ンデンデキ外伝

僕の話をしよう。

湖へ

2007年04月30日 23時32分32秒 | 糞何気ない日常関係
去年の11月に訪れた湖に今日再び行って来ました。

久しぶりのことかと思いましたが、いざ現地に近づくにつれ、まるで二週間前くらいのことに思えるほどに鮮明にその時のことを思い浮かべることができました。
なんか嬉しかったです。



晴れた日の湖はとても綺麗で、去年と同じように魚は一匹も釣れなかったけど、水や空気は言わずもがな、出店の揚げいもは美味しくてたくさん見かけるバイカーはみんなかっこよくて、今頃は多分ビカビカの星が空で光ってる。

僕の友達は湖や山の名前をたくさん知ってて、釣りの仕掛けのやり方も教えてくれます。
いい奴らです。

釣りは自分がやるよりも人がやってるのを見てるほうが好きなので、そのうち竿を置いて、お構い無しにドラムスティックでパチパチ始めてみた。
こんなに綺麗な湖を前にしてドラムの練習をする奴ってのはなかなか居ないはず。

別に釣りが嫌いなわけじゃありません。
自分がやることに熱心じゃないだけで大好きです。
魚食べるのも大好きだしね。











最近見たくないものや関わりたくないもの、自分が汚いと思うものに触れすぎてました。
どれも仕方のないことなのだけれども、自分と友達以外の奴ら全員が死ぬのか、それとも自分が死ぬのか、どっちが世界のためになるかなんて考えていたくらいにして。

どっちも何にもならないのにね。


うん、人は怖い思いや悲しい思いをすると強くなるみたいだけど、そんなのばっかりは絶対よくないわ。

自分の挙動がガキみたいだと思うことがこれまでも度々ありましたが、それはそういう辛い経験が人より少ない幸せなひとだったからなのかも。


綺麗な湖とか、釣りとか、良い音楽とか、ブラックジョーク飛ばせる相手とか。


そういうのがないと、多分だけど、人は簡単に死ぬ。

I Love My Guitar

2007年04月21日 15時29分21秒 | Weblog
先日初めてヤフオクに挑戦して落札した品が遂に遂に、遂に届きました!


テスコTG64!!


テスコってのはGSとかサーフミュージックが流行った頃にグヤトーンなどと肩を並べた国産ギターメーカーで、こいつも40年以上前のギターで「エレキの若大将」で活躍したブツです。

実はTG64を手にするのは二本目で、先日まで茶色のを愛用していたのです。

しかし、むしゃくしゃして叩きつけるというミュージシャンにあるまじき愚行に走ってしまい、ボディとネックがセパレートしてしまったのです。

So sorry my friend, Rest in PEACE...



15才の頃から使ってたギターも社会人になるのを区切りにおさらばか、XXXで最後を飾れて良かったかななどと思っていた時に、友達から情報が転がり込んだ。

彼が送ってきたホームページURL。
それまでずっと手を出さずにいたヤフーオークション。

画面にはよく見慣れた左右非対称シェイプの、しかし僕の度重なる折かんにも年の功で受け入れてくれたミルクチョコレートの色ではなく、若々しさと奔放さ、そしてどこか憂いを含んだブルーカラーに身を包んだ彼が居た。

それはただの同じ型のギターかもしれない。
でも、きっと誰でもこう思うはず。
これは彼だ、と。


僕は久方ぶりに湧き上がった物欲を止めようともせず、迷うことなく借金にゼロをひとつ加えた。
普段手持ちのお金は大抵酒やらなんやらに消してしまい、貯蓄も買い物も出来ないでいる自分ですが、この時こそ金の使い時だと思ったから、迷いはなかった。
シンバルもスティックケースさえも持っていないけど、全てはその時の必然でやってくるものでしょう。


パンクやコアからは程遠いギターだけど僕はこいつが好きなのです。
きっとレスポールやストラトキャスターじゃなくてこいつを手にすることになったのは運命みたいなものです。

ベタな話だけど、失ってしまったとき、一緒にすごした色んなことが頭をよぎりました。
全然下手なのにこいつを持ってるときは不思議と自分が無敵のロックスターになったように思えました。
僕はこいつと一緒にいると輝けるし、こいつもきっとそう。

だから一度や二度の過ちで手放したくなんてありませんでした。


いつか僕の部屋で眠ってる茶色いギターも傷を治してあげなきゃ。
好きなのに馬鹿なことをした自分の元にまた戻ってきてくれたこいつを大切にしよう。
これからも一緒に色んなところに行って気持ち悪いロックしよう!

ひねりのない不平不満お断り

2007年04月20日 00時31分49秒 | 糞ぼやき関係
あるプロミュージシャンがこう言ってましたよ。

ミュージシャンがツアーやライブで身体を壊す理由。

それは精神的ストレス。
毎日めまぐるしく変わる環境に着いていけなくて心の方から参ってしまうらしい。
好きな音楽を仕事にしてるのにね。もったいない。


でも彼はそんな仕事をやっていくためにストレスを避ける方法を編み出したらしく、それを教えていってくれました。


その方法は簡単。

暑い、寒い、眠い、だるい、腹減った、痛い、苦しい、疲れた

とか、そういった人間らしいネガティブワードをなるべく使わないようにするんだって。

確かにいますよね。
会ったら開口一番眠いだの寒いだの言う奴。
中学生の頃自分は一度それに頭きて、相手をまくしたてたらがっつり返り討ちにされました。ぶん殴られました。


ネガティブな感情に対しては虫のような心を持つといいんだって。
超鈍感にして最強、悪食。



それも良いけど、腹減っただのなんだのをまさに「腹減りました。それだけです」みたいな顔と声で言うから悪いんじゃないかなと思うのです。

たとえばお腹が空いたら「腹減った」ではなく「チャーハン」とか「にく」とか、そのとき食べたいものを言ってみるのです。
「腹減った」だけだと一緒にいる相手が困るのです。
「チャーハン」と言われればチャーハンの美味しいラーメン屋のひとつでも頭に思い浮かべるというものでしょう。

自分もそうだけど頭を使わない面白みも何もない言葉ってのが多すぎて。

そういえばある漫画で不気味な感覚の事を「ケツの穴につららを突っ込まれたような感覚」と表現していたこともあったなぁ。

そんなことされた奴なんていないだろうに、だがしかし、なんだろうこのリアルに存在示す不快感は。

うむ。
うむ。うむ。素敵だ。
なんて素敵なネガティブワードでしょうか!


教養のない抵抗は戯言、面白みのない不平不満は死罪。

みなさんもへろへろになっている時こそ真価を問われていると思い、強烈な一言で事を裏返して見せんとすべし。

もしも

2007年04月17日 00時57分25秒 | 糞ぼやき関係
もしも僕がこの世界に生まれてこなかったなら
僕のこの赤いギターはいったい誰が弾いていたんだろう

もしも僕がこの世界から跡形もなく消え去ったら
いったいどれだけの人達が涙を流してくれるのだろう



お馴染みブランキーの「狂った朝日」からの一節なのですが、このバンドの歌詞は多くの人にとって衝撃的であることでしょうね。

彼らの「ロメオ」って曲の一節、

悲しみが嫌いだったら気の触れたふりをすればいいし
別に悪いことじゃないさ
ねぇあんた少し変だよ

この歌詞が大好きでして、実践というか以前から自然とやってたりしますね。こういうことを。


そしてこの「狂った朝日」。
僕はこの歌詞はけっこうポジティブな気分になれます。
「もしも僕がいなかったら」って考えると、まぁそれはそれで何事もなかったかのように世界は回っていたのでしょうが、
人の記憶のどこかに残っている僕の言葉や僕の記憶、僕と過ごした時間、
そういったものの一切は僕がいない世界では無価値になるのですが、
残念ながら僕はここに居ます。

存在することは罪ではないどころか、それだけで価値があることなのではないでしょうか。

頑張るとか評価されるとか以前の話。

そう考えると感情のない魚や虫にも存在してる時点で何らかの価値があるってこと。

宇宙規模で考えるとなんともかわいいかわいい自分の価値もイワシやハサミムシのそれと同じってこと。


とは思いませんか?






また尻が痒くなるようなこと言ってしまいました。
最近少し大人にならなくてはいけないと考えているのですが、
結局こっちの方向に来てしまいました。
大人を通り越して達観の域!!笑


いやいや感情に振り回されて毎日過ごしてますよ。

水はうまい。コーヒーはまずい。

2007年04月10日 23時33分29秒 | 糞スケベ関係
ちょっとお疲れ気味のチュ・マスカキ・ショタです。
不利な状況でこそクールなこと言ってのける男になりたいのですが、それは夢のまた夢、チュ・マスカキ・ショタです。
そりゃ誰でも疲れるときくらいあるサ。
久しぶりに会った友達に痩せたと言われました。
いつも会っていたらなかなか分からないことです。
ましてや自分ではさっぱり気づかないことです。
スリムになれて嬉しいな。
でも分かって欲しいのは本当に久しぶりに会った友達だったんだ。
たまたま眼鏡を外して鏡を見たらくっきりとクマが浮いてたクマよ。
眼鏡をつけてるからなかなか分からないから良かったなぁと思いました。
流石にちょっと疲れているのだなぁと思ったものでした。
ところで今日一人になれそうなお気に入りの場所になりそうな場所を見つけました。
多分そこは街の中でもかなり高いところにあるところです。
僕はそこでサンドウィッチを食べたい。
ところででも分かって欲しいのは本当に久しぶりに会った友達だったのです。
最近車に轢かれる夢を見ました。
もし自分が死ぬのならば交通事故でさくっと死にたいなぁと思っていたのですが、やはりそれは嫌だなぁと思って老衰でふぁさっと死にたいなぁと思いました。
だってなぜかというと交通事故とは言ってもそれが大型トラックだったから自分の目の前に迫る迫ってくる迫ってきたトラックは余りにも大型で、だからといって車の下に逃げ道があるわけでもない、とにかくそのトラックはそれは大型で、こいつはその瞬間に走馬灯を見ても仕方のないことであるなぁと思いました。
車くらいの速さで突っ込んでくる大型トラックに跳ね飛ばされることを考えたら大体の悲しいことはどうだって良くなると思いませんか。
しかし人の死に方といえば外すことができないのが、スカイダイビングで地面に激突、これしかないだろ。そうだな。
パラシュートが開かない、または変な引っかかり方をしてきりもみになって地面に落下することを考えると、スカイダイビングをやる人は頭にドリルをつければいいと僕は思いました。
しかもその瞬間その人はパンジーみたいな顔してる。(๑◕ฺฺܫฺ←๑ฺ)

包む

2007年04月08日 00時58分41秒 | 糞ぼやき関係
僕は高校三年生の頃、大学受験のために家庭教師に勉強を教えてもらっていました。

家庭教師と言ってもト○イみたいなところの人ではなくて、自分の父と個人的に知り合いだった男の人で、見た目は髭を生やした山男風で、有名人で言えば空手家の角田師範みたいな感じでした。

大学の同級生で家庭教師のバイトをしている人が何人かいましたが、はっきり言って「お前が人に教えちゃっていいの?」って思ってました。
でも、角田先生(仮)は本当に頭の良い人でした。
今は研究室で働いているらしく、当時も大学院に通っていました。
僕にデカルトの「方法序説」をプレゼントしてくれたりと、当時ディープだった僕のことをとても理解してくれて、学校では人生の恩師と呼べるような人はいなかったけど、この人ならそう呼べる気がします。


哲学をやっていると最後には必ず物理学にぶつかると言う話の通り、彼が当時やっていた研究のテーマは簡単に言うと「生命の発生は「包む」ということから始まった」というものでした。

彼の仮説では、生命が存在してなかった原始地球で生命が発生したのは、何かのきっかけで無秩序な状態だった高熱の海の中でどろどろが風呂敷が袋状になるように「包む」ことから始まったのです。

包むことによってその内側と外側は一枚の壁で隔絶されます。
それが「細胞」なのです。
細胞の中は風船の中の水のように万物の元となる様々な物質が詰まっているのです。





僕なんかでは彼の仮説に何か発展的な意見を述べることはできませんでしたが、当時も今もこの考え方は僕にとってとても新鮮かつ魅力的なものでした。

何もない砂漠では木とかなんでもいいから少しでも身を寄せれるものから離れないように歩くように、または虫が暗くて狭いところに集まるように。

そんな安心を求めるような何者かの意思が生命が発生する以前の原始の地球で働いたのではないでしょうか。

これまで貴方は世界のどの集団にも属してなかったことがありますか?
そんなことはありえません。
まぁこの場合、個人の意思が働く前に決まってしまっているところがあるのですが。


塵が寄り集まって自らを包み込んだように、僕たちには集団に帰属したいという意思が備わっているのではないでしょうか。
そうしないと不安で仕方なくなるという意思が常にあるのではないでしょうか。



だから、本当ならまったくの一人になってしまう人なんてこの世にはいないはずです。
どこかで自他共に自分が集団を形成する要素となるにふさわしいと認める集団が存在するはずなんです。



欧米流の個人主義を歪んだ形で取り入れている日本ですが、人である限り、常にどこかに帰属しているということを認め、自分も細胞のひとつとなることの意義をもう一度考えてもいいと思います。






先生の論に対してもっと的確かつ刺激的なことをコメントできる頭が欲しいです。

スターゲイザー

2007年04月06日 01時09分12秒 | 糞心ワープ関係
レイブって野外DJパーティーみたいなものがあるんですけど、
僕はそれに行ったことはないけれど、きっと凄いんだろうなって思うのです。


きっとそこはストーンヘンジみたいな開けた野原で、ずっと昔の人口の石のモニュメントの真ん中にDJブースがあって100人か1000人か、とにかくたくさんの人たちがクサやタマやキノコなどそれぞれのお気に入りを食って踊りまくっているんだろうな。


試合後のサッカー選手みたいに汗だくで半裸の男がゆらゆら謎のステップ踏み続けてたり、ヒッピーカルチャーにどっぷりって感じのお姉さんが激しくのってたり、旅の途中のバックパッカーが何処かで聞きつけて汚いバッグから何処かで手に入れた秘伝のドラッグを取り出して、これが自分の使命だとばかりに初めて出会った友達に自分の体験した宇宙を教えてあげたりして。


きっとDJが流すのはサイケデリックトランスってやつなんだろうな。
そこにいる誰もロックなんて聴きたいとは思わないだろう。

人々は機械と自然の力を借りて宇宙を見れると信じている。

電灯なんてない代わりにかがり火が盛大に焚かれている。



空は誰も見たことのないような満天の星。
流れ星も惜しみなく流れ放題。
誰もがここに初めて辿り着いたとき、その星空の美しさに一瞬心奪われる。

しかし、それは本当に一瞬のことにすぎない。

何故なら今日はありったけの機械と自然と音、それらの力を借りてそれぞれの宇宙を見に来ているから。
どんなにとびっきりの星空も催し物のひとつに過ぎないのです。



そこに居る僕もきっと酒なりドラッグなりをやって踊りまくっていることでしょう。


けどやがて僕はその場から少し離れて一人座って星を見続けることになるだろう。

心地いい疲れか、高揚感か、それともとびきり惨めな気分か。
そんな気分で星を見続けるだろう。


そうして色々物思いにふける。

まずは音のことを考えるだろう。
サイケデリックトランスのこと、ロックのこと、もっと高尚な音に気づき始めてるかもしれない。木立を越えたところにある国道から聞こえる車の音にも気づいてしまってるかもしれない。


次に人のことを思う。
自分の知っている人すべてのことを考えることが出来ていたら素晴らしいことだと思う。
好きな人、嫌いな人、よく知らないけど顔くらいは知ってる人、それら全てのことを等しく考えていたら、もうその時はこんなつぶやきも二度と漏らさないことだろう。


やがて絶対予想できる事態として、ずっと気に入った言葉をつぶやき続けるだろう。
わんわんわんサバイバルわんちゃん、にゃんにゃんにゃんサバイバルにゃんこ、わんわんわんサバイバルわんちゃん、にゃんにゃんにゃんサバイバルにゃんこ、わんわんわんサバイバルわんちゃん、にゃんにゃんにゃんサバイバルにゃんこ、わんわんわんサバイバルわんちゃん、にゃんにゃんにゃんサバイバルにゃんこ・・・・


もう何にもなりたくない?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?
何にも?



----以外の何にも




あらら。もうそこまで行ってしまったら僕はまた踊るより他にないだろう。

ただしあの場にいながらも僕だけは一瞬たりとも忘れないでおこう。
この時この場所は、星空のためにあるのだ。







明日も良い日でありますように。

デストローイ

2007年04月03日 22時37分59秒 | 糞何気ない日常関係
久しぶりにギターを弾こうと思ってケースから出してみたらボディがばっくり二つに割れてて、ブリッジもひしゃげて用を成さなくなっていました。

つまり完膚なきまでにお釈迦様になっていたのです。

うん、きっとあの時だな。

その日は家からそのギターを持って行ったものの、ライブで使うこともなく、ライブが終わってただ持って歩いてたんです。
それで、なんかむしゃくしゃしてやっちゃったんです。
地面にケースごと思いっきり、叩きつけちゃったんです。

15歳の頃、叔父さんに貰ってその時から使い続けたギターです。

ギターにかわいそうなことをしちゃいました。
むしゃくしゃした理由ってのもくだらないし。
せめてステージで叩き折ってあげたかったな。
下らない持ち主に下らない壊され方をしたギターは何を思うのでしょうか。
きっともう何も考えたくないのでしょうね。


ギター折るのってロックしてる、なんかかっこいいって思ってましたけど、この場合惨めさとか申し訳なさしかありませんね。

もう5000円くらいのギターしか使いません。

外食の難しさ

2007年04月01日 22時46分12秒 | 糞何気ない日常関係
今日久しぶりに某ラーメン屋さんに行きました。

よくやらせてもらうライブハウスのすぐ隣にあるので、バンドマンにはご用達であるとかないとか。

でも僕は滅多にそこに行かなくて、今日は2~3年振りにそこに行ったことになる。


もともとラーメンは余り好きではありません。
好きではないってのは言いすぎかもしれないけど、とにかく自分から好んでラーメン屋さんへ行こうとは思わない。
同じ麺類ならスパゲティや蕎麦の方が好きだしね。
とにかく余りうきうきした気分にはなれないのです。


実際その店に入ってみると、別のお客さんに怒鳴られるし、店員のおばちゃんが若いバイトを叱ってるのが見え見えだったりで、余り素敵なランチタイムとは呼べないひと時でした。

バイトの教育って目の前でやられるとめげますよね。
悲しくなる。


でも一緒に行った友達はそこへよく行くらしく、店から出るときもお皿をカウンターの上にあげたりして偉かったなぁ。
僕なんかは一秒でも早くそこから出たかったものだけど。



そう考えると外食って大概のところで何かしらめげることがあるんです。

某カレー店ではカウンターの向かいに座っている客はいつもくちゃくちゃ音立ててるし、
某居酒屋では壁の向こうから学生の先輩コールが聞こえてくるし、
某ファーストフード店にはいつもギャル男がいて、



今思いつく僕が一番落ち着く店は、近所のインド人がやってるカレー屋さんでした。



どうしてか厭世観みたいなものを感じます。