坑道の出口近くに、何やら建物がある。
入って見ると、そこには古い機械類がたくさんある。
そこは、機械工場である。
鉱山で使う機械を修理するための工場だそうだ。
そして、機械類の中には、現在でも作動するものがあるというのが驚きである。
そもそも先ほどまで通ってきた道遊坑が明治から平成に入るまで実際に使われていた坑道なのである。
(金や銀の採掘用ではなく、採掘した鉱石を運び出す坑道である)
順路に従って次の建物に入ると、そこは土産物店であった。
もう一つの坑道(江戸時代)を見てから、ゆっくりと買い物をすることに決める。
外に出ると、軽食スタンド(屋台)や休憩場所がある。
そこに立っている説明書きがこちら↓
もう一つの坑道に入るには、先ほど入った(切符売り場の側の)入口まで戻らなければならない。
距離にして数十メートルくらいなのだが、何しろ坂が急である。
かんかん照りの中、途中から屋根付きの歩道をよたよたと上り、入口に着く。
入口で入場券を見せて、今度は右手の坑道に入る。
ここは、江戸時代に採掘していた宗太夫坑と呼ばれる坑道である。
道遊坑と比べると、坑道は狭く、壁や天井が滑らかではない。
それは、手掘りで作った坑道だからである。
あちこちに下方へと続く穴があり、そこには江戸時代の採掘の様子を再現した人形がある。
実際に採掘しているところを見ている気分になる。
近くに親子連れがいて、小さい方の子どもが「怖い-」と言って泣いていた。
確かに薄暗い中、この展示は、子どもには十分怖いだろう。
わたしの写真の良くない点で、こんな何もない穴を撮している
人形と説明書きのおかげで、身分によって作業内容が異なることや、
採掘中に出てきた大量の水の排水方法がわかった。
江戸時代なのに、精巧な装置(排水ポンプなど)を作って使用していたのには驚いた。
入って見ると、そこには古い機械類がたくさんある。
そこは、機械工場である。
鉱山で使う機械を修理するための工場だそうだ。
そして、機械類の中には、現在でも作動するものがあるというのが驚きである。
そもそも先ほどまで通ってきた道遊坑が明治から平成に入るまで実際に使われていた坑道なのである。
(金や銀の採掘用ではなく、採掘した鉱石を運び出す坑道である)
順路に従って次の建物に入ると、そこは土産物店であった。
もう一つの坑道(江戸時代)を見てから、ゆっくりと買い物をすることに決める。
外に出ると、軽食スタンド(屋台)や休憩場所がある。
そこに立っている説明書きがこちら↓
もう一つの坑道に入るには、先ほど入った(切符売り場の側の)入口まで戻らなければならない。
距離にして数十メートルくらいなのだが、何しろ坂が急である。
かんかん照りの中、途中から屋根付きの歩道をよたよたと上り、入口に着く。
入口で入場券を見せて、今度は右手の坑道に入る。
ここは、江戸時代に採掘していた宗太夫坑と呼ばれる坑道である。
道遊坑と比べると、坑道は狭く、壁や天井が滑らかではない。
それは、手掘りで作った坑道だからである。
あちこちに下方へと続く穴があり、そこには江戸時代の採掘の様子を再現した人形がある。
実際に採掘しているところを見ている気分になる。
近くに親子連れがいて、小さい方の子どもが「怖い-」と言って泣いていた。
確かに薄暗い中、この展示は、子どもには十分怖いだろう。
わたしの写真の良くない点で、こんな何もない穴を撮している
人形と説明書きのおかげで、身分によって作業内容が異なることや、
採掘中に出てきた大量の水の排水方法がわかった。
江戸時代なのに、精巧な装置(排水ポンプなど)を作って使用していたのには驚いた。
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