鴨頭の掲示板

日本史学関係の個人的な備忘録として使用します。

【受贈】 広島大学大学院教育学研究科下向井研究室『史人』第7号(2018年3月)

2018年03月29日 23時27分40秒 | いち研究者としての日記

平成29年度でもって広島大学大学院教育学研究科教授を退職される下向井龍彦先生より標記の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。坂本賞三先生卒寿 下向井龍彦先生退職記念特集号として、論説11本、その他3本の計14本が掲載されています。

日本近世史を学ぶ私にとれば、特に坂本賞三「大正・昭和前期の日本史『最近世』」で勉強させていただきました。

「近世」は古来、ただ〝今ごろの〟という意味で使われていたが、戦国時代に、それが定まった上限をもって現在までをいう意味の言葉として用いられるようになりました。ところが、明治時代の初めに世間で意味が変わり、江戸時代の別称として用いるようになったと、文献の関係する記述を挙げながら説明されています(掲載誌13頁)。

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【受贈】 重松正道《史料紹介》「襖の下張文書から歴史を見る 江戸末期、門跡寺院勧修寺と肥前諸富津」

2018年03月29日 22時55分00秒 | いち研究者としての日記

佐賀県鳥栖市の重松正道さんより《史料紹介》「襖の下張文書から見る 江戸末期、門跡寺院勧修寺と肥前諸富津―海運業者末吉家との金融トラブルをめぐって―」『九州歴史科学』第45号(2017年12月)の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。

現在の京都府山科区にある真言宗山階派の勧修寺も江戸時代、金融業を営んでおり、詳細は不明ですけど、天保年間に海運業者末吉家とトラブルになったようです。そこで、当時は佐賀藩の内陸港(※ただし、天保年間までに藩内で機能を弱めていたとのこと)であった現在の佐賀県佐賀市諸富町の役人衆がこの寺とトラブル解決の交渉にあたりました。それを記録し、元々襖の下貼に用いられていた古文書史料5点を、翻刻し紹介されています。

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