二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

熱田神宮の存在は、名古屋の人にとって、安らぎであり、また誇りでもあります。この国を守り抜くという、自

2008年02月23日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という日も良き日であるように祈ります。
 昨日は「餃子の王将」でチャーハンとギョウザをいただいてきました。
 とても美味しかったです、ギョーザの具がいつもより多めに入っていたような気がします、食べながら、何故こんなに美味しいのかなと、考えていたのですが、「料理は心」だなと思いました。
 定番料理であるチャーハンでありますし、人生において、何度作ってきたか分からないこの料理を、いつものように美味しく作るというのは、心が入っていなくてはならないのだろうなと思いました。
 しかもあの値段で充分満足できるボリュームです。
 行きつけの台湾料理屋さん「美味館」のギョーザも美味しいですが、あの値段であの味であのボリュームは、「餃子の王将」ならではでしょう。
 ところで昨日は、思い立って、熱田神宮へお参りに行ってきました、売店の「宮きしめん」が食べたかったからです、あそこは無料の駐車場があるので、ぶらりと立ち寄る事があります、本殿と恵比寿さまにお参りして、宮きしめんをいただきました、美味しかったです。
 お土産コーナーを覘いてみると、「陵王」の金属製のお面のミニチュアがあったので、衝動買いをしてしまいました、以前、宮内庁の舞楽の催しで、この「陵王」の舞が奉納されたという記憶があって、それで、こういうものがあると、なんだか心が和みそうだなと思って、買ってしまいました。
 中国北斎の王子蘭陵王長恭という人は今で言うイケメンで、優しい顔の持ち主だったので、戦争の時に、兵士の士気をあげるために、恐ろしげな仮面をつけたことに由来するようです。
 この仮面は、熱田神宮に保存されていて、鎌倉時代に奉納されたそうです。
 熱田神宮という神社が、いかに格式が高いかですが、子供の頃から初詣に親しんだ程度でしたが、よくよく考えてみたら、あの「草薙の剣」のご神体が祭ってあるという、日本の古来からの神話の世界から続く史実を裏付ける証拠が現存するということは、すごいことなのかもしれません。
 他の都市にはそのような、三種の神器の一つがあるわけでなく、神社という場所にそのような神器が安置してあるという事は何を意味するのかと思うのですが、まだ日本が自然と共に生きていた時代から、あの場所は聖地で、八岐大蛇を退治してからの神話を受け継ぐ、重要な場所だったのでしょう。
 権力者が蹂躙しようと思えばできた、何の防衛の為の柵の無い場所に、その神剣が安置されているという事実は、力のあるものほど、刀の力を知っているものほど、熱田神宮の神聖さを認識し敬い、またその権威を利用しようとしていたのかもしれません。
 これからも、熱田の森を見守り続けていただいている、ご神体と神々に、感謝しつつまた、お祈りしつつ、部屋に設けた神棚に、心を籠めてお参りしたいです。
 日本人が古来から信仰の対象として、お祭りしている神社というのは、本当に日本の誇るべき文化であり、その神官の長としての、天皇皇后両陛下のお立場を尊敬し、また共に祈る事が出来る幸せを感じます。
 それでは。

 守り抜く気概を持って戦える人々達を導く熱田

 何故にこの地に鎮座ましますを濃尾平野の豊穣の地に

 野焼きする道端のあぜタンポポの花は咲きたる煙香りて

 God bless you!

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 静かな住宅街の日差しは、変... | トップ | 最近は、生活に直結する、原... »

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事