二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

自民党は、憲法だけではない。

2007年05月25日 06時43分57秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今朝の名古屋は雨です。朝の配達ではびしょぬれでしたが、終わりごろには止みました。
 今朝食を終え、喫茶コメダで新聞に目を通してきました。雨はまた降り始めています。
 今日の中島梓さんは、ご機嫌のご様子で、安心しました。東京はあらゆるエンターテイメントがあって、毎日どこかでパフォーマンスがあるようです。名古屋では考えられませんが、名古屋飛ばしは有名ですよね。名古屋は芸に対する目が厳しいといわれていますが、どうなんでしょうね。単なる田舎者かもしれませんが、あまり浮ついた生活をしている人は見かけません。
 やっぱり東京は昔はあの江戸でしたから、脈々と粋の文化が根付いているのかもしれませんね。
 名古屋も同じ徳川家の支配下にあったのですが、明治以後の維新によって、新興の政治勢力によって、疎んじられ、名古屋大学も最後の八校として誕生しました。まあいわゆる、「一流中の二流」と、パンツをはいたサルの学者、栗本氏に言われていますね。
 帝大で思い出したのですが、東京大学の出身で教鞭もとっていらした、舛添氏の発言で、今度の参院選挙には、憲法を前面に打ち出さない方がいい、憲法より生活だと、民主党と変わらない意見をおっしゃっていましたが、微妙に違うのは、憲法問題に対しては、前面に打ち出すのではなく、憲法問題も検討しますという、国民政党の責任ある自民党らしい考えで、まあ言葉で表現するならば、「憲法もありますが、それだけではありません」。という、国民の生活から、形而上的な、憲法問題まで広い守備範囲があるという事をおっしゃりたかったのだと思います。
 憲法問題は、日本の将来にとってとても重要ですが、自民党は自らの主義主張を述べるだけではなく、国民の目線に立った政治ができるという事です。
 僕の記憶にあるのは、中曽根政権からですが、国鉄の民営化や電電公社の民営化によって、格段にサービスがよくなりました。最近では、郵政民営化ですが、この改革によって、よりよいサービスを受けることができるのではないでしょうか。  
 頑なにその形態を維持するために、存在する自民党ではなく、よりよい未来像に向けて、変えていかなくてはならないものは変えるという勇気があります。憲法改正もその一環であって、憲法を変え終わったら、自民党が消滅するわけではないのです。憲法が変わったら、生活がすぐによくならないと同じ事です。よりよい社会にするための手段であり、憲法改正は目的ではないのです。なので、このたびの参院選挙を前にして、チーム安倍のリーダー安倍首相のリーダーシップに対して、国民は注目をしています。
 二酸化炭素の50パーセント削減等、国際社会に対して戦略的な発言をなさるなど、新しい日本の形を積極的に内外に示しつつある今日、その動向は注視されこそすれ、非難する人は少ないでしょう。
 環境問題は喫緊の課題であり、また日本の得意分野であるからです。この星を美しいものにするという、新しいメッセージは、今後の日本のあり方を示す画期的な発言であったのかもしれません。ここに、チーム安倍のリーダー、安倍首相に心からの信頼と、そして敬意を示して今日は失礼致します。
 それでは。

 P.S  今日も、Mika Yoshida さんが、美しく、元気で、幸せである事を祈ります。

 雨が降り乾いた大地湿らせて青き葉冴えて目に映る影

 吾ありて無限宇宙広がりて人間とはと宇宙知れど

 空気無し花は咲かずにいるけれどこの星はほら碧き薔薇なり

 God bless you!

 


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