この番組の終了を知る前、「義母と娘のブルース」が終了したばかりだったので。
(おまえもか、、)という寂寥感に襲われた。
この番組の内容は、かなり地味なもので、職人を取り上げる事が多かった。
例えば、零細企業の職人の制作品を、海外の誰がどのように使っているかを紹介し。
海外の人には、日本の制作現場を動画で見せ、それに感嘆した海外の人の動画を
日本の職人に見せるのだった。
海外の人達は、必ず(これを作って下さってありがとうございました)と礼を述べた。
職人達は集合し、大体正座して、海外の人の言葉を聞いていた。
(これは、うちの品だ)と頷き
徐々に顔に確実な喜びが現れ、涙ぐむのだった。
この番組はクイズでもあり、司会は、増田和也アナ。
レギュラーは、萬田久子・東貴博。
これは、何を作っているのでしょう?が問題で。
何をと言われても、そこに出てくるのは、何をの部品ではなく、原材料だった。
増田アナに、ヒントを聞けるのだが、増田アナは、当たらない・ヒントを、与えるのだった。
そして、(某さんの、回答を見てみましょう)(不正解です!)と嬉しそうに笑った。
東は常に(ヒントが悪い)(アナウンサーが悪い)とやっていたが、わざと言っているのは分かった。
増田アナは、(萬田さんは、どう思います?)とかいう質問を、よく振っていた。
どこからだったろう。
私は、増田アナが、蝋人形のように見えた。
痩せているのに、サイズの大きい上着を着て、あおじろく背筋をしゃんと伸ばし、目玉だけが動く。
ちょっと首を回すと、蝋人形が動いたように見えるのだった。
視聴率が悪いのか、心配した。
そして9月20日、10年間の司会を務めた増田アナは、卒業となった。
最終回、2012年2月迄、地井武男がレギュラーだったのを知った。
初回の増田アナは、26才で、まるで若く明るかった。
スーツも体にフィットした現代的なものを着用していた。
最終回の彼は、体にフィットした現代的なものを着用していた。
さっぱりとし、10才若く見え、年相応だった。
地井武男が回答の色紙に、牛丼と書き、牛丼の絵を描き、(すさ屋)と書いたら
東が(コマーシャルやっているんだろう!屋は、家だ。さは、きだ)と言い
地井が全てを別に書き直したら、牛丼が牛井になっており。
(牛井じゃないだろう!)と又、言われた。
惜しい人を、なくしたと思う。
最終回、増田・萬田・東の3人で、以前取材した2人の職人の今を取材し、日が暮れた頃。
番組を行っていた、鍋料理の店に向かった。
いつもの司会席・解答席もない部屋は、広々としていた。
(今日は、ご報告したいことがありまして)と増田アナは、自分の卒業を述べた。
すると、東が(ある方から、手紙を預かっています)と封書の前を見せた後、裏返して差出人を見せた。
見せた途端、増田アナの表情が変わった。
その手紙は、地井武男の奥さんからだった。
(楽しみに拝見していました)
(地井は、何かあったら、自分をつっこんで欲しいと言っていました)
増田アナは、若返った顔で泣いた。
泣きながら(感謝しかありません。今迄ありがとうございました)
(お三方に、育てて頂きました。ありがとうございました)と述べ続けた。
あまりの事態に、(泣くなよ)といつも9時半には寝ている私は、10時半に見終わったので、消去してしまった!!
もう、あの妙な増田アナのクイズ番組は、見る事はない。
ありがとう、がんばったね、幸せになって下さい。と伝えたい。
尚、10月11日、改題「二代目和風総本家」が、スタートする。