播惑闘球団 Barbarians

スクール指導員、カネカOBやそのつながりで集まった播州地区Over40ラグビーチーム

#77N谷さんより

2008年05月22日 | Weblog
一昨年より、中国、青島へ単身赴任中の加古川RS・N谷コーチより音信がありましたのでお伝えします。

青島地区は、全く地震の影響はありません。
ただ、テレビ等のメディアでは、ずっとニュースを放送してます。
すごい数の犠牲者です。
地震の少ない国であり、ほとんど対策していないので、住宅・施設が軒並み倒壊しています。
小生の入居しているマンションも15階建ての14階部分なので、これだけの大地震が発生すれば、間違いなく、倒壊し、多くの犠牲者が出ると思います。
中国でも、日本人会及び、会社から義援金を募って、寄付しています。
大変な状況ですが、中国人の13億人パワーは凄いです。
オーバー40、楽しそうですね。
しかし、N谷は運動不足で全く、走れません。
観戦するのが精一杯です。
怪我の無いよう、皆さんで楽しんでください。
それでは。。

とのことでした。スクールでもご子息たちは頑張ってますよ。
また、ときどき「単身赴任奮闘記」をお聞かせください。

H20年5月18日惑惑戦

2008年05月18日 | Weblog
WJL初日、初夏の陽射しの中、生徒の試合後に大阪の伝統チーム、惑惑さんをお招きして交流試合を実施しました。やや生徒の試合の進行が遅れ気味で、K.O.時間が30分ほど遅れてしまい、ご迷惑をおかけしました。
 惑惑さんは総勢30名ほどの参加で、20分3本、コンテストスクラムを申し込まれましたが、いつもスタミナ切れになる播惑ですので、15分4本、コンテスト無しでお願いしました。
 見慣れた方も多く、洗練されたメンバー揃いで苦戦しましたが、播惑もよく動き、やや優勢に試合を進めることができました。試合も荒れることもなく双方楽しみながら初夏の夕方のひとときを過ごしました。いつもはスタミナ切れで2~3本相手にトライを献上する播惑ですが、今回はなんとか最後まで緊張を保つことが出来ました。 最後にカネカの出汐館で双方健闘をたたえ合い、懇親を深めたあと散会となりました。遠くまで来て頂いた惑惑様、どうもありがとうございました。また参加頂いた皆様、どうもありがとうございました。

5月4日 練習

2008年05月04日 | Weblog
今日は数名の集まりでしたが、西神戸と加古川のスクールの交流試合後、練習を行いました。基本練習で約1時間、みっちりと汗をかきました。お帰りになって、おいしいビールを飲んで下さい。参加していただいた、Nさん、HAYさん、Mさん、HASさん、JDさんお疲れ様でした!

 ところで、話は変わりますが、時折聞かれるOver40チームの名前によく使われる「惑」のいわれについてコメントしておきます。下記のように、『論語 〔為政第二〕』のなかの40歳を意味する「不惑」が元になっています。(高校で習いましたよね)

子曰( し い)はく、「吾(われ)、十有五(じゅうゆう ご)にして学(がく)に志(こころざ)す。三十(さん じゅう)にして立(た )つ。四十(しじゅう)にして惑(まど)はず。五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知(し )る。六十(ろくじゅう )にして耳順(みみしたが )ふ。七十(しちじゅう )にして心(こころ )の欲(ほっ)する所(ところ )に従(したが )へども、矩(のり)を踰(こ )えず」と。

『論語 〔為政第二〕』の意味
孔子は言います。
私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。
三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。
四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。
五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。と。

このように『論語』が基になった年齢を表す言葉として下記があるようです。(普通は立派な孔子ようには必ずしも行かないとは思いますが)
志学=十五歳、 而立=三十歳、 不惑=四十歳、 知命=五十歳、
耳順=六十歳、 従心=七十歳

 世界で最初のOver40チームは戦後まもなくして誕生した東京の不惑、それから関西にも惑惑が誕生し、そのあとに続くOver40チームも「惑」を名前につけるチームが多くあり、播惑もそれに倣っています。

 まだ、不惑の年齢ではないようですが、テニスの伊達公子さんの見事なカムバックには拍手を送りたいですね。