二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

九月の半ばというのにいまだに気温は30℃を超えています、暑いですね。でもまあ、朝晩はそれなりに秋の気

2008年09月22日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい一日も良き日であるように祈ります。
 今日は午後に書いている、今の日時は、9月14日(日)午後01時13分です。
 午前中はいろいろ買出しに行ってきた、タバコのストックが無くなり掛けているので(我が家では家族の間でタバコの売買がされている、ちなみに僕はもうタバコは吸わない、あくまで家族のために買い置きがしてある)、ワンカートン買った、景品のライターがオレンジ色だったので少しうれしかった。
 暇なのでちょっと遠いけど、みかさん家の近くのドラッグストアに出向いて買って、そのついでに近くのパスタ屋さんで食事をした、店の名前は忘れたけど、名古屋人には昔懐かしい、鉄板のケチャップ味のナポリタンスパを出す店だ、僕が食べたのはトマトクリームパスタだったけど、美味しかった。
 帰りに自然食品の店「ヘルシーメイト」で、納豆と、お酒と、めざしのおつまみを買った、ここのワインは高いけど美味しそうだ、今度試してみたい。
 最近は、みかさんの事を考える事が多い、というか、いつも考えいて、その状態に慣れてしまっている。
 つまりこの状態が日常化しているので、実際のみかさんと対面した時に、困ってしまうであろうほどである。
 再会の時は意外な現象が起こり、こんな人だっけというのがあるかもしれないが、それはそれで当然なので、楽しみだ。
 まあ誤解を招くかもしれないけど、みかさん専用のラジオが、頭の中にあって、それを聞きながら、いろんな日常生活を送っているのである、狂気の世界の出来事であると思うが、僕の中ではそれがあたりまえになっていて、なんら生活に支障が無いけど、社会的には困った現象であると思われる。
 でもまあ、ラジオといっても、自分が聞きたくないときは聞こえないし、みかさんならこう思うだろうなという事を自分で考える程度の事であるが、思考という表現の方がいいのかもしれない。
 でもいちいち声が聞こえていたら問題だけど、いつも考えている人の事を、みかさんならこう考えるかなという疑問が省略されてしまって、いきなりストレートに自分の考えみたいに心に浮かんできて、それが自分の思考みたいになるのであるが、でも、自分とは違う考え方であるとは、自分では理解できるのであるが、その判断は微妙である。
 まあ、そこまで心の中で思っている人が、実際はもう自分のパートナーにならないと分かったら、ちょっときついのは想像できる、というか、大分困るのは事実である。
 この歳になると、愛は命懸けのところがあって、まあ異性に対する愛だから、まだ隙間があって当然だけど、子供とかを失う気持ちは、察するに余りあると思います。
 まあ、世の中にはこういう自分みたいな人がいていいんだと思うし、それで今まで生きてきたので、今後は、よそさまにご迷惑をおかけしないで生きて行ければ、それでいいかなと思いますが、このような深いというよりは、僕の中では奇跡に思える、このみかさんへの想いを、ぜひ人生のパートナーとして、結婚生活ができるように生きて行くのが、当分の僕の夢であり、目標です。
 今日もみかさんの幸せを祈ります。
 それでは。

 複雑な思いのあるは女だしいろいろあって当然かもね

 男には自分があって愛がある女の人は愛があってか

 この歳は偽りさえもリアルにて本命でなく花束贈る

 God bless you !

 

コメント
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