝去したため急遽、編者の追悼論集へとかたちを変えて刊行したといいます。江戸時代加賀藩領の社会を中心としつつ、出羽・越後・越前国域も対象に入れながら、中近世日本海沿岸地域史の研究をめぐる議論を発展させようとする論文21本が収録されました。

この記事を投稿した直接の動機は、収録論文に、私の専門である江戸時代の情報史をテーマとしたものが含まれていることにあります。
具体的には、以下の2本です。
堀井美里「幕末期の日本海海運業者と政治情報活動」
宮下和幸「慶応期将軍進発後の情勢と加賀藩京都詰—聞番の情報収集と周旋活動—」

いずれも、幕末期を対象としたものです。以前までにいかなる情報活動のありようがかたち作られそれがいかに幕末へとつながったのか、が今後の課題点に感じるところですが、興味深く読ませていただきました。

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【備忘】 交通史学会2024年度第2回常任委員会

2024年08月07日 23時59分01秒 | いち研究者としての日記
7日(水)19時より、標記の委員会がZoomを用いたオンラインで開催されるため、東広島市の自宅より参加しました。
委員会では、編集委員会報告を担当しています。
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【受贈】 常民文化研究会『コロス』第178号(2024年8月)

2024年07月22日 00時00分01秒 | いち研究者としての日記
西海(にしがい)賢二先生より標記の会報を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この会報には、
西海賢二「石鎚講中参拝記念録に世相を読む(3)―安芸国忠海二窓西山講中の二百六十年に寄せて―」
が掲載されています。それは、同じ会報の前号にあたる第177号に掲載された(2)の続きです。史料の翻刻部分を読むと、幕末の文久年間から近代の大正時代までが対象になっています。
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【受贈】 常民文化研究会『コロス』第177号(2024年5月)

2024年07月21日 00時00分01秒 | いち研究者としての日記
西海(にしがい)賢二先生より標記の会報を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この会報には、
西海賢二「石鎚講中参拝記念録に世相を読む(2)―安芸国忠海二窓西山講中の二百六十年に寄せて―」
が掲載されています。これは、石鎚敬神婦人会報『たかね』第56号(2024年7月)に《特別寄稿》の種別で掲載された作品の続きです。
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【受贈】 常民文化研究会『コロス』第176号(2024年2月)

2024年07月20日 00時00分01秒 | いち研究者としての日記
西海(にしがい)賢二先生より標記の会報を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この会報には、
西海賢二《資料紹介》「続 鹿島踊りと青年会合宿日誌について」
と題する作品が掲載されています。これは、同じ会報の前の前号にあたる第175号(2023年11月)に掲載された資料紹介の続きです。
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【受贈】 石鎚敬神婦人会報『たかね』第56号(2024年7月)

2024年07月19日 00時01分01秒 | いち研究者としての日記
西海(にしがい)賢二先生より標記会報の完成誌を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
その67~77頁には、西海先生の《特別寄稿》「石鎚講中参拝記念録に世相を読む(1)―安芸国忠海二窓西山講中の二百六十年に寄せて―」が掲載されています。
寄稿文では、現広島県竹原市忠海町の安芸国西山講中をめぐる参拝記録の帳簿に着目し、この記述が、単に参拝の人員記録・経費ばかりでなく参拝当時の世相(江戸時代における徳川政権のあれこれ、天変地異・物価など)にまで及ぶとしました。そして、手始めに翻刻されたものの一端を紹介しています。
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【受贈】 西海賢二「相模民俗学会総会公開講演 民俗芸能を消滅させられた地域―奥三河と相模人形座芝居の縁から―」『民俗学論叢』第39号(2024年5月)

2024年07月18日 17時30分01秒 | いち研究者としての日記
西海(にしがい)賢二先生より標記講演録の抜刷を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
愛知県豊田市の旧北設楽郡稲武町域に建つ小田木八幡神社の境内で、江戸時代の享保年間より明治初期の廃仏毀釈のころまで催された人形座をテーマに取り上げます。この人形芝居は令和4年(2022)9月、衰退後147年ぶりに復活するのですが、それまでの経緯や、それまでに西海先生自身が神奈川県旧相模国域などさまざまな地域で携わってきた人形芝居研究との関わりなどを述べています。
また、講演録本文のあとには会誌20頁分弱ものスペースを用い、小田木の人形芝居で用いられた人形や衣装の写真を多数掲載しています。
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【備忘】 交通史学会2024年度第1回編集委員会

2024年06月17日 00時05分03秒 | いち研究者としての日記
6月16日(日)14時から1時間強、標記の委員会がZoomを用いたオンラインで開催され、東広島市内の自宅より参加しました。そこでは司会を担当しています。
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