二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

最近は、生活に直結する、原料高が進みつつあります。賃上げの交渉はどうなっていくのでしょうか。寒い冬は

2008年02月24日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい日も良き日であるように祈ります。
 今の日時は、2月19日(火)午前3時41分です。
 今、名古屋のFMラジオのZIP‐FMを聴きながら書いています。
 ディスコミュージックっぽい曲がかかっていますが、青春時代を思い出します。
 あの頃は楽しかったな、と思います。
 昨日の日経の夕刊から、中川秀直さんのコラムが一週間始まります、南極の石を宝物にしていらっしゃって、握りしめる度に、生命の神秘を感じるそうです、「上げ潮戦略」という本を書かれているので、経済「命」のゴリゴリのエコノミストと思っていたので意外でした。
 日経の記者をしていらした事もあるそうであり、慶応の経済ではなく法学部を出ていらっしゃるようです。
 チーム安倍時代の幹事長ですが、毎日、マスコミに対しての反論を書かれていたことを思い出します、今でも続けていらっしゃるのでしょうか。
 あの頃は、すごいタフな人だなと思って、たまにネットでチェックしていました。
 政治家というのはあれくらい脳みそがマッチョではないと勤まらないのかなと、敬意を抱いていました。
 しかしまあ、話は変わりますが、人間が生きているという事はすごい事だと思います。
 毎日生活するのには、所得税や住民税そして消費税等の税金を払い、食料品を消費し、趣味の為にお金を費やし、お酒で酔っ払ったりします、経済活動だけでも、人間一人当たりいくら掛かるのでしょうか。
 人が生まれるためには、両親が必要でした、愛し合い、そしてその結晶としての生命です。
 「命」その重みはいかなるものがあるでしょうか。
 ただ生きている、それだけで、赦されているその存在は、生きる行為を通して、また出会いを行い、新しい愛を見つけるのでしょう。
 誰もが初めての人生を生き、もがきながらも、一生懸命生きています、失敗もするし、傷つきもするけど、それでも、何某かの幸せを見つけて、自らの人生をまっとうしようと頑張っています。
 人は社会的動物です、一人だけでは生きていけない、学生時代はどういう意味か分かりませんでしたが、人は生きていくためには、お金を儲けなくては、今の時代は生きていけません、なので、商品を売って、お金を手に入れます。そのお金で生活をしているのは、僕の家です。
 牛乳屋という、一日一本100円前後の商品を、牛乳配達でお届けして生活が成り立っています。
 牛乳をお届けする代償として、お金をいただくという、シンプルな仕事ですが、このシステムもいつまで続くのでしょうか、日本の社会の中で。
 量販店の郊外への出店により、牛乳はスーパーマーケットで買うものになりました、ライフスタイルの変化です。
 日本人にとって、安価で新鮮な牛乳をお届けするという使命を、牛乳屋さんから、スーパーマーケットへとバトンタッチをしたのです。
 でもまた、最近はそういう顔の見えない商品よりも、毎日お届けする、信頼と、安心の牛乳配達も、また見直されつつあるようです。
 一人暮らしのお年寄りにも安心して生活が出来るように、助け合いの精神での仕事です。
 それでは。

 今もまだ手紙を書くという行為あまり馴染まず朴訥の冬

 軽やかな雀の楽譜電線の奏でる前に未完成にて

 春の花心待ちにて探す我香りのありか教えよ咲いて

 God bless you!

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 熱田神宮の存在は、名古屋の... | トップ | 「コンパル」のコーヒーは美... »

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事