播惑闘球団 Barbarians

スクール指導員、カネカOBやそのつながりで集まった播州地区Over40ラグビーチーム

2008年活動記録

2008年12月29日 | Weblog
2008年活動記録です。
 1月 6日 初練習(日岡山)
 2月 3日 TRSCさんとの試合(日岡山グランド)
 3月 2日 ビッグウェーブさんとの試合(日岡山グランド)
 4月26日 カネカOB感謝会(カネカグランド)
   29日 米子遠征、米惑さんとの試合(米子市日野川グランド)
 5月18日 惑々さんと試合(カネカグランド)
 7月 6日 三田酔惑さん、西神戸RSさんと試合(日岡山グランド)
 7月21日 3周年記念ビアパーティー
 9月 7日 ビッグウェーブさん、アウル洛南さんと試合(日岡山グランド)
10月26日 三田黒豆カップへ参加、友惑さんと連合(平谷グランド)

ということで、スクール県大会周辺以降の活動がやや少なかったですが、今年も事故もなく、楽しい活動でした。まずお相手、ご招待頂いたチームの皆様に、そして参加して頂いた皆様に感謝致します。また来年も益々活発に活動してゆきましょう。参加お待ちしています。直近・当面の予定としては、

1月4日(日)12:30~ 練習(日岡山グランド)
           練習後、主務宅にてミニ新年会
2月1日(日)14:30アップ開始 15:30 K.O. 試合(日岡山グランド)
3月29日(日)14:30アップ開始 15:30 K.O. 試合(日岡山グランド)
4月5日(日)11:30~ 練習&花見(日岡山グランド)
4月29日(祝)遠征計画中

それでは皆様、よいお年をお迎え下さい!

社会人 模索

2008年12月28日 | Weblog
~12月28日 日経新聞朝刊掲載記事より~
 体と体がぶつかり合うタックルの音が、寒風吹く12月の空に響き渡る。間髪入れずに怒号が飛ぶ。「逃げるな!勝負せい!」山本清悟(やまもとしんご、48)が率いる県立奈良工業・奈良朱雀高校(秋篠校舎)ラグビー部。3年生の引退に伴い発足した27人の新チームはまだまだ”手探り”の状況だ。
 「未だ足首は治らんのか」「期末テストはできたんか」張り詰めた空気の合間に投げかける気遣いのひと言に生徒の表情が自然と和らぐ。178cm,90kgの体格、短髪にひげを蓄えた風貌・・・。”こわもて”に似合わず「繊細な性格」と笑う。
 男手一つで育てられた少年時代は「たばこに酒、ケンカ・・悪いことは一通りやった」。地元では「弥栄(中学)のシンゴ」と恐れられ、鳴り物入りで京都市伏見工業高校に進学。一人の教師とラグビーの出会いが人生観を大きく変えた。
 山口良治。学園ドラマの代表作「スクールウォーズ」で主人公のモデルとなった「泣き虫先生」。”悪ガキ集団”のラグビー部と正面から向き合い、全国有数のチームに育てたエピソードは広く知られる。山本はその中の象徴的な生徒の一人。「ラグビーはルールのあるケンカ」。山口からのひと言で山本はラグビー部に入ったが、1ヶ月で「辞めます」。山口からは意外な言葉が返ってきた。「ここで辞めたらおまえは高校も辞める。オレには分かる。絶対に辞めさせへん」。真剣な目。悪さに走る自分を避け、疎んできた周りの大人と明らかに違った。忘れられない思い出がある。1年の夏、愛知遠征に向かうバスの中。山口が大きなおにぎり2個を、そっと手渡してくれた。父親しかいない山本が弁当を持ってこないことを察し、、山口が妻に余分に作らせたものだった。「ありがとうございます・・・」。涙で目の前がかすんだ。以来、中学時代からの友人らとの連絡を絶ち、ラグビーに打ち込んだ。一年生でレギュラーの座をつかみ、二,三年生は高校日本代表に。ただ一つ、三年連続で府大会の決勝戦で敗れ、全国大会に出られなかったことだけが心残りだった。
 進路選択を控えた三年。「悪いやつの気持ちは悪いやつにしか分からん。ラグビーで救ってやれ」。恩師の一言で”道”は定まった。大学で体育教師の資格を取得し、奈良工業高校(当時)の定時制に赴任。しかし定時制高校でラグビー部を作るのは時間的にも人数的にも難しかった。2001年に同校の全日制に赴任。新入生向けクラブ紹介で各部のキャプテンに混じり、呼びかけた。「ラグビーをやらんか?」。発足した「ラグビー同好会」に集まったのは七人。ラグビーと無縁だった生徒も多く、道具は県内の強豪チームの使い古しを修理して使った。
 02年、新たに13人が入部、部に昇格。創部七年目の今年夏に行われた県リーグ戦では、全国大会に常連の上位二校に続く三位に。着実に成長しているが、「まだまだ」と感じる。特に気になるのは生徒の精神面だ。自分の時代とは明らかに違う。よくいえば「まじめ」だが、「『なにくそ』という反骨心が薄く、物足りない」。叱ると黙り込み、殻に閉じこもりがち。何を考えているか、理解に苦しむことがある。だから選手が逃げ腰になったり、個人プレーに走れば人一倍叱る。「『みんなのために自分をころし、我慢する』ことを学んで欲しい」。一方で練習後に「怒りすぎた」と反省することもしばしば。叱った選手へのフォローも忘れない。
 いまでも年に一、二度は山口に会う。「今年は二十人しか入りませんでした」「おまえの努力の問題や」。そういえば最近、自分も生徒の試合を見て目頭を熱くする。生涯の”先生”に似てきたことが照れくさくもあり、うれしくもある。