ンデンデキ外伝

僕の話をしよう。

それでも音楽だけは染みた

2007年08月31日 00時19分39秒 | 糞何気ない日常関係
ふつーに日記書きますね。

最近まさに青天の霹靂と言うべき出来事がありまして、ちょっと疲れてます。

人が聞いたらまだはっきりしないし、わがままも大概にしろってことかもしれないけど、環境への順応性が低い自分をぐらつかせるには十分すぎる出来事でした。


今日はライブハウスにパンクを聴きに行きました。

ツアーで湘南から来てたあるバンド、ヴォーカルがハワイ出身のアメリカ人でした。
始めは顔の濃い日本人かと思いました。
けど、MCが片言の日本語でした。

彼らの音はゼブラヘッドみたいな感じと言ったら良いのかな。
客と一緒に手振ったりして。

普段だったらそんなことされた暁には隣のコンビニに即避難してるところなんですが、今日は、湘南、陽気なアメ人ってせいでもあったのでしょうか。
何故かまったく嫌味を感じず、最後まで一番前で見入っちゃってました。
まったく趣味じゃないはずなのに、やっぱり楽しい音楽は好きだ。
音が外(客)に向いてるバンドってのは良いもんだ。


次に目当てで行ったバンド。
個人的に負けたくないバンドなので、睨むように見てやりました。なんぼのもんじゃいって。

しばらく聴いて「あ、音が内に向いてる。ダメだ、今聴きたかったり目指したいものじゃない」って思ったのですが、何故か自分のガン飛ばしが止まらない。
そこから動けなかった。

一歩も動かずにエネルギーの動きみたいなものを見極めようとしていた。
大爆音にも関わらず、音が外に向いていないため、そういうものを感じ取ろうとすると、よーく覗き込むようにしないといけない。
持ってかれてディープになるようでも、それはなるべくしてなったこと。
それは音楽に心が揺り動かされたってこと。

バンドの音と心のベクトルが外か内かだけで音楽の良し悪しが決まるわけではないのですね・・・。


今度ライブハウスに行くことがあったら、映画のワイドスクリーンを見るようにバンドを見てみて下さい。
そこにある、見えるもの全てをぎょろぎょろと目視してみてください。
ライブはCDと違って目でも楽しむものです。

で、その見方を一通りやったら次は、そこにないはずのものを見ようとしてみてください。
特に一番前の客とバンドのあいだの空間と、バンドのメンバー同士の僅かな空間。

その辺りに何かが滞留しているように思えるのです。



とにかく最近は辛いけど、今日の音楽を楽しめて良かったな。日記おわり。

発声

2007年08月27日 00時39分31秒 | 糞心ワープ関係
声には二種類あるのではないでしょうか。
別にひねったことじゃなくて、
ひとつは自分の外側、相手に向ける声。
で、もう一方は自分の内側に向ける声。
前者は音として出されるので、誰にでも聞こえます。
対して後者は音を出さないので、自分以外の誰にも聞こえません。
とても単純です。
けど、多分普段自分たちが一番頻繁に使う言葉の切り替えだと思います。敬語や言語の切り替えよりもずっと頻繁に。

なんで内側に向けた声が他人に聞こえないのか。
それは人に聞かれてはまずいからです。
もともと頭が発声器官と結託して、これは誰に聞かせるべき言葉だろうか、自分だけに、それとも他の人に?
結論--これは他の人に聞かれる必要はない。自分の頭の中だけに響かせよう。
こんな具合に。

頭の判断はほとんど疑いの余地の入らないくらいに正しい。
なんせ一日で紡ぎ出される言葉の大半、恐らく9割以上は頭の中だけで発声されているのだから。
それが全部人に聞こえちゃったら大変です。
ナイトヘッドの弟は本当に大変です。
「兄さん!あの人もその人も、みんなエッチなこと考えてるよ!!!」
みたいな。


だから脳の判断に敢えて逆らって人に伝える、本来自分の内側にだけ向けられた声ってのは公害、テロ、破壊光朔などなど・・・各種迷惑行為にあたるわけです。

こういうブログとかみたいにね。

実際「おいおいそれはお前の頭の中だけに留めておけよ」って話されても困りますよね。

なかなかに日本人的な発想ですよね。
いわゆる「沈黙は金なり」のことですよね(意味あってるよな?)。


でも、表現作品の全ては例外なく、内に向けられた声を外側に向けて実体化させたものですよね。
やっぱりそういう声を聞きたいんですね僕たちは。
「本は心のオアシス」なんてしっくりきますね。
普段9割も節制されている言葉をオアシスの湧き水の如くがぶ飲みできるのだから。

面白いですよね。
普段タマキンみたいな言葉でばっかり話す自分が、こういう文章を書くときは頭の中ではしっかりこんなインギンな言葉で語っているのだから。ハイネックのセーター着てそうですよね。

ヤンキーの書いた作文とか最高に面白い。
リーゼントの中にちっちゃいリーゼントが居て、不慣れな感じの敬語でぽつぽつ呟いている姿を想像してしまいました。

あと「頭の中でだけ言う口癖」って絶対ありますよね。
ちなみに自分は「だって三歳だもん」を一日四回くらい言ってます。頭の中だけでね。

ピロートーク(長げーです)

2007年08月21日 22時32分42秒 | 糞心ワープ関係
「アタシ、死ぬのが怖いの」


やおらこんなことを言ってのける。
構って欲しいって腹が見え見えだ。
だから女ってやつは面倒なんだよ。
けどまぁ良い、ちょっと付き合ってやるか。


「死ぬのが怖い?」


オウム返しは相手から話を聞きだす基本的テクニックだ。


「アタシ知ってるの。いつかこのデカパイもそこのコンドームみたいにシワシワになって、そのうち誰からも構ってもらえなくなるの。そして最期にはフードセンターのお惣菜売り場でメンチカツを揚げ続けて忘れられてくの。ジャーマンテクノ。」


それは死ぬのが怖いのとはちょっと違うんじゃないのかと思ったが、言葉は飲み込んだ。
僕がどうしてこの女を誘ったのかを君に話しておくよ。
それはこのサッピョロで最も頭が悪い客が揃うというクラブ「ビブ~ティ~」のフロアーの中でこの子が一番頭悪そうに見えたからだ。

頭の悪い女の子は大好きさ。
やたらと頭の回る女なんかよりずっと良い。色んな意味でね。
彼女を初めて見たときは、どうしてこんなところにマッチ棒が立っているのだろうなんて思っちゃったね。

そんなこんなで現在僕は彼女とマッパで哲学的議論に華を咲かすはめになってしまったわけだ。
フロイト先生の言うところで言えばこれはなんだ。まぁいいか。


「なるほど。君のデカパイにはそんな思いが詰まっていたってわけだ」

いや、本当にでかいんだ。
初めに彼女をマッチ棒と見間違えたってのに、開けてびっくり玉手箱ってわけさ。ホント、たまげたよ。


「僕はあの店で君を見たとき、ほとんど一目惚れだったんだよ。運命なんて信じちゃいないけど、この子とだったらそれもありかななんて思っちゃうくらいにね。だから君がそんなことを思っていただなんて、それは悲しいことだよ。女の子がそんな仏陀やゴッホが考えそうなことで胸を一杯にしちゃいけない。女の子はもっと素敵なことで胸をいっぱいにしないと。ボインが泣くぜ?」


まったく我ながら舌を巻く。
閻魔様の前に立つのが楽しみだよ。


「素敵なことって一体なに?」


ああ、やっぱり馬鹿だ。
そのくらい自分で考えろよな。


「それは色々さ。クリスマスにお洒落して公園を歩いたり、友達とクラブでレゲエを踊ったり。可愛いものや綺麗なもの、女の子にとって素敵なものなんてそこらじゅうにゴロゴロしてるさ」


「・・・それって男女差別よ」

途端に彼女はふてくされる。
ああ、馬鹿なのに、これだから面倒くさいんだよ。

「レゲエなんて、ボブ・マーリィだって死んだじゃない。きっとクリスマスだっていつかはお惣菜売り場でフライドチキンを揚げ続けるだけの日になるのよ。そんなの全部おっぱいと一緒で膨れるだけ膨れてあとはしぼんでいくだけなのよ」


・・・実は僕は拳法の使い手で、人を一瞬で黙らせる秘孔を知っている。
そいつを今すぐ押してやろう、なんて馬鹿なことを考えてしまうくらい面倒くさくなってきた。
女をよがらせる秘孔だったら知ってるのにな。くそ。
彼女ときたら今にも泣き出しそうだ。勘弁してくれ。泣きたいのはこっちのほうだ。


「分かったよ。お願いだからもう少しだけ、僕の言うことを聞いてくれ」

一息置く。

「さっき僕はふりかけたじゃないか。」

そうだ。僕はさっきしたたかに放った。男優並みに、立ち膝で。

「あれはね、生死をかけたんだよ」

ドーン!と心の中で言ってみる。

「そして君は・・・」

「「生死を飲み込んだ」」




YEEEEEEEEEAAAAAAHHHHH!!!!!!



瞬間、強烈なハグ。

「それって凄いことじゃない?悟りだよ!解脱だよ!BUKKAKE!」

「うん、素敵!BUKKAKE!GOKKUN!」

「うん、素敵だ。すまないんだけど、僕の煙草を取ってくれないか。そう、ピーススーパーライト。ピースは軽いほうが良い」

「はいどうぞ。じゃあアタシも吸うわ。アタシはアタシのホープに火をつけるわ」




・・・いやはや、こんなことってあるんだね。
まったく彼女が馬鹿なことに感謝するのみだよ。
でもそんなこと言いつつ、今僕は彼女が本当にクリスマスにお洒落して公園ではしゃいだら可愛いだろうななんて考えちゃってるんだな。これが。
ホント、参っちゃうよ。

参拝

2007年08月14日 00時37分11秒 | 糞何気ない日常関係
お盆なのでお墓参りに行って来ました。
お墓は好きです。
大体行くのは一年のこの時期だけなので、空は高く晴れ渡り、サンダルからはみ出た足に直射日光がじりじり射し、それにひしゃくで冷水をかけるととても心地良い・・・そんなイメージが一番強いので、お墓は好きです。

とは言っても信仰心などは皆無と言っていいほどです。
むしろ自分くらいの年で慣習ではなく、心から信仰に則ってお墓参りに行く人を見てみたいくらいです。

とは言ってもとは言っても、お墓の前に居るときくらいは穏やかな心で過ごしたいので、帽子を取り手を合わせることは欠かしません。当然っちゃあ当然だけど。
ナンミョーホーレンなのかナンマンダブなのかも良く分かっていないので、ただ手を合わせて目をつぶるだけですが。
そのとき、信仰がないなりに敬意をあらわす為に、心の中でお墓の中で眠る人のこととの出来事を思い出し、自分の近況なんかを伝えてみるのです。


さて、ここまでしっかりいい格好しといたので、ここからは言わせてもらいます笑

墓なんてないに越したことないと思います。
少なくとも自分にとっては。なにかとめんどくさいだけにしか思えません。
墓参りも葬式も、生きている人のためのものでしょう。
年々馬鹿みたいに増えていく霊園の墓石を見ているとそう思えて仕方ありません。
葬式でお酒を飲んで談話していた自分を鑑みてそう思えて仕方ありません。


永代管理って。人生80年かそこいらに対して永代って。

時の権力者ってのは自分の栄光を後世に伝えるために建造物を造らせたりするそうな。
ファラオのピラミッドとか税金で作った保養施設とかね。

墓がそういうものばかりだとは言わないけども。

忘れ去られることは怖いことだけども。



これ以上言ったら祟られそうなので止めにします。
最後に悶々とした自分の考えに花を添えてくれた、今日人から聞いたアイデアでしめます。


・花火葬
「死んだら焼いてつぶして粉にして火薬と混ぜて打ち上げれば良いじゃない」


以上、皆様手を合わせて頂いて。合掌。

敵は多いほうがいい

2007年08月12日 02時40分12秒 | 糞ぼやき関係
お久しぶりです。
新聞代わりに読んでいてくれた人には寂しい思いさせてしまい、申し訳ありませんでした。
しばらく文章なんて「報告書」なんていうまともな人間が読むものではない代物ばかり書いていたので、つまらんものしか書けないかも知れませんが、またお付き合いください。



敵は多いほうが良い。

仲間や友達がいても、それ以上に敵が多いほうが良い。
というよりその方が普通の状態で、敵がいないように思える状況こそがまずい。
そして仲間がいくらいても、結局何かをやるときは一人であるということを忘れてはいけない。
どんなに仲が良い友達よりも貴方と一番長く一緒に居る友達は「孤独」です。
孤独を愛し、孤独と会話しましょう。


ところがその時、天の声が舞い降りた。

「カメムシよ、敵などいない。誰もお前を憎んでなどいない。ましてや誰もお前を攻撃などしない。何を恐れ、憎むのか。カメムシよ。お前が敵と思う者に、道の行きかたを尋ねてみるが良い。きっとその者はお前に分かりやすくその道を教えてくれることだろう」


ああ、なんて温かい、ジーザスクライスト。
黙ってろクソが。


僕は僕の強迫観念めいた自意識と、それを聞いてくれる孤独と一生連れ添うと、自分で決める前から決まっていたのです。
お母さんのおっぱいならとっくのとうにペラペラになるまでしゃぶりつくしてやったぜ。

一人でカラオケへ行くのは気分が良い。
一人で弁当を食べるのは気分が良い。
一人で映画を見るのは気分が良い。
一人で文章を書くのは気分が良い。
一人でクラブに行って、バタ臭い曲に合わせて気持ち悪い動きしてる奴らの中に分け入って行ってもっと気持ち悪い動きしてやるのは最高に気分が良い。


爪楊枝の頭が沢山並んでるのを見ると気持ち悪くなるのと同じで人が沢山居るのを見ると気持ち悪くなります。

だから、好きなことでも、
大勢のキャンプ客とか、ライブハウスの前でたむろってる人とか、そういうの見ると気分悪くなります。
そういう中に自分も居て、楽しんでいるのも事実なのですが、時々自分も友達もみんな爪楊枝に見えて気分が悪くなる。

わけない。

こともない。