1月19日(火) 夜郎自大日記
日記の名称を「不定期日記」から「夜郎自大日記」に改称します。
昔々、中国の西域に、「夜郎」という、ちっぽけなオアシス国家があった。漢土から、夜郎へ使節が向かった。夜郎の王は、使節を歓待し、彼らに訊ねた。
「漢土と、夜郎と、どちらが大きいでしょうな?」
夜郎は自らを大とする。以後、身の程をわきまえず大言壮語する者を「夜郎自大」と呼ぶようになった。
小さな美しい池が複数ある村の小学生たちが、隣村の湖を見に行った。彼女らは驚いた。こんなに大きな池を見るのは初めてだったからだ。小学生の一人が、児童会長に訊ねた。
「ねえ、海って、このくらい大きいのかな?」
児童会長は賢い少年だった。だから、「海」はその湖より大きいことを知っていた。
「莫迦だなあ、海は、この湖の倍くらいあるよ」
これは鎌やん自身のエピソードでは、残念ながらない。だが、このエピソードは他人事ではない。午前11時15分。
ディグさんが曽さんとテレビ観ていた。その音で起きる。『ON YOUR MARK』(チャゲ&飛鳥ミュージックビデオ、宮崎駿作画)ディグさんから見せてもらう。
豊川稲理さん来る。豊川さんの友達が同じアパートに住んでいる。そこからもらったお寿司をお裾分けしていただく。ありがたいありがたい。豊川さんは声優文化に詳しい。色々教わる。
曽さん、アシ先に、帰国が近いので辞めさせていただきたい旨、電話する。以上、午後11時過ぎのこと。
1月18日(月) 口癖、ロリータもののJUSTIFY
ディグさんと曽さんと、夕食食べる。曽さんにまたもおごってもらう。
曽さんが言う。「鎌やん、寝言言うし、あと、鼾(いびき)凄い」 え? そうなの? 俺ってそうなの?
ディグさんが言う。「そうですね、ヒトの鼾で起こされたのって初めてでしたよ」 がーん。そうだったのか。二人ともごめんなさい。
ディグさんが言う。「曽さんの日本語って、鎌やんさんの言葉がずいぶん感染(うつ)ってますね」 え? 「鎌やんさんて、けっこう口癖ありますよ。あまり普通のヒトが使わない言葉使うじゃないですか」
そうか? 私は訊いた。「たとえば、どんなの?」
ディグさんが答える。「たとえば・・・『畜生!』ってよく言うでしょ」
私が訊ねる。「え・・・? ディグさんだったら、どう言う?」
ディグさん「クソッ」
鎌やん「『クソ』より『畜生』のほうが優雅じゃない?」ちなみに食事中の会話。
ディグさん「同じですよ・・・で、『畜生!』って言う人、聞いたことない」
鎌やん「そうかなあ?」
曽さんが言う。「そうやねエ」
あ、たしかにそれは私の口癖だ。
曽さんが言う。「まあねエ。まあいいけどさア。はいはい」
・・・どれも私の口癖だ。私の口癖って、ヒトを小馬鹿にしたような言葉が多いのか。「・・・ごめん」
曽さんが言う。「『ごめん』も鎌やんの口癖」
夕食後、ディグさんと別れる。曽さんから、テレビでやった『リング』(にっかつ)のビデオを見せてもらう。私は絵を描きながら観ていたが、途中から真剣に観る。ラストでびっくりする。「なるほど、これは面白い」
曽さんが訊く。「俺、主役の女の子が好きで録画したんだけど、鎌やん、面白かったか?」
私が言う。「うん、ありがとう。これは勉強になった。途中は色々納得いかないとこあったけど、このラストは素晴らしい」
曽さんが言う。「そいつは良かった」
・・・『そいつは良かった』? これも普通の人が使う言葉じゃないよな。普通は「良かった」だけだよな。感染(うつ)しちゃった言葉なんだろうな。曽さんにそのことを説明する。
曽さんが言う。「『そいつは良かった』って、どういう人が使う言葉?」
私が答える。「漫画のキャラクターか、時代劇の登場人物か、刑事物のドラマのおっさん刑事が使う。『そいつぁあ良かった』・・・そうか、俺の使っている言葉って、漫画のキャラクターの台詞なのか。なんてことだ。は、恥ずかしい。モロにオタク。もっと普通の喋りかたをするべきなんだろうか・・・でもなあ、自分は自分なりに考えた結果今の喋りかたしているんだし・・・変にヒトに合わせたら、自分が自分でなくなる」
曽さんが答える。「いいんじゃないんですかあ?」
・・・それも私の口癖だ・・・
てるき熊さんから電話来る。アニパロとは何か、エロパロとは何か、と、熱く語り合う。私が一方的に喋りすぎてしまった。てるきさんごめんなさい。
私なりの結論。全ての創作はパロディ(替え歌)と言いうる。その意味において、原典にはない魅力を持つ限り、あらゆるパロディは正当化(justify正当であることの証明)されうる。
暴力表現、残酷表現、ロリータもののjustifyを、以下に少しだけ試みる。
加害者は愛情を注ぐ対象を求めている。だが加害者は自身を「対象に愛情を注ぐにふさわしい存在である」と認めていない。よって、加害者は「自分にお似合いな」行動をとろうとする。それが加害行為である。ことにロリータの場合、ロリータとの間に「対等な愛情」は成立しない。「愛情」であるかのように加害者が錯覚しているものは、せいぜい過干渉・過保護、対象を隷属させるのに等しいのだ。父権的恩情主義パターナリズム。
自身を「他者に愛情を注ぐに値しない」存在である、とする感性は、広く蔓延している。「他者に愛情を注ぐに値しないから、自分にお似合いな行為をする」それが他者への加害であり、自傷なのだ。女子中高生が援助交際する感性にも通じるはずだ。この視点を私は忘れてはならない。
1月17日(日) 阪神淡路大震災が4年前にあった
サンシャインクリエイションがあったけど、自分のサークルで申し込んだわけでないのでチケットなくて、イベントそのものを忘れていて寝てました。・・・しまった。同人誌持っていけばなんぼかでも。
曽くん、仕事から帰ってくる。
1月16日(土) リトルモア、南京の真実
ついうかうかと隣駅の新刊本屋へ行き、宮台真司・東浩紀対談(冬コミ初日よりも前に収録)の載っている『リトルモア』7号と、ついでに『南京の真実』(講談社)衝動買いしてしまう。
『リトルモア』の東氏の言葉。「本を読んでないんだから、とにかく読めよ。君は哲学に興味がないかもしれないけれども、これだけのことをやってるやつ(東氏)が同時代にいたら、お前は何か思わないか」
この言葉の意味を、その直後に東氏が自ら語っている。
>状況認識に限って宮台さんを全面的に同意すると事前に言いましたのは、「社会」全体を支える普遍妥当性が崩れて、みんな狭い共同体の中で退屈な日常を生きざるをえないという今の現実においては、あちこちに生じたコミュニケーションギャップを乗り越えるために何らかのツールを開発しなくちゃいけない、ということが実感として非常に分かるということです。だけど、僕(東浩紀)がやっている哲学とか思想って、自分達だけは世界視線を持っているんだと自負しているジャンルだから、僕は趣味として哲学をやっているんですと、単純に普遍妥当性を諦めるわけにいかない。
東氏の気分を、非常に乏しい材料から(乏しいのは鎌やんの勉強不足による)、鎌やんは勝手に想像してみる(東氏にとって迷惑なことでしょうけど。ついでに書くと乏しい材料で決めつけるのは莫迦の証明であり、以下、鎌やんは自身が莫迦であることの証明をしている)。
・・・過去に、偉大な先達はたしかにいた。東氏が対談の中で名をあげた、デリダとかフロイトとかハイデガーとか。だけど、現在、今このとき、彼ら先達に匹敵することをなしつつある「どこかの立派な先生」が私たちの知らないところに存在しているかのような期待を、私たちは安穏と抱いていて大丈夫なのか? 人類の知性なんては、徹底して考え抜き検証し抜いた、ほんの数人によってかろうじて繋がり続いている、か細い糸なのだ。その糸を紡ぐ作業をしなければならない「ほんの数人」という使命を負わされているのは、恐ろしいことに自分/君なのかもしれない。その数人がするべき作業をしなければ、この細い糸は途切れるかもしれない。この戦慄の実感。細い糸が途切れる。考えてみろ。日々、他者と言葉が通じている実感が持てているだろうか? 自分の思い、意図、観念、そういったものが他者と共有できている実感を感じたことがあるだろうか? 逆に言えば、他者の思いを把握できる精神と知能の豊かさ強靱さを持てているか? 隣の人間とすら会話が成立しなくなっているとしたら、糸は、途切れているのではないのか? 東氏の選択した「哲学」というジャンルで言う「普遍」とは、糸を紡ごうとする、数千年にわたる、人間の切ない願いの結晶なのだ。(そして東氏はそれを我が身一人に体現させようとしている。しかも現時点で成功している。学術書である『存在論的、郵便的』は、ひと月で1万5千部売れているそうだ。これは凄いことだ。東氏は戦術的にも成功しているのだ)
・・・そして、鎌やんは勝手な妄想をさらに暴走させるけれど、東氏を「新世紀のオタク」とするなら、この切実さから目を背けまいとする決意が、もちろんそのための説得力への礼節も含め(自身への決意は他者への敬意によって裏打ちされる)、「旧世紀のオタク」からくっきりと分ける境界線になっているのじゃないか、と。以上は鎌やんの妄想。
変な妄想というか連想を、全然別な角度から続けると、東氏の口調は、いんど・めたしんさんにちょっと似ている。声の質とか含め(笑)。はいはい、これ妄想です。
『南京の真実』、ついうかうかと三分の一くらい読んでしまった。この私の行為はまぎれもなく現実逃避。それはそれとして、この本は面白い。リーベのキャラがすごくいい。映画化するそうなので、ちゃんと観に行きたいものです。リーベが、めっちゃ善人で、意志が強くて、しかもナチというとこが、深くて良い。
手帳が見あたらず、設計士さんに連絡しなくちゃならないのだけど、連絡できない。しかしこれも怠惰ゆえの言い訳。
1月15日(金)成人の日 ナウシカの胸
風邪、だいぶ治ってきたらしい。ついうかうかと、宮崎駿『出発点』読んでしまう。励まされる。『出発点』の感想はまた後日に書きませう。
一カ所だけ、以下に抜粋。
インタビュアー;ナウシカという少女は、実に魅力的ですよね。
宮崎駿; ナウシカの胸は大きいでしょ。
インタビュアー;はい(笑)。
宮崎駿; あれは自分の子どもに乳を飲ませるだけじゃなくてね、好きな男を抱くためじゃなくてね、あそこにいる城オジやお婆さんたちが死んでいくときにね、抱きとめてあげるためのね、そういう胸じゃないかと思ってるんです。だから、でかくなくちゃいけないんですよ。
インタビュアー;ああ・・・なるほど・・・(衝撃!)
1月14日(木) 風邪、捜し物、震災の連想
午前2時をすぎると、くしゃみが止まらなくなる。まだ風邪が治っているわけではないのだと再確認。
「昨年は風邪をひかなかった」と、さきに日記に書きましたが、記憶違いだったこと、思い出す。風邪が深刻なものになるのをどうにか凌ぎ続けてきた、と言うべき。
日が明けて、『人間ゾンビ』の宇田川さんから会誌届く。次の会費払わないと。
宮路兼幸さんから賀状届く。あ、たぶんこっちからは出してない。まずい。もう寒中見舞いになってしまう。宮路さんの賀状、コミケで風邪もらって正月寝て過ごしてしまった、と書かれている。意味不明な親近感が沸く。
そういえばクヒオ大佐も風邪だとwebに書かれていた。大事にされてくださいね。
男物の服の資料が見つからない。探しまくる。見つからない。げんなり。「買うか」と思って本屋へ。近所の新刊本屋、私が越してきて以来、一年に一軒づつ潰れている。新刊情報に関してまことにお寒い環境。古本屋は増えている。古本屋へ行く。目当ての本は見つからない。宮崎駿『出発点』(徳間書店)あったのでつい衝動買い。読むのは後のお楽しみとして、積(つ)ん読。
捜し物は見つからないのに、ずっと長いこと見つからなかった、ロリータ小説発掘してしまう。『にんふらばあジャパン』の休刊いっこ前の号に載っていたもの。初めて読んだとき、口の中がからからになり、読み返すたびにわけのわからない衝動が自分を支配した。いずれ打ち込んでHPにアップしようかな、と思う。蛭子神健の小説とか。などと考え、自分の中の矛盾に負けそうになる。アレに感じたものは、なにが満たされていないのか、満たされないものが欠落したまま突きつけられた感覚だったのかな、とも思う。
てるき熊さんから電話いただく。ポケットモンスターのエロ同人誌描いて売ってた同人作家が任天堂に訴えられて逮捕されたとのこと。著作権問題は、同人誌の鬼門だ。今回の事件はどう考えるべきなんだろう。
もうじき、阪神淡路大震災から、四年が経ちます。阪神大震災に関して、不謹慎でオカルトなおもいつきを以下に記します。
今から76年前、1923年、関東大震災というのがあった。昭和史はここから始まる。関東大震災の4年後、1927年、日本に金融恐慌が起きる。1931年、満州事変。1936年西安事件。1937年、日中戦争開始。39年ノモンハン事件。40年仏印進駐。41年太平洋戦争開始。
「震災」を始点として、似たようなことが繰り返されているような。同じような間違いをしないためには、先人はなにをどう間違えたのか、よくよく考え気をつける必要が、たぶんあるんでしょうね。以上、自・自連立のなった日に、不謹慎でオカルトなおもいつきを記す。
1月13日(水) サルの性、「祖国」
メモ。サルのセックスについて。サルのペニス。
サルの性皮。
図版は平凡社『人間の性はどこからきたのか』より。
雌が雄を選ぶ社会では、雄のペニスは派手なものになる。また交尾中、敵に襲われる危険を減らすため、雌により多くの快楽をより早く与える目的でペニスは複雑化する。ゴリラのような一夫多妻制ではペニスは貧弱になる。
「性皮」は、雌が雄に対し、性的に受け入れる状態にあることを示すもの。
受胎目的以外で性交するのは人間だけの特徴ではなく、コミュニケーションとしての性交は、同性愛を含め、霊長類に広く見られる。人類の雌に「性皮」はないが、人類の雌の胸は、目的としては「性皮」に近いようだ。ヒヒのなかには、胸にも性皮があるものがある。
以上、雑学。そのうちマンガで使うつもり。
風邪で寝込む。健康器具エナジートロンにかかる。この器具の説明をすると、とてもいかがわしく聞こえるが、だいぶ快復したのはエナジートロンのお陰だと信じ込んでいる。
永野のりこ『電波オデッセイ』3巻(アスペクト)読む。永野のりこは次第に素直になってきていると思う。良い傾向だと思う。
曽くんは今日から仕事で泊まり込み。帰りは日曜の予定。午後9時。
昨年末、曽くんと足立真一さんと、酒飲みに行った。つれづれにそのときの話をここに書く。
曽くんは香港人。日本のテレビなどに対して、いい感じでミーハーだ。私は中国史ミーハーだったりする。日本のテレビドラマや芸能界などについては曽くんのほうが私よりずっと詳しいし、中国の古代史中世史については私のほうが曽くんより詳しい。
以前曽くんが描いたマンガに「祖国」というネームがあった。「祖国」という概念は、あまり日本では馴染みがない。その話題から、日中戦争の話になった。曽くんと政治的な話題をするのは初めてだった。
曽くんは言う。「中国人はダメな人間が多い。だから、日本との戦争に中国は負けたのだ」
私はそれは違うと主張した。「日本人は、とくに官僚・役人になるとダメになる人間が多い。日本は、兵士は強いし下士官は優秀だが、将校はダメだ。だから中国との戦争に日本は負けたのだ」
どうやら私たちは、相手の国を実物より理想化し、自分の国を実際よりシニカルに見ているのだろう。
「わかった。たぶん、どっちの国も、それほど良い国じゃない」と、翌日、曽くんは笑いながら私に言った。午後10時30分。
1月12日(火)
ポップ試作。Illustraterで試してみる。使い勝手が分からない。photoshopでどうにかする。えらい時間食う。疲れ溜まってたので試作をファックスしてすぐ寝る。
ディグさんは今日からアルバイト開始のはず。人間の人生は、偶然と、誰と交遊するかによってかなり変わるようだ、と、改めて思う。
7,8年越しの、実家の、環境庁による建築許可・事業許可、どうにか通ったらしい。
1 月11日(月) 風邪、励み、課題、ネーム、新宿蔦屋、BJ
10日午後8時半頃、曽くんが帰ってきて、そのチャイムの音で起床。自分が風邪気味なことに気づく。昨日気が弱くなっていたのは体調のせいだったらしい。それともこの因果関係は逆かな? 昨年一年は珍しく一度も風邪ひかなかった。誰か一緒に生活していないと、とことん生活が自堕落になる。それで体調崩すのかな? 曽くんが同居してくれているのはその意味非常にありがたい。行こうかと思っていた宮台真司氏の講演には行けなかった。俺はだらしない。
曽くん、給金を調べたら、「万札のぶん入っていないらしい、どうも(アシ先の)先生が入れるの間違えたらしい」、と気づく。先生に電話する。話し中。再度掛ける。ファックス切り替えになっていた。事情を書いて、ファックスする。
午後12時頃、ディグさんが来る。曽くんがディグさんから「ゼルダの伝説」の解き方を教わる。午前2時頃、曽くん就寝。
ディグさんが持ってきてくれたビデオ『未来は今』観る。その間にディグさん就寝。
午前3時頃、砂さんから電話いただく。冬コミ初日の宮台真司・東浩紀対談イベントのとき、砂さんを誘ったことのお礼言われる。東さんやI氏(評論家・仮名)が私に興味持ってくださっていることなど、教えていただく。ありがたいありがたい。私のマンガを描く手つき(つまり技術)はともかくとして、エロマンガというものを使ってがめつく何かしようと私がムキになっている(馬鹿正直にやっている)ところが、人々の興味を引いているらしい。ありがたいありがたい。私がほんとに幼女とマンガで描いているようなことしてるかどうか、というのも関心のもとらしいけど、まあ、そう思わせたのならある意味勝ちかな。ありがたいありがたい。すごく励みになりました。砂さんありがとう。今度はこっちから電話します。てゆーか、暇になったらお会いしましょう。
ものを描くとき、ナルシシズムとの距離、というのは問題だ。そして、私にとって(たぶん早急に)クリアしなくてはならない課題だ。などと書いているこれもナルシシズム。そして対等な権利を持つキャラ同士がガツンガツンと葛藤する、そういうドラマが描けなくてはならない。これは課題であり目標。自分のマンガがちゃんとそうなっていないのは、自分の内面に「対等な関係の相手との葛藤」というものが未熟なのだ、と、ここに自身へ課題をつきつけておこう。午前4時30分。
午後3時ころ、ネーム、どうにかなりました。対等な権利が対立する、という線は、未熟ながら、どうにかなったような。
構想段階で考えていたプロローグとエピローグはページ数の関係上、カット。「狼くん」のネームも、半分くらいに絞る。それが良かったかどうか分からないけど、そうしなければ24ページくらいになってしまう。まあ、よかったのだとしておきませう。
導入は以前別なマンガに考えていたシーンを流用。鳥獣戯画なとこと、バイオレンスなとこが、調和できてると良いけど。
編集さんは「面白い」と言ってくださった。ありがたいありがたい。「喧嘩売りまくってますねえ」とも言われる。誰にも喧嘩売っているつもりはないんですけど。びくびく。そりゃ、たしかに粗筋を、友達が遊びに来てたとき教えたら「ショックだ・・・そんなふうに思われてたなんて」と言われたけど。君がモデルなわけじゃないからね。ネームに直したらどこが「ショック」を与えた部分かたぶん誰にもわかんなくなってるから、この裏話も無意味なんですが。ネームに直した時点でそれが不鮮明になってしまうところが、私の技術の未熟。
曽くんが新宿蔦屋の会員になりたがっていたので、新宿へ。『ウテナ』3本借りる。曽くんは色々と4本ほど。寺山修司のビデオのパッケージ、花輪和一が描いているもの、これ、町田ひらく氏の絵とあい通づるものを感じる。町田氏の映像関係の引き出しは膨大だが、たぶんこの辺も大きな位置を占めているはずだな、と、勘ぐる。そう遠くないうちに私もクリアしておかなくては。などと思う。思うだけで今回は借りない。
曽くんにおごってもらってタイ料理を。「手塚治虫の『ブラック・ジャック』は勉強になる」と曽くんが言う。「どうすれば短く話をまとめられるか、あれを読んでわかった。言いたいことは、一つの話に一つだけ。言いたいことを言ったら、すぐマンガを終わらせる。余計なことは描かない」 ほう、私はそういう目で読んだことはなかった。曽くんの話は勉強になる。ここにメモしておく。
某市民団体に貸した台車が帰ってこないので重量が憂鬱だが、おまんまのために同人誌発送しておこう。午後10時30分。
1月10日(日) レヴォ申し込み、「トモダチ」
目の前のことばかり考えていると、いくつも大事なことをとりこぼす。
>目の前のこと一つずつ片づけていかないと何ごとも終わるものではない。と、自分を欺瞞して目の前の仕事以外のことは極力忘れていたりする。これを普通「だらしない」とか「スケジュール管理ができていない」と言う。
と、さっき(1月9日の)日記で書いた。まったく、私はだらしない。レヴォの申し込みを、私、忘れてました。レヴォの申し込みチラシをコミケのときちゃんと保管してなかったこと気づく。何回目だ俺。学習能力ないのか。
同人活動は、正直言って、続けたいという気持ちと続けたくないという気持ちが、常に相半ばする。それで失念するのかなあ。昔、北のりゆきから、「同人誌に対する真剣さが足りない」と怒られたものです。
申し込みチラシを求めて数人に電話する。一人(漫画家)は寝ていた。ごめん。一人(自由業)は全く私のちからになってくれようという意志がない。いや、まあ、こっちの勝手な期待なんですが。彼がそういう人だということはよく知っていたんですが。こっちが向こうの無理難題にしょっちゅうつきあい応えているからといって、向こうが私の無理難題につきあってくれる保障はない。そういうたぐいの人情は彼にはない。敏感であると同時に鈍感だという点で、彼と私は同じ穴のムジナなのだ。しかし私の言っていることは無理難題か? 申込用紙のファックスすらくれんとは。つくづく友達甲斐のないやつ。まあいい。彼と私では「友達」の定義も違うのだ。力になってくれそうな人間を頭の中で検索する。力になってもらえるほど誰かの力になった記憶はない。原稿がうまくいっていないときは気が弱くなる。
暗鬱たる気分になりながら、夜分なので申し訳ないと思いつつ、勤め人であるよさこい野郎さんに電話する。幸い、起きていらした。レヴォ当日の委託をお願いしたら快諾してくださった。ありがたい。「けどチラシあまってますよ」それならもっと話が早い。助かった。互いに直面している、同人活動のうえで滞ってしまっている作業について若干話する。非常に読者に申し訳ないことをしている。読者さん、ごめんなさい。
「新人くん」という漫画家を知らないか?、と、よさこいさんから訊ねられる。知らない。O氏(漫画家・仮名)の知人らしいと、よさこいさんが説明する。O氏のとこにも冬コミに挨拶行けなかったこと思い出す。「すごく面白いんですよ」よさこい野郎さんのマンガを見る目は信用が置ける。この作者名は記憶しておくべきなんだろう。ムッシュ・ロリータさんが同人活動やめたことをO氏がひどく残念がっていた、という話をよさこいさんから聞く。よさこい野郎さんも、ここ一年くらい、ムッシュさんの話題をひとからされることが辛かった。色々あって、それゆえの「ないちち同好会」解散だった。よさこい野郎さんの新サークル名は「野良犬」。「自分の楽しみのためだけの、売れない本を作る」とおっしゃった。それで良いと私も思う。1月10日、午前3時。
「トモダチ」は今描いているマンガのキーワード。粗筋はきれいにまとまったのだが、実際展開させるとなるとキャラがうまく動かない。そうかこういう描写、俺は苦手なんだな、と、改めて思う。
苦手意識克服のために強迫的に苦手なものにこだわる人ってのはけっこういて、高所恐怖症のスチュワーデス、血を見るのが怖くて怖くてしょうがない看護婦さん、といった例は、夏目房の助『学問』にたくさん描かれている。身近見渡しても、たとえば、もりしげくんなんかも、残虐が「好き」なわけではない。残虐にこだわらずにいられないのだ、彼は。
かといって、それを言い訳に、楽なものばかり描いて良いわけではないだろう。たぶん。いいのかもしれないけど。もうちょっと試行錯誤するべきですね、私は。1月10日、午前5時40分。
1999年1月9日(土) 日記の想い出、お仕事、高室弓生さん
せっかく来ていただいてもなにも新しい書き込みがない、というのは来ていただいたかたに申し訳ない。ということで、不定期に日記をアップしよ思います。BBSにばかり書いているのも精神的に不健康ですし。・・・「会議室」とは名ばかりな俺様状態。だから、というのもあってサークル名とHP名変えたんですが。
日記つける習慣は、中一の時から、だいたい5,6年続け、その後、学生時代にはぽつぽつと不定期に大学ノートに書き、その後ネタ帳が日記代わりになったりして、現在に至る。つーか、現在は書いてませんでした。日記つけてると私の場合、強迫神経症気味になって、精神衛生上よろしくない。と、感じてきたのですね。
マンガが曲がりなりにも「お仕事」になってからは、書くことそのものが金になりますので、うおー、くそー、物言いたいー、ケチつけたいー、という衝動をお仕事のために大事にけちくさくとっておいたりするようになったので、なおさらだったりします。
中一の頃つけていた日記には、1999年7月までのカウントダウンが毎日書いてあったりして(爆笑)。なんと鬱陶しいガキだったのだ俺は。今でも鬱陶しい性格は変わりませんけど。しかしながら新サークル名の「アンゴルモア」でweb検索してみたら、うじゃうじゃ出てきて。魔術的未来予測に耽るというのは、自己を軸にすることのできない、悪しき他力本願だな、と、今更思ったりする。(良い他力本願もある。それは別の話)
現在、お仕事二つ抱えてたりします。ひとつはコアマガジン。コアマガジンさんごめんなさい。マンガ描くコツを同人誌『偽善者』描いたときつかんだような気がしたのですが、というか「お話」の作り方はちょっとだけわかってきたのかもしれないんですが、演出については自分はまだ全然分かってないんだ、ということを思い知らされてます。
もう一つのお仕事は、マンガと全然関係ないんだけど、もう一月近く前に頼まれてまして、ちゃっちゃかとすませるべきなんだけど。知り合いのお店屋さんのポップ描くこと頼まれてたりする。「なんやそれ?」、と、読まれるかたは思うかも知れませんが、私も年がら年中変態なこととか危ないこととか政治活動とかしてるわけではないです。それなりに日常生活があって、日常生活のしがらみだのとかささやかな日常を構築する努力とかしてたりもするんですね。このポップ描きはその一環。
とはいえ、ささやかな日常を破壊してしまいたい衝動がふつふつたぎったり、どかんと身を滅ぼしたくなる衝動がおそったりしょっちゅうしまして、そういう衝動を吟味したり自分の中で再演したりしながらもの描いたりしてるんですが。そんな舞台裏なんてどうでもいいわな。てゆーか開帳しようとしてどーする。内面の動きをつらつら書き始めると、自意識過剰になるし、誇大妄想になるし、だいたい、客観的に見てそんな生意気なこと他人様に書けるほどの何事も私はまだしていないわけだし。
あ。それとは別な仕事思い出してしまった。目の前のこと一つずつ片づけていかないと何ごとも終わるものではない。と、自分を欺瞞して目の前の仕事以外のことは極力忘れていたりする。これを普通「だらしない」とか「スケジュール管理ができていない」と言う。仕事の話題書いていると強迫神経症になって結局なにもできなくなるからこの辺で切り上げよう。
知り合いの高室弓生(たかむろ・きみ)さんという漫画家さんから郵便物いただく。高室さんとはマンボウの関係で知り合った。女の子みたいな名前だけどオッサンである。ワイルドでかっこいいオッサン。潮(うしお)出版「トムプラス」で『ニタイとキナナ』という縄文時代ホームコメディ描かれている。ほんとは『縄文物語』といったタイトルにしたかったそうだけど、そういうタイトルのマンガを他の出版社ですでに描いたのでそういうわけにいかなくなったのだそうだ。タイトルはマンガの命の一つだけど、こういうあたり、運が人生を支配するときがある。奥さんもマンガ家。『綿の国星』のちび猫のような美人。
高室さんは、高校生の頃、利き腕を骨折して、現在は利き腕でないほうの手でマンガを描いている。自分にその真似ができるだろうか? 高室さんの高校の近くに縄文時代の遺跡があって、縄文人の遺骨のなかに、骨折治療がしっかりとなされているものがあるのを見て、以来縄文に関心を持つようになったのだそうです。
手紙によると、高室さんの昔のコミックス古本屋で見かけたので確保したのち保護して送るつもりだったが、「妖怪さきこうた」に化かされて古本屋から消えてしまった、とのことです。「妖怪さきこうた」はフィギュア系のかたに伝わる妖怪だそうです。名前の由来はなんなんだろ?
現在、曽くんはアシの泊まり込み中。
さて、私も仕事に戻ります。1999年、1月9日、午後7時。
日記の名称を「不定期日記」から「夜郎自大日記」に改称します。
昔々、中国の西域に、「夜郎」という、ちっぽけなオアシス国家があった。漢土から、夜郎へ使節が向かった。夜郎の王は、使節を歓待し、彼らに訊ねた。
「漢土と、夜郎と、どちらが大きいでしょうな?」
夜郎は自らを大とする。以後、身の程をわきまえず大言壮語する者を「夜郎自大」と呼ぶようになった。
小さな美しい池が複数ある村の小学生たちが、隣村の湖を見に行った。彼女らは驚いた。こんなに大きな池を見るのは初めてだったからだ。小学生の一人が、児童会長に訊ねた。
「ねえ、海って、このくらい大きいのかな?」
児童会長は賢い少年だった。だから、「海」はその湖より大きいことを知っていた。
「莫迦だなあ、海は、この湖の倍くらいあるよ」
これは鎌やん自身のエピソードでは、残念ながらない。だが、このエピソードは他人事ではない。午前11時15分。
ディグさんが曽さんとテレビ観ていた。その音で起きる。『ON YOUR MARK』(チャゲ&飛鳥ミュージックビデオ、宮崎駿作画)ディグさんから見せてもらう。
豊川稲理さん来る。豊川さんの友達が同じアパートに住んでいる。そこからもらったお寿司をお裾分けしていただく。ありがたいありがたい。豊川さんは声優文化に詳しい。色々教わる。
曽さん、アシ先に、帰国が近いので辞めさせていただきたい旨、電話する。以上、午後11時過ぎのこと。
1月18日(月) 口癖、ロリータもののJUSTIFY
ディグさんと曽さんと、夕食食べる。曽さんにまたもおごってもらう。
曽さんが言う。「鎌やん、寝言言うし、あと、鼾(いびき)凄い」 え? そうなの? 俺ってそうなの?
ディグさんが言う。「そうですね、ヒトの鼾で起こされたのって初めてでしたよ」 がーん。そうだったのか。二人ともごめんなさい。
ディグさんが言う。「曽さんの日本語って、鎌やんさんの言葉がずいぶん感染(うつ)ってますね」 え? 「鎌やんさんて、けっこう口癖ありますよ。あまり普通のヒトが使わない言葉使うじゃないですか」
そうか? 私は訊いた。「たとえば、どんなの?」
ディグさんが答える。「たとえば・・・『畜生!』ってよく言うでしょ」
私が訊ねる。「え・・・? ディグさんだったら、どう言う?」
ディグさん「クソッ」
鎌やん「『クソ』より『畜生』のほうが優雅じゃない?」ちなみに食事中の会話。
ディグさん「同じですよ・・・で、『畜生!』って言う人、聞いたことない」
鎌やん「そうかなあ?」
曽さんが言う。「そうやねエ」
あ、たしかにそれは私の口癖だ。
曽さんが言う。「まあねエ。まあいいけどさア。はいはい」
・・・どれも私の口癖だ。私の口癖って、ヒトを小馬鹿にしたような言葉が多いのか。「・・・ごめん」
曽さんが言う。「『ごめん』も鎌やんの口癖」
夕食後、ディグさんと別れる。曽さんから、テレビでやった『リング』(にっかつ)のビデオを見せてもらう。私は絵を描きながら観ていたが、途中から真剣に観る。ラストでびっくりする。「なるほど、これは面白い」
曽さんが訊く。「俺、主役の女の子が好きで録画したんだけど、鎌やん、面白かったか?」
私が言う。「うん、ありがとう。これは勉強になった。途中は色々納得いかないとこあったけど、このラストは素晴らしい」
曽さんが言う。「そいつは良かった」
・・・『そいつは良かった』? これも普通の人が使う言葉じゃないよな。普通は「良かった」だけだよな。感染(うつ)しちゃった言葉なんだろうな。曽さんにそのことを説明する。
曽さんが言う。「『そいつは良かった』って、どういう人が使う言葉?」
私が答える。「漫画のキャラクターか、時代劇の登場人物か、刑事物のドラマのおっさん刑事が使う。『そいつぁあ良かった』・・・そうか、俺の使っている言葉って、漫画のキャラクターの台詞なのか。なんてことだ。は、恥ずかしい。モロにオタク。もっと普通の喋りかたをするべきなんだろうか・・・でもなあ、自分は自分なりに考えた結果今の喋りかたしているんだし・・・変にヒトに合わせたら、自分が自分でなくなる」
曽さんが答える。「いいんじゃないんですかあ?」
・・・それも私の口癖だ・・・
てるき熊さんから電話来る。アニパロとは何か、エロパロとは何か、と、熱く語り合う。私が一方的に喋りすぎてしまった。てるきさんごめんなさい。
私なりの結論。全ての創作はパロディ(替え歌)と言いうる。その意味において、原典にはない魅力を持つ限り、あらゆるパロディは正当化(justify正当であることの証明)されうる。
暴力表現、残酷表現、ロリータもののjustifyを、以下に少しだけ試みる。
加害者は愛情を注ぐ対象を求めている。だが加害者は自身を「対象に愛情を注ぐにふさわしい存在である」と認めていない。よって、加害者は「自分にお似合いな」行動をとろうとする。それが加害行為である。ことにロリータの場合、ロリータとの間に「対等な愛情」は成立しない。「愛情」であるかのように加害者が錯覚しているものは、せいぜい過干渉・過保護、対象を隷属させるのに等しいのだ。父権的恩情主義パターナリズム。
自身を「他者に愛情を注ぐに値しない」存在である、とする感性は、広く蔓延している。「他者に愛情を注ぐに値しないから、自分にお似合いな行為をする」それが他者への加害であり、自傷なのだ。女子中高生が援助交際する感性にも通じるはずだ。この視点を私は忘れてはならない。
1月17日(日) 阪神淡路大震災が4年前にあった
サンシャインクリエイションがあったけど、自分のサークルで申し込んだわけでないのでチケットなくて、イベントそのものを忘れていて寝てました。・・・しまった。同人誌持っていけばなんぼかでも。
曽くん、仕事から帰ってくる。
1月16日(土) リトルモア、南京の真実
ついうかうかと隣駅の新刊本屋へ行き、宮台真司・東浩紀対談(冬コミ初日よりも前に収録)の載っている『リトルモア』7号と、ついでに『南京の真実』(講談社)衝動買いしてしまう。
『リトルモア』の東氏の言葉。「本を読んでないんだから、とにかく読めよ。君は哲学に興味がないかもしれないけれども、これだけのことをやってるやつ(東氏)が同時代にいたら、お前は何か思わないか」
この言葉の意味を、その直後に東氏が自ら語っている。
>状況認識に限って宮台さんを全面的に同意すると事前に言いましたのは、「社会」全体を支える普遍妥当性が崩れて、みんな狭い共同体の中で退屈な日常を生きざるをえないという今の現実においては、あちこちに生じたコミュニケーションギャップを乗り越えるために何らかのツールを開発しなくちゃいけない、ということが実感として非常に分かるということです。だけど、僕(東浩紀)がやっている哲学とか思想って、自分達だけは世界視線を持っているんだと自負しているジャンルだから、僕は趣味として哲学をやっているんですと、単純に普遍妥当性を諦めるわけにいかない。
東氏の気分を、非常に乏しい材料から(乏しいのは鎌やんの勉強不足による)、鎌やんは勝手に想像してみる(東氏にとって迷惑なことでしょうけど。ついでに書くと乏しい材料で決めつけるのは莫迦の証明であり、以下、鎌やんは自身が莫迦であることの証明をしている)。
・・・過去に、偉大な先達はたしかにいた。東氏が対談の中で名をあげた、デリダとかフロイトとかハイデガーとか。だけど、現在、今このとき、彼ら先達に匹敵することをなしつつある「どこかの立派な先生」が私たちの知らないところに存在しているかのような期待を、私たちは安穏と抱いていて大丈夫なのか? 人類の知性なんては、徹底して考え抜き検証し抜いた、ほんの数人によってかろうじて繋がり続いている、か細い糸なのだ。その糸を紡ぐ作業をしなければならない「ほんの数人」という使命を負わされているのは、恐ろしいことに自分/君なのかもしれない。その数人がするべき作業をしなければ、この細い糸は途切れるかもしれない。この戦慄の実感。細い糸が途切れる。考えてみろ。日々、他者と言葉が通じている実感が持てているだろうか? 自分の思い、意図、観念、そういったものが他者と共有できている実感を感じたことがあるだろうか? 逆に言えば、他者の思いを把握できる精神と知能の豊かさ強靱さを持てているか? 隣の人間とすら会話が成立しなくなっているとしたら、糸は、途切れているのではないのか? 東氏の選択した「哲学」というジャンルで言う「普遍」とは、糸を紡ごうとする、数千年にわたる、人間の切ない願いの結晶なのだ。(そして東氏はそれを我が身一人に体現させようとしている。しかも現時点で成功している。学術書である『存在論的、郵便的』は、ひと月で1万5千部売れているそうだ。これは凄いことだ。東氏は戦術的にも成功しているのだ)
・・・そして、鎌やんは勝手な妄想をさらに暴走させるけれど、東氏を「新世紀のオタク」とするなら、この切実さから目を背けまいとする決意が、もちろんそのための説得力への礼節も含め(自身への決意は他者への敬意によって裏打ちされる)、「旧世紀のオタク」からくっきりと分ける境界線になっているのじゃないか、と。以上は鎌やんの妄想。
変な妄想というか連想を、全然別な角度から続けると、東氏の口調は、いんど・めたしんさんにちょっと似ている。声の質とか含め(笑)。はいはい、これ妄想です。
『南京の真実』、ついうかうかと三分の一くらい読んでしまった。この私の行為はまぎれもなく現実逃避。それはそれとして、この本は面白い。リーベのキャラがすごくいい。映画化するそうなので、ちゃんと観に行きたいものです。リーベが、めっちゃ善人で、意志が強くて、しかもナチというとこが、深くて良い。
手帳が見あたらず、設計士さんに連絡しなくちゃならないのだけど、連絡できない。しかしこれも怠惰ゆえの言い訳。
1月15日(金)成人の日 ナウシカの胸
風邪、だいぶ治ってきたらしい。ついうかうかと、宮崎駿『出発点』読んでしまう。励まされる。『出発点』の感想はまた後日に書きませう。
一カ所だけ、以下に抜粋。
インタビュアー;ナウシカという少女は、実に魅力的ですよね。
宮崎駿; ナウシカの胸は大きいでしょ。
インタビュアー;はい(笑)。
宮崎駿; あれは自分の子どもに乳を飲ませるだけじゃなくてね、好きな男を抱くためじゃなくてね、あそこにいる城オジやお婆さんたちが死んでいくときにね、抱きとめてあげるためのね、そういう胸じゃないかと思ってるんです。だから、でかくなくちゃいけないんですよ。
インタビュアー;ああ・・・なるほど・・・(衝撃!)
1月14日(木) 風邪、捜し物、震災の連想
午前2時をすぎると、くしゃみが止まらなくなる。まだ風邪が治っているわけではないのだと再確認。
「昨年は風邪をひかなかった」と、さきに日記に書きましたが、記憶違いだったこと、思い出す。風邪が深刻なものになるのをどうにか凌ぎ続けてきた、と言うべき。
日が明けて、『人間ゾンビ』の宇田川さんから会誌届く。次の会費払わないと。
宮路兼幸さんから賀状届く。あ、たぶんこっちからは出してない。まずい。もう寒中見舞いになってしまう。宮路さんの賀状、コミケで風邪もらって正月寝て過ごしてしまった、と書かれている。意味不明な親近感が沸く。
そういえばクヒオ大佐も風邪だとwebに書かれていた。大事にされてくださいね。
男物の服の資料が見つからない。探しまくる。見つからない。げんなり。「買うか」と思って本屋へ。近所の新刊本屋、私が越してきて以来、一年に一軒づつ潰れている。新刊情報に関してまことにお寒い環境。古本屋は増えている。古本屋へ行く。目当ての本は見つからない。宮崎駿『出発点』(徳間書店)あったのでつい衝動買い。読むのは後のお楽しみとして、積(つ)ん読。
捜し物は見つからないのに、ずっと長いこと見つからなかった、ロリータ小説発掘してしまう。『にんふらばあジャパン』の休刊いっこ前の号に載っていたもの。初めて読んだとき、口の中がからからになり、読み返すたびにわけのわからない衝動が自分を支配した。いずれ打ち込んでHPにアップしようかな、と思う。蛭子神健の小説とか。などと考え、自分の中の矛盾に負けそうになる。アレに感じたものは、なにが満たされていないのか、満たされないものが欠落したまま突きつけられた感覚だったのかな、とも思う。
てるき熊さんから電話いただく。ポケットモンスターのエロ同人誌描いて売ってた同人作家が任天堂に訴えられて逮捕されたとのこと。著作権問題は、同人誌の鬼門だ。今回の事件はどう考えるべきなんだろう。
もうじき、阪神淡路大震災から、四年が経ちます。阪神大震災に関して、不謹慎でオカルトなおもいつきを以下に記します。
今から76年前、1923年、関東大震災というのがあった。昭和史はここから始まる。関東大震災の4年後、1927年、日本に金融恐慌が起きる。1931年、満州事変。1936年西安事件。1937年、日中戦争開始。39年ノモンハン事件。40年仏印進駐。41年太平洋戦争開始。
「震災」を始点として、似たようなことが繰り返されているような。同じような間違いをしないためには、先人はなにをどう間違えたのか、よくよく考え気をつける必要が、たぶんあるんでしょうね。以上、自・自連立のなった日に、不謹慎でオカルトなおもいつきを記す。
1月13日(水) サルの性、「祖国」
メモ。サルのセックスについて。サルのペニス。
サルの性皮。
図版は平凡社『人間の性はどこからきたのか』より。
雌が雄を選ぶ社会では、雄のペニスは派手なものになる。また交尾中、敵に襲われる危険を減らすため、雌により多くの快楽をより早く与える目的でペニスは複雑化する。ゴリラのような一夫多妻制ではペニスは貧弱になる。
「性皮」は、雌が雄に対し、性的に受け入れる状態にあることを示すもの。
受胎目的以外で性交するのは人間だけの特徴ではなく、コミュニケーションとしての性交は、同性愛を含め、霊長類に広く見られる。人類の雌に「性皮」はないが、人類の雌の胸は、目的としては「性皮」に近いようだ。ヒヒのなかには、胸にも性皮があるものがある。
以上、雑学。そのうちマンガで使うつもり。
風邪で寝込む。健康器具エナジートロンにかかる。この器具の説明をすると、とてもいかがわしく聞こえるが、だいぶ快復したのはエナジートロンのお陰だと信じ込んでいる。
永野のりこ『電波オデッセイ』3巻(アスペクト)読む。永野のりこは次第に素直になってきていると思う。良い傾向だと思う。
曽くんは今日から仕事で泊まり込み。帰りは日曜の予定。午後9時。
昨年末、曽くんと足立真一さんと、酒飲みに行った。つれづれにそのときの話をここに書く。
曽くんは香港人。日本のテレビなどに対して、いい感じでミーハーだ。私は中国史ミーハーだったりする。日本のテレビドラマや芸能界などについては曽くんのほうが私よりずっと詳しいし、中国の古代史中世史については私のほうが曽くんより詳しい。
以前曽くんが描いたマンガに「祖国」というネームがあった。「祖国」という概念は、あまり日本では馴染みがない。その話題から、日中戦争の話になった。曽くんと政治的な話題をするのは初めてだった。
曽くんは言う。「中国人はダメな人間が多い。だから、日本との戦争に中国は負けたのだ」
私はそれは違うと主張した。「日本人は、とくに官僚・役人になるとダメになる人間が多い。日本は、兵士は強いし下士官は優秀だが、将校はダメだ。だから中国との戦争に日本は負けたのだ」
どうやら私たちは、相手の国を実物より理想化し、自分の国を実際よりシニカルに見ているのだろう。
「わかった。たぶん、どっちの国も、それほど良い国じゃない」と、翌日、曽くんは笑いながら私に言った。午後10時30分。
1月12日(火)
ポップ試作。Illustraterで試してみる。使い勝手が分からない。photoshopでどうにかする。えらい時間食う。疲れ溜まってたので試作をファックスしてすぐ寝る。
ディグさんは今日からアルバイト開始のはず。人間の人生は、偶然と、誰と交遊するかによってかなり変わるようだ、と、改めて思う。
7,8年越しの、実家の、環境庁による建築許可・事業許可、どうにか通ったらしい。
1 月11日(月) 風邪、励み、課題、ネーム、新宿蔦屋、BJ
10日午後8時半頃、曽くんが帰ってきて、そのチャイムの音で起床。自分が風邪気味なことに気づく。昨日気が弱くなっていたのは体調のせいだったらしい。それともこの因果関係は逆かな? 昨年一年は珍しく一度も風邪ひかなかった。誰か一緒に生活していないと、とことん生活が自堕落になる。それで体調崩すのかな? 曽くんが同居してくれているのはその意味非常にありがたい。行こうかと思っていた宮台真司氏の講演には行けなかった。俺はだらしない。
曽くん、給金を調べたら、「万札のぶん入っていないらしい、どうも(アシ先の)先生が入れるの間違えたらしい」、と気づく。先生に電話する。話し中。再度掛ける。ファックス切り替えになっていた。事情を書いて、ファックスする。
午後12時頃、ディグさんが来る。曽くんがディグさんから「ゼルダの伝説」の解き方を教わる。午前2時頃、曽くん就寝。
ディグさんが持ってきてくれたビデオ『未来は今』観る。その間にディグさん就寝。
午前3時頃、砂さんから電話いただく。冬コミ初日の宮台真司・東浩紀対談イベントのとき、砂さんを誘ったことのお礼言われる。東さんやI氏(評論家・仮名)が私に興味持ってくださっていることなど、教えていただく。ありがたいありがたい。私のマンガを描く手つき(つまり技術)はともかくとして、エロマンガというものを使ってがめつく何かしようと私がムキになっている(馬鹿正直にやっている)ところが、人々の興味を引いているらしい。ありがたいありがたい。私がほんとに幼女とマンガで描いているようなことしてるかどうか、というのも関心のもとらしいけど、まあ、そう思わせたのならある意味勝ちかな。ありがたいありがたい。すごく励みになりました。砂さんありがとう。今度はこっちから電話します。てゆーか、暇になったらお会いしましょう。
ものを描くとき、ナルシシズムとの距離、というのは問題だ。そして、私にとって(たぶん早急に)クリアしなくてはならない課題だ。などと書いているこれもナルシシズム。そして対等な権利を持つキャラ同士がガツンガツンと葛藤する、そういうドラマが描けなくてはならない。これは課題であり目標。自分のマンガがちゃんとそうなっていないのは、自分の内面に「対等な関係の相手との葛藤」というものが未熟なのだ、と、ここに自身へ課題をつきつけておこう。午前4時30分。
午後3時ころ、ネーム、どうにかなりました。対等な権利が対立する、という線は、未熟ながら、どうにかなったような。
構想段階で考えていたプロローグとエピローグはページ数の関係上、カット。「狼くん」のネームも、半分くらいに絞る。それが良かったかどうか分からないけど、そうしなければ24ページくらいになってしまう。まあ、よかったのだとしておきませう。
導入は以前別なマンガに考えていたシーンを流用。鳥獣戯画なとこと、バイオレンスなとこが、調和できてると良いけど。
編集さんは「面白い」と言ってくださった。ありがたいありがたい。「喧嘩売りまくってますねえ」とも言われる。誰にも喧嘩売っているつもりはないんですけど。びくびく。そりゃ、たしかに粗筋を、友達が遊びに来てたとき教えたら「ショックだ・・・そんなふうに思われてたなんて」と言われたけど。君がモデルなわけじゃないからね。ネームに直したらどこが「ショック」を与えた部分かたぶん誰にもわかんなくなってるから、この裏話も無意味なんですが。ネームに直した時点でそれが不鮮明になってしまうところが、私の技術の未熟。
曽くんが新宿蔦屋の会員になりたがっていたので、新宿へ。『ウテナ』3本借りる。曽くんは色々と4本ほど。寺山修司のビデオのパッケージ、花輪和一が描いているもの、これ、町田ひらく氏の絵とあい通づるものを感じる。町田氏の映像関係の引き出しは膨大だが、たぶんこの辺も大きな位置を占めているはずだな、と、勘ぐる。そう遠くないうちに私もクリアしておかなくては。などと思う。思うだけで今回は借りない。
曽くんにおごってもらってタイ料理を。「手塚治虫の『ブラック・ジャック』は勉強になる」と曽くんが言う。「どうすれば短く話をまとめられるか、あれを読んでわかった。言いたいことは、一つの話に一つだけ。言いたいことを言ったら、すぐマンガを終わらせる。余計なことは描かない」 ほう、私はそういう目で読んだことはなかった。曽くんの話は勉強になる。ここにメモしておく。
某市民団体に貸した台車が帰ってこないので重量が憂鬱だが、おまんまのために同人誌発送しておこう。午後10時30分。
1月10日(日) レヴォ申し込み、「トモダチ」
目の前のことばかり考えていると、いくつも大事なことをとりこぼす。
>目の前のこと一つずつ片づけていかないと何ごとも終わるものではない。と、自分を欺瞞して目の前の仕事以外のことは極力忘れていたりする。これを普通「だらしない」とか「スケジュール管理ができていない」と言う。
と、さっき(1月9日の)日記で書いた。まったく、私はだらしない。レヴォの申し込みを、私、忘れてました。レヴォの申し込みチラシをコミケのときちゃんと保管してなかったこと気づく。何回目だ俺。学習能力ないのか。
同人活動は、正直言って、続けたいという気持ちと続けたくないという気持ちが、常に相半ばする。それで失念するのかなあ。昔、北のりゆきから、「同人誌に対する真剣さが足りない」と怒られたものです。
申し込みチラシを求めて数人に電話する。一人(漫画家)は寝ていた。ごめん。一人(自由業)は全く私のちからになってくれようという意志がない。いや、まあ、こっちの勝手な期待なんですが。彼がそういう人だということはよく知っていたんですが。こっちが向こうの無理難題にしょっちゅうつきあい応えているからといって、向こうが私の無理難題につきあってくれる保障はない。そういうたぐいの人情は彼にはない。敏感であると同時に鈍感だという点で、彼と私は同じ穴のムジナなのだ。しかし私の言っていることは無理難題か? 申込用紙のファックスすらくれんとは。つくづく友達甲斐のないやつ。まあいい。彼と私では「友達」の定義も違うのだ。力になってくれそうな人間を頭の中で検索する。力になってもらえるほど誰かの力になった記憶はない。原稿がうまくいっていないときは気が弱くなる。
暗鬱たる気分になりながら、夜分なので申し訳ないと思いつつ、勤め人であるよさこい野郎さんに電話する。幸い、起きていらした。レヴォ当日の委託をお願いしたら快諾してくださった。ありがたい。「けどチラシあまってますよ」それならもっと話が早い。助かった。互いに直面している、同人活動のうえで滞ってしまっている作業について若干話する。非常に読者に申し訳ないことをしている。読者さん、ごめんなさい。
「新人くん」という漫画家を知らないか?、と、よさこいさんから訊ねられる。知らない。O氏(漫画家・仮名)の知人らしいと、よさこいさんが説明する。O氏のとこにも冬コミに挨拶行けなかったこと思い出す。「すごく面白いんですよ」よさこい野郎さんのマンガを見る目は信用が置ける。この作者名は記憶しておくべきなんだろう。ムッシュ・ロリータさんが同人活動やめたことをO氏がひどく残念がっていた、という話をよさこいさんから聞く。よさこい野郎さんも、ここ一年くらい、ムッシュさんの話題をひとからされることが辛かった。色々あって、それゆえの「ないちち同好会」解散だった。よさこい野郎さんの新サークル名は「野良犬」。「自分の楽しみのためだけの、売れない本を作る」とおっしゃった。それで良いと私も思う。1月10日、午前3時。
「トモダチ」は今描いているマンガのキーワード。粗筋はきれいにまとまったのだが、実際展開させるとなるとキャラがうまく動かない。そうかこういう描写、俺は苦手なんだな、と、改めて思う。
苦手意識克服のために強迫的に苦手なものにこだわる人ってのはけっこういて、高所恐怖症のスチュワーデス、血を見るのが怖くて怖くてしょうがない看護婦さん、といった例は、夏目房の助『学問』にたくさん描かれている。身近見渡しても、たとえば、もりしげくんなんかも、残虐が「好き」なわけではない。残虐にこだわらずにいられないのだ、彼は。
かといって、それを言い訳に、楽なものばかり描いて良いわけではないだろう。たぶん。いいのかもしれないけど。もうちょっと試行錯誤するべきですね、私は。1月10日、午前5時40分。
1999年1月9日(土) 日記の想い出、お仕事、高室弓生さん
せっかく来ていただいてもなにも新しい書き込みがない、というのは来ていただいたかたに申し訳ない。ということで、不定期に日記をアップしよ思います。BBSにばかり書いているのも精神的に不健康ですし。・・・「会議室」とは名ばかりな俺様状態。だから、というのもあってサークル名とHP名変えたんですが。
日記つける習慣は、中一の時から、だいたい5,6年続け、その後、学生時代にはぽつぽつと不定期に大学ノートに書き、その後ネタ帳が日記代わりになったりして、現在に至る。つーか、現在は書いてませんでした。日記つけてると私の場合、強迫神経症気味になって、精神衛生上よろしくない。と、感じてきたのですね。
マンガが曲がりなりにも「お仕事」になってからは、書くことそのものが金になりますので、うおー、くそー、物言いたいー、ケチつけたいー、という衝動をお仕事のために大事にけちくさくとっておいたりするようになったので、なおさらだったりします。
中一の頃つけていた日記には、1999年7月までのカウントダウンが毎日書いてあったりして(爆笑)。なんと鬱陶しいガキだったのだ俺は。今でも鬱陶しい性格は変わりませんけど。しかしながら新サークル名の「アンゴルモア」でweb検索してみたら、うじゃうじゃ出てきて。魔術的未来予測に耽るというのは、自己を軸にすることのできない、悪しき他力本願だな、と、今更思ったりする。(良い他力本願もある。それは別の話)
現在、お仕事二つ抱えてたりします。ひとつはコアマガジン。コアマガジンさんごめんなさい。マンガ描くコツを同人誌『偽善者』描いたときつかんだような気がしたのですが、というか「お話」の作り方はちょっとだけわかってきたのかもしれないんですが、演出については自分はまだ全然分かってないんだ、ということを思い知らされてます。
もう一つのお仕事は、マンガと全然関係ないんだけど、もう一月近く前に頼まれてまして、ちゃっちゃかとすませるべきなんだけど。知り合いのお店屋さんのポップ描くこと頼まれてたりする。「なんやそれ?」、と、読まれるかたは思うかも知れませんが、私も年がら年中変態なこととか危ないこととか政治活動とかしてるわけではないです。それなりに日常生活があって、日常生活のしがらみだのとかささやかな日常を構築する努力とかしてたりもするんですね。このポップ描きはその一環。
とはいえ、ささやかな日常を破壊してしまいたい衝動がふつふつたぎったり、どかんと身を滅ぼしたくなる衝動がおそったりしょっちゅうしまして、そういう衝動を吟味したり自分の中で再演したりしながらもの描いたりしてるんですが。そんな舞台裏なんてどうでもいいわな。てゆーか開帳しようとしてどーする。内面の動きをつらつら書き始めると、自意識過剰になるし、誇大妄想になるし、だいたい、客観的に見てそんな生意気なこと他人様に書けるほどの何事も私はまだしていないわけだし。
あ。それとは別な仕事思い出してしまった。目の前のこと一つずつ片づけていかないと何ごとも終わるものではない。と、自分を欺瞞して目の前の仕事以外のことは極力忘れていたりする。これを普通「だらしない」とか「スケジュール管理ができていない」と言う。仕事の話題書いていると強迫神経症になって結局なにもできなくなるからこの辺で切り上げよう。
知り合いの高室弓生(たかむろ・きみ)さんという漫画家さんから郵便物いただく。高室さんとはマンボウの関係で知り合った。女の子みたいな名前だけどオッサンである。ワイルドでかっこいいオッサン。潮(うしお)出版「トムプラス」で『ニタイとキナナ』という縄文時代ホームコメディ描かれている。ほんとは『縄文物語』といったタイトルにしたかったそうだけど、そういうタイトルのマンガを他の出版社ですでに描いたのでそういうわけにいかなくなったのだそうだ。タイトルはマンガの命の一つだけど、こういうあたり、運が人生を支配するときがある。奥さんもマンガ家。『綿の国星』のちび猫のような美人。
高室さんは、高校生の頃、利き腕を骨折して、現在は利き腕でないほうの手でマンガを描いている。自分にその真似ができるだろうか? 高室さんの高校の近くに縄文時代の遺跡があって、縄文人の遺骨のなかに、骨折治療がしっかりとなされているものがあるのを見て、以来縄文に関心を持つようになったのだそうです。
手紙によると、高室さんの昔のコミックス古本屋で見かけたので確保したのち保護して送るつもりだったが、「妖怪さきこうた」に化かされて古本屋から消えてしまった、とのことです。「妖怪さきこうた」はフィギュア系のかたに伝わる妖怪だそうです。名前の由来はなんなんだろ?
現在、曽くんはアシの泊まり込み中。
さて、私も仕事に戻ります。1999年、1月9日、午後7時。
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