7月20日(火)
ASさんから電話。傍観者としての視点と当事者としての感覚。同じ作品を描き直しすることの意義、あるか否か。クリアできてないことを疎かにしたまま先へ進んで良いのか。「青いもの」への回答、という回答。カミングアウトすることの震えるほどの恥ずかしさ。告白しなければ今の状態のままでいられるだろうけれど、という停滞が現状であるという認識。そこからの脱却。4部構成の着想。
SUさんへ電話。SUさんは気にされていないそうだが、謝罪。当事者としての責任を放棄しようとしたことは反省しなくてはならない。新情報教わる。あることに対し情けなくなる。
AHさんに電話。同じことの謝罪。児童ポルノ法がマンガ全体を含めたサブカルチャーに対して与える影響、他国との違い。勇気づけられる。ありがとうございます。
HYさんから電話。ありがたやありがたや。
7月19日(月)
下絵がどうにか。
ロフトに行く。カナダでは『10歳の子供がレイプされて』という文の書いてある本を持っていると、単純所持で捕まる、だっけ? 記憶が怪しい。コピーライトではなくコピーレフトという概念。メジャーな作品は公共物である、という判例のあるフランスの例。理論の共有。自分たちのしていることを「外へ」説明することの、説明責任。
打ち上げでしくじる。
竹熊健太郎氏とお話。八幡書房創設者について。反体制活動からオカルトへ、というライン。
打ち上げ後、Nを交え反省材料を数えようとする。認識のズレ。Nと話してる間に身体がわなわなと震える。大丈夫か? と訊かれる。
「たぶん無意識下で怒りを覚えているんだ。意識の上には上っていないから大丈夫だ」と言う。
7月18日(日)
記憶にない。仕事進めてなかったように思う。
7月17日(土)
記憶にない。たぶん何もしてなかったと思う。
7月16日(金)
DIさん、早朝に来る。今週から私が行く、という話になっていたG社のアシを継続してしているとのこと。
寝て、起きる。電話代支払い。メールチェック。消耗。…早く忘れよう。
7月15日(木)
つまらないことで消耗する。面白いことでは疲労はしても消耗はしない。SUさんと電話で話して、少し回復。
メモ。行動しないことを観念で埋めようとすると、非健康的になりやすい。およそ頭の回転が早い「だけ」の人間ほど、非生産的で無益な生き物はいない。「行動できない」ことを「できないんじゃなくて、しないんだ」と、論理のすり替えを自分にする。「行動しないということは、自分が誰よりもよくわかっていることの証明だ」。だが、行動「できない」不安感無力感は彼を離さず、彼はその不安感無力感を埋めようとまた観念に耽溺する。
意識的に頭の回転を「遅く」する訓練ができている人間とできていない人間ではどえらい差がある。
処世としての「バカのふり」には色々あるけど、自身が軽蔑を覚えるタイプのバカのふりをすることは不幸だ、と思う。「俺はこういうことしてんだけど、本当はわかってるんだよ」と仮面としての「軽蔑されるようなバカ」を自身の内面/実存から当人が切り離した気になったとしても、「軽蔑されるようなバカ」なのは彼自身なのだ。
敏感であることと賢明であることは同義ではない。
メモ。ボランティアは無償であるがゆえに、官僚的になりやすい。これだけ無償でやって「あげて」いるんだから、俺に感謝しろ、という考え違いが発生する。悪しき官僚主義だ。組織は原則オープンでなくては未来を自分の手で摘み取ることになる。組織に守秘義務は当然発生するが、外に対し秘密主義を肯定するようなら最低だ。右手のしていることを左手が知らない状態のなかで、左手として行動するのは、正常な人間ならうんざりする。
寝て、起きると、また電話が止まってる。
メモ。自分自身へ宛てた手紙を。
7月14日(水)
メモ。 「曖昧」と「矛盾」と「両義的」の区別。この三つは混同されやすい。
物事の多くは「両義的」だ。ものには表面と裏面がある。同じ問題が、対照的な二つの表れをすることはよくあるし、同じ人間が同時にそれを抱えることも多い。他者を嫌悪するのは自己嫌悪の裏面だし、何事かにこだわらずにいられないとき、なにかに振り回されているとき、それは一見「矛盾」しているような極端な二つの姿を外に表す。
ある人物の行動が「矛盾」していると評される際、その「矛盾」は、同一の原因によって発生している。その同一の原因から行動を眺めなおすと、「矛盾」は「矛盾」でなく、一貫したものが見える。
自身に対し、この、一貫した、同一の原因を見極める努力を怠ることを、「曖昧」と呼ぶ。「曖昧」は行動の「矛盾」に対し無自覚であることを容認する。結果、当人は「矛盾」を増大させ、「両義的」であるものの一方、自身の裏面をとことん見失い、馬鹿げた行動を繰り返し、止められなくなる。自身を振り回すなにものかの奴隷となる。
「矛盾」を恐れるな、と、私は君に言いたい。「矛盾」していない人間はいない。自身の「矛盾」に目を凝らせ。たまたま間違いを冒さなかったことと「正しい」ことは全くの別物だ。間違いをしでかすかもしれないことを恐れるな。そしてそのリスクは支払え。間違わない人間はいない。自分の誤りを受け入れる強さのない人間、自身の「矛盾」に無自覚な人間が絶望的に多いというだけのことだ。
「矛盾」しろ、「曖昧」に安住しようとするな、つきつめろ、それに囚われずに生きろ。
と、これは、『小さな玩具』の巻末鼎談のとき、言いたかったけどうまく言えなかったことです。今更ながら、言及しておきます。
体調。キョーレオピン、ユンケルEC飲んでないので、肝機能が弱ってることに気づく。薬買う。薬って高いなあ。
天気。太陽が見えたので布団干す。干している間に雨が降る。とり込むと太陽が見える。干す。とり込むと霧雨が降っていたり。大雨注意報が出てたそうな。
曽さん帰宅。今後二ヶ月いかに有効に使うかについて意見交換。曽さんの次のマンガについて意見交換。「運」「努力」「才能」「風水」「作品世界内のルール」「ヒーローの描き方」とか。曽さんとマンガの話したので、だいぶ気分転換になる。
7月13日(火)
原稿する。ASさんから電話。マンガ家が最も戦うべきは「孤独」で、インターネットに溺れてると戦いに負けるという話、忠告される。
マンガは目的か手段かという話する。ASさんには目的、私にとっては手段、とかいう話になる。
「目的になりませんか」と、ASさん。
「いやあ、『承認』得るためにやってるわけだからなあ」
DIさんとASさんとの間で会話がなりたたなくなっている、という話聞かされる。ああ、DIさんも同じこと言っていた。傍で二人の会話聞いていると、通じているようで互いに全然通じてない。なぜそうなるのか、ということについていくつか分析試みる。
少ない論拠をもとに論理を暴走させる傾向は、私の知りあいにはわりと多い。マンガを描くということはそういうことだから、なのかもしれない。そのため、互いの言葉が通じなくなりやすい。
友情を大切にするには、相手がどういう制約下にあるかを理解しあう必要がある、という話する。相手がどういう制約のもと、どういう限定で語っているのかを取り違えると、会話は通じなくなって当然だ。
けど、同年代同士の付き合いは、ひょっとしたら互いに思いやる必要はあまりないのかもしれない。という話する。うっかり共依存関係になって、互いに凭れたままずぶずぶと低きに流れてしまったら最低だからだ。
7月12日(月) スター・ウォーズ(ネタバレの恐れあり。注意)
「スターウォーズ・エピソード1」、DIさんと観る。DIさんと感想の交換。
「面白いでしょう」と、DIさん。
「うん、面白い。…キャラ造形が書割的、というのはたしかにあるけど、観たこともない映像の中に、見たこともない複雑な内面を持ったキャラが出てきたりしたら、きっと、観ててなんだか訳判らない代物になる。
これは画面をひたすら楽しむ映画だからこれでいいんと思う。
ただ、欲を言いたくなる気持ちはわかる。あと、ほんの少し、の踏み込みが足りない、と、感じるところが何ヶ所かあった。
ジェダイの騎士は、アナキンの母親ごと救うことをもっと懸命に努力し、努力したんだけど力及ばなかった、という風にしてほしかった。
アナキンはジェダイの騎士を助けることを申し出るが、その行為にアナキンの側のメリットがない。これは、たとえば、アナキンがジェダイの騎士に対し取引を申し出る、みたいな形にしたほうが、たぶん良かった。アナキンの賢さ、したたかさが、それで浮き彫りになるはずだ。…そうすれば、なぜアナキンが「ジェダイの騎士になるにしては年齢を食いすぎた」のか、という説得力がもっと出たはずだ。社会経験があった上で騎士になるほうが良いに決まってるじゃないか、と、映画を観ながら、私は思っていた。
…でも、やっぱ、ルーカスは凄いね。子供のころ想像したものを忘れずに、全部映像化しようとしてるもんね。会議する惑星の映像なんて、恥ずかしい50年代SFのころの未来像まんまだけど、それを映像化している。
…俺的には、女王の星の政治体制が興味深かった。民主国家名乗っていて、女王持っていて、女王は国民の選挙で選ばれてるでしょ。…きっとあの星では、都合の良いときには民主主義国家、都合の良いときには君主国家なんだ。たぶん王家の血筋は決まっていて、即位のとき儀礼的に信任投票するんだろうなあ。…あの女王はたぶん例外的に有能で政治に関心のあった君主で、先代先先代あたりはダメな君主だったんじゃないかな。官僚の力強いみたいだし」
そのあとスターウォーズ的なものを自分達がどうとり入れることができるか話する。たぶんDIさんが目いっぱいスターウォーズやって、結果出てくるものはナウシカだったりするんだろう、とか言う。ナウシカ目指すとポンポコになったり。
「アメリカは、まじめにスターウォーズみたいなバカな映画作れるところが強みなんでしょうね。日本だと、真面目な話は深刻になっちゃって、バカな話はいーかげんでデタラメな映画になっちゃう。良い所でのバランスがとれない。
もし日本で、たとえばスーパーマン作ったら、きっと『スーパーマンなんて実はいなかったのかもしれない』とかいう話になっちゃうんでしょうね。そーゆーのはもういいねん。こーゆーのは『ごく一部』の人がやっていればいいんだけれど、日本にはこの『ごく一部』しか良い作家がいないんだ」
とかいう話をDIさんがする。
「刑事さんは癒されるでしょうか」というマンガのネタを思いつく。DIさん、描いてくれ、君そういうの得意でしょ、とねだる。
7月11日(日)
同じページの下絵を描いちゃ消し描いちゃ消し。
7月10日(土)-7月7日(水)
「子供売り」下絵不調。
ISさんに長電話。
曽さん、仕事へ。
ASさんから一緒に作業しようという誘い。断る。
図書館で絶滅哺乳類の本見てるうち、「ネアンデルタールの歌」という着想得る。ノートする。
マンボウの会議に行く。そんなん行ける状況ではないのだけど。作業する。空しい。
DIさん「オースティン・パワーズ」借りてくる。見る。メチャメチャバカ映画で大笑い。「俺、こういうの大好き」とDIさんに言う。
DIさんと、なんで原稿描く意欲が萎えるのか話し合う。
7月6日(火)-7月5日(月)
田舎へ。健康診断する。肉体労働する。重いもの持ったので、右手の筋がつっぱる。雁を数えると35羽。帰路、肉体疲労のため、頭痛する。目玉がじんじんすることに気づく。実家にいる間はこの頭痛に無自覚だった。そうか、田舎で生活するためにはこういうのに無自覚でいないとダメなのか、と、思う。肉体労働に比べると、漫画描きというのはいい仕事だと思う。
部屋に着くと、ちょうど曽さんが帰ってきたところ。曽さんのビデオ録画予約、盗聴法集会のニュース録画のとき解除したまんまだったことに気づく。ぎゃ。曽さんごめん。
7月4日(日)ー7月2日(金)
「子供売り」下絵する。不調。UJさんから仕事もらう。JR大宮駅のゴミ袋のイラスト。資料受け取り、食事一緒する。一日で描きあげる。
G社から電話。アシ探してるとのこと。自分が名乗りあげるが、今週必要とのことで数人に声かける。DIさんの都合がわりといいらしいとわかり、伝える。
7月1日(木)
「子供売りの季節」ネーム出来。ファクスする。2箇所変更。
ASさんから電話。傍観者としての視点と当事者としての感覚。同じ作品を描き直しすることの意義、あるか否か。クリアできてないことを疎かにしたまま先へ進んで良いのか。「青いもの」への回答、という回答。カミングアウトすることの震えるほどの恥ずかしさ。告白しなければ今の状態のままでいられるだろうけれど、という停滞が現状であるという認識。そこからの脱却。4部構成の着想。
SUさんへ電話。SUさんは気にされていないそうだが、謝罪。当事者としての責任を放棄しようとしたことは反省しなくてはならない。新情報教わる。あることに対し情けなくなる。
AHさんに電話。同じことの謝罪。児童ポルノ法がマンガ全体を含めたサブカルチャーに対して与える影響、他国との違い。勇気づけられる。ありがとうございます。
HYさんから電話。ありがたやありがたや。
7月19日(月)
下絵がどうにか。
ロフトに行く。カナダでは『10歳の子供がレイプされて』という文の書いてある本を持っていると、単純所持で捕まる、だっけ? 記憶が怪しい。コピーライトではなくコピーレフトという概念。メジャーな作品は公共物である、という判例のあるフランスの例。理論の共有。自分たちのしていることを「外へ」説明することの、説明責任。
打ち上げでしくじる。
竹熊健太郎氏とお話。八幡書房創設者について。反体制活動からオカルトへ、というライン。
打ち上げ後、Nを交え反省材料を数えようとする。認識のズレ。Nと話してる間に身体がわなわなと震える。大丈夫か? と訊かれる。
「たぶん無意識下で怒りを覚えているんだ。意識の上には上っていないから大丈夫だ」と言う。
7月18日(日)
記憶にない。仕事進めてなかったように思う。
7月17日(土)
記憶にない。たぶん何もしてなかったと思う。
7月16日(金)
DIさん、早朝に来る。今週から私が行く、という話になっていたG社のアシを継続してしているとのこと。
寝て、起きる。電話代支払い。メールチェック。消耗。…早く忘れよう。
7月15日(木)
つまらないことで消耗する。面白いことでは疲労はしても消耗はしない。SUさんと電話で話して、少し回復。
メモ。行動しないことを観念で埋めようとすると、非健康的になりやすい。およそ頭の回転が早い「だけ」の人間ほど、非生産的で無益な生き物はいない。「行動できない」ことを「できないんじゃなくて、しないんだ」と、論理のすり替えを自分にする。「行動しないということは、自分が誰よりもよくわかっていることの証明だ」。だが、行動「できない」不安感無力感は彼を離さず、彼はその不安感無力感を埋めようとまた観念に耽溺する。
意識的に頭の回転を「遅く」する訓練ができている人間とできていない人間ではどえらい差がある。
処世としての「バカのふり」には色々あるけど、自身が軽蔑を覚えるタイプのバカのふりをすることは不幸だ、と思う。「俺はこういうことしてんだけど、本当はわかってるんだよ」と仮面としての「軽蔑されるようなバカ」を自身の内面/実存から当人が切り離した気になったとしても、「軽蔑されるようなバカ」なのは彼自身なのだ。
敏感であることと賢明であることは同義ではない。
メモ。ボランティアは無償であるがゆえに、官僚的になりやすい。これだけ無償でやって「あげて」いるんだから、俺に感謝しろ、という考え違いが発生する。悪しき官僚主義だ。組織は原則オープンでなくては未来を自分の手で摘み取ることになる。組織に守秘義務は当然発生するが、外に対し秘密主義を肯定するようなら最低だ。右手のしていることを左手が知らない状態のなかで、左手として行動するのは、正常な人間ならうんざりする。
寝て、起きると、また電話が止まってる。
メモ。自分自身へ宛てた手紙を。
7月14日(水)
メモ。 「曖昧」と「矛盾」と「両義的」の区別。この三つは混同されやすい。
物事の多くは「両義的」だ。ものには表面と裏面がある。同じ問題が、対照的な二つの表れをすることはよくあるし、同じ人間が同時にそれを抱えることも多い。他者を嫌悪するのは自己嫌悪の裏面だし、何事かにこだわらずにいられないとき、なにかに振り回されているとき、それは一見「矛盾」しているような極端な二つの姿を外に表す。
ある人物の行動が「矛盾」していると評される際、その「矛盾」は、同一の原因によって発生している。その同一の原因から行動を眺めなおすと、「矛盾」は「矛盾」でなく、一貫したものが見える。
自身に対し、この、一貫した、同一の原因を見極める努力を怠ることを、「曖昧」と呼ぶ。「曖昧」は行動の「矛盾」に対し無自覚であることを容認する。結果、当人は「矛盾」を増大させ、「両義的」であるものの一方、自身の裏面をとことん見失い、馬鹿げた行動を繰り返し、止められなくなる。自身を振り回すなにものかの奴隷となる。
「矛盾」を恐れるな、と、私は君に言いたい。「矛盾」していない人間はいない。自身の「矛盾」に目を凝らせ。たまたま間違いを冒さなかったことと「正しい」ことは全くの別物だ。間違いをしでかすかもしれないことを恐れるな。そしてそのリスクは支払え。間違わない人間はいない。自分の誤りを受け入れる強さのない人間、自身の「矛盾」に無自覚な人間が絶望的に多いというだけのことだ。
「矛盾」しろ、「曖昧」に安住しようとするな、つきつめろ、それに囚われずに生きろ。
と、これは、『小さな玩具』の巻末鼎談のとき、言いたかったけどうまく言えなかったことです。今更ながら、言及しておきます。
体調。キョーレオピン、ユンケルEC飲んでないので、肝機能が弱ってることに気づく。薬買う。薬って高いなあ。
天気。太陽が見えたので布団干す。干している間に雨が降る。とり込むと太陽が見える。干す。とり込むと霧雨が降っていたり。大雨注意報が出てたそうな。
曽さん帰宅。今後二ヶ月いかに有効に使うかについて意見交換。曽さんの次のマンガについて意見交換。「運」「努力」「才能」「風水」「作品世界内のルール」「ヒーローの描き方」とか。曽さんとマンガの話したので、だいぶ気分転換になる。
7月13日(火)
原稿する。ASさんから電話。マンガ家が最も戦うべきは「孤独」で、インターネットに溺れてると戦いに負けるという話、忠告される。
マンガは目的か手段かという話する。ASさんには目的、私にとっては手段、とかいう話になる。
「目的になりませんか」と、ASさん。
「いやあ、『承認』得るためにやってるわけだからなあ」
DIさんとASさんとの間で会話がなりたたなくなっている、という話聞かされる。ああ、DIさんも同じこと言っていた。傍で二人の会話聞いていると、通じているようで互いに全然通じてない。なぜそうなるのか、ということについていくつか分析試みる。
少ない論拠をもとに論理を暴走させる傾向は、私の知りあいにはわりと多い。マンガを描くということはそういうことだから、なのかもしれない。そのため、互いの言葉が通じなくなりやすい。
友情を大切にするには、相手がどういう制約下にあるかを理解しあう必要がある、という話する。相手がどういう制約のもと、どういう限定で語っているのかを取り違えると、会話は通じなくなって当然だ。
けど、同年代同士の付き合いは、ひょっとしたら互いに思いやる必要はあまりないのかもしれない。という話する。うっかり共依存関係になって、互いに凭れたままずぶずぶと低きに流れてしまったら最低だからだ。
7月12日(月) スター・ウォーズ(ネタバレの恐れあり。注意)
「スターウォーズ・エピソード1」、DIさんと観る。DIさんと感想の交換。
「面白いでしょう」と、DIさん。
「うん、面白い。…キャラ造形が書割的、というのはたしかにあるけど、観たこともない映像の中に、見たこともない複雑な内面を持ったキャラが出てきたりしたら、きっと、観ててなんだか訳判らない代物になる。
これは画面をひたすら楽しむ映画だからこれでいいんと思う。
ただ、欲を言いたくなる気持ちはわかる。あと、ほんの少し、の踏み込みが足りない、と、感じるところが何ヶ所かあった。
ジェダイの騎士は、アナキンの母親ごと救うことをもっと懸命に努力し、努力したんだけど力及ばなかった、という風にしてほしかった。
アナキンはジェダイの騎士を助けることを申し出るが、その行為にアナキンの側のメリットがない。これは、たとえば、アナキンがジェダイの騎士に対し取引を申し出る、みたいな形にしたほうが、たぶん良かった。アナキンの賢さ、したたかさが、それで浮き彫りになるはずだ。…そうすれば、なぜアナキンが「ジェダイの騎士になるにしては年齢を食いすぎた」のか、という説得力がもっと出たはずだ。社会経験があった上で騎士になるほうが良いに決まってるじゃないか、と、映画を観ながら、私は思っていた。
…でも、やっぱ、ルーカスは凄いね。子供のころ想像したものを忘れずに、全部映像化しようとしてるもんね。会議する惑星の映像なんて、恥ずかしい50年代SFのころの未来像まんまだけど、それを映像化している。
…俺的には、女王の星の政治体制が興味深かった。民主国家名乗っていて、女王持っていて、女王は国民の選挙で選ばれてるでしょ。…きっとあの星では、都合の良いときには民主主義国家、都合の良いときには君主国家なんだ。たぶん王家の血筋は決まっていて、即位のとき儀礼的に信任投票するんだろうなあ。…あの女王はたぶん例外的に有能で政治に関心のあった君主で、先代先先代あたりはダメな君主だったんじゃないかな。官僚の力強いみたいだし」
そのあとスターウォーズ的なものを自分達がどうとり入れることができるか話する。たぶんDIさんが目いっぱいスターウォーズやって、結果出てくるものはナウシカだったりするんだろう、とか言う。ナウシカ目指すとポンポコになったり。
「アメリカは、まじめにスターウォーズみたいなバカな映画作れるところが強みなんでしょうね。日本だと、真面目な話は深刻になっちゃって、バカな話はいーかげんでデタラメな映画になっちゃう。良い所でのバランスがとれない。
もし日本で、たとえばスーパーマン作ったら、きっと『スーパーマンなんて実はいなかったのかもしれない』とかいう話になっちゃうんでしょうね。そーゆーのはもういいねん。こーゆーのは『ごく一部』の人がやっていればいいんだけれど、日本にはこの『ごく一部』しか良い作家がいないんだ」
とかいう話をDIさんがする。
「刑事さんは癒されるでしょうか」というマンガのネタを思いつく。DIさん、描いてくれ、君そういうの得意でしょ、とねだる。
7月11日(日)
同じページの下絵を描いちゃ消し描いちゃ消し。
7月10日(土)-7月7日(水)
「子供売り」下絵不調。
ISさんに長電話。
曽さん、仕事へ。
ASさんから一緒に作業しようという誘い。断る。
図書館で絶滅哺乳類の本見てるうち、「ネアンデルタールの歌」という着想得る。ノートする。
マンボウの会議に行く。そんなん行ける状況ではないのだけど。作業する。空しい。
DIさん「オースティン・パワーズ」借りてくる。見る。メチャメチャバカ映画で大笑い。「俺、こういうの大好き」とDIさんに言う。
DIさんと、なんで原稿描く意欲が萎えるのか話し合う。
7月6日(火)-7月5日(月)
田舎へ。健康診断する。肉体労働する。重いもの持ったので、右手の筋がつっぱる。雁を数えると35羽。帰路、肉体疲労のため、頭痛する。目玉がじんじんすることに気づく。実家にいる間はこの頭痛に無自覚だった。そうか、田舎で生活するためにはこういうのに無自覚でいないとダメなのか、と、思う。肉体労働に比べると、漫画描きというのはいい仕事だと思う。
部屋に着くと、ちょうど曽さんが帰ってきたところ。曽さんのビデオ録画予約、盗聴法集会のニュース録画のとき解除したまんまだったことに気づく。ぎゃ。曽さんごめん。
7月4日(日)ー7月2日(金)
「子供売り」下絵する。不調。UJさんから仕事もらう。JR大宮駅のゴミ袋のイラスト。資料受け取り、食事一緒する。一日で描きあげる。
G社から電話。アシ探してるとのこと。自分が名乗りあげるが、今週必要とのことで数人に声かける。DIさんの都合がわりといいらしいとわかり、伝える。
7月1日(木)
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