二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

辛くて、辛くて、忘れたかったのに、気がつけばまた考えていて、何時もそこの周りをぐるぐると堂々巡りをし

2008年09月02日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい一日も良き日であるように祈ります。
 いつの間にかもう、秋の空気です、朝は少し肌寒いくらいです。
 今の日時は8月25日(月)05時27分です。
 昨日は妹とその子供と母とで、東山動植物園と、星ヶ丘三越へと行って来た。
 子供をつれて歩くのは大変だった、子育ては体力だと思った。
 昨日はビールがうまかった、「KIRIN」の500ml缶2本で「THE GOLD」という銘柄です。
 今朝の日経の朝刊で、「トロン」で有名な、坂村教授が、日本を英米法の体系にするべきであるという提案をしていた、理系の坂村氏だが、社会科学にも詳しいらしい、確かにそういう選択肢もありかなと思っていたところだが、一度真剣に検討されるべき事柄であると思われる。
 でも不思議なもので、窈ちゃんには起こりえない感情が、みかさんには起こって、嫉妬心がメラメラと起こります。
 自分でも、ストーカーになるのが怖いのですが、みんなは、どうやって、彼氏や彼女を信じているのかなと思います、僕とみかさんはまだ交際しているわけではないので、お互いフリーですが、彼女の事を束縛したい自分がいて、戸惑っています。
 昔は、雑誌に乗るようなお洒落なレストランで一緒に食事をするのが恋愛だと思っていましたが、よくよく考えてみたら、その人を好きになるという、その感情そのものこそが重要であり、その精神のあり方が、その人を勇気付け、そして、新しい事にチャレンジする力を、引き出すなどの、すばらしい事が、恋愛のすごさだと思うようになりました。
 今までは、心の中で想っていただけで、きっと好きな人いるんだろうなと、半分あきらめていました、その状態をなんと15年以上続けていたのです、ぐじぐじと、こんなに、あの人が好きだという気持ちになるけど、あの人には届かない、絶対振られると、そういう思いを続けていました。
 でも、今回やっと直接お会いして、僕という人間を、すぐに認識してくれて、しかも、丁寧に対応をしてくれ、尚且つ、僕の将来を気遣ってくれて、好きじゃないふりまでしてくれたのです、(これは、あまりにも自分勝手な解釈だけど)。
 正直言って、もう忘れていました彼女の容姿、今ももうほとんど思い出せません、でも美しかったことだけは思い出せます。
 女は、顔じゃないと思うし、その控えめだけど、しっかりとした話し方と、凛とした声は、今も僕の心の中に残っています。
 今までは、電話でお話しようとしていましたが、今回はどうしても会って話がしたかったのです、僕の愛している人の姿を一目でも見てみたかったのです。
 きっと、僕が彼女を愛しているというのは、彼女に伝わったのだと思います、わざわざ何回も半年が経つたびに、会社にまで出向き、みかさんへ贈り物と、手紙を託すという行為は、好意が無いと出来ない事だと、彼女はそれぐらい分かるでしょう。
 でもその行為は、気弱な僕を、容赦なく叩きのめし、実際、その後の何の連絡もありませんが、便りの無いのは何事も無い証拠という言葉を思い出して、ただただ、自分の中のみかさんを信じるしかありません。
 僕にとって、このような状態になるのが、「恋」だとやっと気がつきました。
 みかさんの幸せを祈ります。
 それでは。

 あの時を求めし君の仕草にて何回目かの死をわれは知る

 もがいては深きに潜るその息の苦しさこそが我のすべてで

 その花もあなたにも似た美しさ君のすべてであったものかも

 God bless you !

 

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