ンデンデキ外伝

僕の話をしよう。

キッガイ

2006年07月25日 23時05分10秒 | 糞音関係
見てる人が引く位の暴れ方。

ライブでのロックバンドのことなのだけれども、
伝統的なところだとギターの弦引き千切って、床に叩きつけて、火つけて、終いにはドラムやらアンプやら商売道具の一切合切をめためたに破壊するとか、
フリチンで走り回ったり、マスかいたり、ウンコしたり、
身体刃物で切りつけたり、マイクを額に何度も叩きつけて担がれていったり・・・

要は狂気の沙汰ですよね。
でも、元々人間って正気と狂気を同じ量持っているものじゃないでしょうか。
しかし、生活に必要とされるのはほとんどが正気の方で、狂気の方はというと持て余されるばかりで用途がないのです。

もしかしたら人間の祖先は狂気も生活の中で正気と同等に利用していたのではないでしょうか。

例えば狩り。
自分よりもずっと大きくて強い獣に向かっていって殺す、という作業は正気にはちと荷が重いのではないでしょうか。
こんなことを言うと場の人は皆狂人なのかと言われてしまいそうですが、誤解を恐れずに言うならば、人は破壊活動や生き物を殺す際には狂気を利用しているのではないでしょうか。
正気を保つために。
いや、この場合こういう言い方だとわかりづらい。
精神の健康を保つために、といったところでしょうか。

時は流れ人間の生活から狂気を利用する局面が減ってくると、人間は蓄積した狂気を暴発するようになった。

例えば戦争。
当初は画策者と行為者が同じだったことでしょう。
しかし、あまりに多く蓄積された狂気は、複雑に、醜悪に成長し、
画策者を戦場から遠ざけ、最も素朴な生活をする人たちを正気と狂気の修羅場に送り込むようになった。

僕はどんな理由があろうと、一人でも人を殺してしまった人間は正気と狂気のバランスが健全に戻ることはないと思います。一生消えない傷というやつです。
このことに関しては戦争世代の人間、僕らのおじいさん達を侮辱するように聞こえてしまうかもしれないので、これ以上書かないことにします。


話があっちゃ向き過ぎました。
ロックの話です。
つまり、ロックは狂気の発散の方法なのだと言いたいのです(うへぇ、絶対これ100万人は言ってる)。

別にキチガイみたいに振舞うのだけが、ロックだと言っているのではなく、言ってみれば、絵画も、文学も、演劇も、踊りも、漫画も、お笑いも、大正気様から言わせてみれば、すべてナンセンス、狂気の沙汰なのです。かけがえの無い狂気なのです。

だからステージでは全てさらけ出さなければ意味ないですよね。
暴れすぎてとちるのもまた良し。
指食べたり目玉くりぬいて客席に投げつけるのも良しです。

逆に蓄音機よろしくに何のためにライブしに来たのか分からないような人(シューゲイザーっていうスタイルもあるらしいけどさ)は
「ライブでは狂気を発散させないんだな。
もしかしたら家帰って尿道にサンドペーパーでも差し込んで、キチガイみたいにマスかくのかな」って思われちゃいますよ。俺に。

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