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KAGEブログ 光あるところに影がある

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時々は更新する予定。

日本テレビ版「ドラえもん」放送開始から34年目

2007-04-01 22:32:23 | 日本テレビ版「ドラえもん」
4月1日といえば、「ドラえもん」ファンなら御存知の通り、1973年に初めてドラえもんがアニメとしてブラウン管に登場した記念すべき日ですね。←ドラえもんが帰ってきた日とか他にもエイプリルフールネタとかの方が有名だろうとか意見はあるでしょうが、私の個人的趣味で、日テレ版「ドラえもん」放送開始記念日とさせて頂きたい。
せっかく当時と同じ日曜日だし。

ここまで何度も日テレ版の「ドラえもん」を話題にするブログが他にあるのかどうか知らないけど、さすがに自分としても最近どうかなと思ってたりもするのですが。

ま、それはともかく、

今回は作品そのものではなく、当時の視聴者層というか視聴者像というか、見てた人はどういう環境であったかを自分をモデルケースとして考えてみたい。
それによっ何故当時はあまり話題にならなかったのか、見れてた人はどの様な理由で見てたのか色々考察してみようかなと。

日テレドラについて真剣に研究、考察されてる方がいましたら多少の参考にでもしてください。


まず、私は東北は青森県の出身である。幼少時から成人してからもしばらくは地元暮らしであった。
で、当時青森県は民放が2局しかなく、フジテレビ系列のテレビ局がなかった。
つまり、今では有名な「マジンガーZ」が裏番組な為、低視聴率だったという状況が無いのである。
ちなみに当時はTBS系と日テレ系の局のみであり、私は4歳くらいだったから当然アニメの方が見たい訳で、その時間帯にはわが地方では「ドラえもん」しかアニメをやってないのだから何の躊躇もなく「ドラえもん」を見ていた。

余談ですが、10代になるとさすがに他の地域より放送される番組が少ない事がわかり、見たい番組が見れない事、ヒットした番組でもだいぶ遅れて放送される事が嫌で嫌で仕方なかった(当時はビデオも普及してないから他の地域の方と友達になるという発想もあまり無かった)。

しかし、「マジンガーZ」が裏番組に無かったおかげで「ドラえもん」が見れたのだ。
「マジンガー」は他の時間帯に放送されてたから結局両方見れたし。
その点は今では良かったと思っている。マジンガーが裏だったら、やっぱり自分も「マジンガーZ」を見たと思うし。

で、これは推測でしかないけど、元々日テレはフジより系列局が多かったので、地方在住者の方が「ドラえもん」を見てた可能性は高いと思う。

しかし、当時はまだテレビは一家に一台という時代であったので、「ドラえもん」が始まる以前から裏番組を見てた人は視聴習慣を変えるというのもあまり無かったとも思う。
ましてや、アニメ雑誌もなけりゃ、単行本にもなってない作品の宣伝を見る機会もほとんど無いのだから、小学館の学年誌を読んでるか、たまたまテレビで見るかしか知るきっかけも無かった。
コロコロコミックも「てれびくん」もまだ無い。
たまたま見たところで、まだアニメファンどころか、「ドラえもん」ファンといわれる人自体がほとんどいない時代、しかも小学生高学年以上になっていたら、アニメから段々離れていくのが普通であったと思う。

更に、当時は「原作ファン」がほとんどいなかった思う(全くいないとは思わないけど)
ネオ・ユートピア43号にも書いてあるが、藤子作品としては当時かなりマイナーな方だったのだ「ドラえもん」は。

もう少し自分なりの推測で、視聴者層を考察すると、フジテレビ系の無い地方在住者(ただ、年齢も重要ではある、中学生くらいはもう子供向け番組を見なくなるのが普通だった)以外は、

・「マジンガーZ」に興味が無かった子供

これは結構当時としては異端の子ではあるが、戦闘モノが苦手という人はいたと思う。
女の子だと意外と可能性高い気もするんだが。

・男の兄弟が居なかった女の子

これは上記と重複するとこもあるが、やっぱり男の兄弟がいると、女の子でも「マジンガーZ」を一緒に見たりしたと思うので、男兄弟がいない人の方が可能性が高い様な。

・原作ファン

ほとんどいないと思うと書いておいて何だが、雑誌で読んで楽しみにしてた人というのもきっと居たと思う。かなり少数派、現在40代以上に限られるとは思うけど。

で、今度は、

「何故、話題にする人があまり居ないのか?」

ネットの発達もあり、昔好きで見てた人の意見も時々見かける様にはなったが、それでも割と埋もれがちとは思う。

理由は、

これも推測でしかないので反論があったら是非お願いします。

・藤子ファンの世代断絶。

これは実は自分もそうなんだが、昭和40年代藤子アニメが好きだった者にはシンエイ動画版藤子アニメブームに素直に乗れなかったとこがある。
まず、テレ朝版「ドラえもん」の大ヒットによって日テレ版が半ば「無かった事」くらいの扱いにされてしまった事、「ドラえもん」以外もリメイクが出来るたびに過去のアニメに陽が当たらなくなっていった事。
つまり、現在藤子ファンの中心であると思われるシンエイ版藤子アニメブームによってのファンと話が合わないという部分(ブームによってのFFランド刊行や色々偉大な功績は認めるにせよ)
日テレドラのファンで、大山のぶ代さんのドラえもんは受け入れられないという人も実際いたのである。

勿論、これは偏見や考えの違い、時代や世代の違いもあるので、もっと交流して是正していきたいと最近私は思っているが(実際はシンエイ版初期は好きだったし俺)

ま、↑の件は面倒くさく書いたが、ややシシンエイ藤子アニメに複雑な思いがあるという事を解ってほしい(決してシンエイ藤子アニメが嫌いな訳じゃないので誤解しないでほしいんだが)


・もういちいち説明するのが面倒くさくなった

これもまた上記の話と重なるが、テレ朝の「ドラえもん」より昔、別の「ドラえもん」があったという話をして、「見た事ない」、「知らない」、と言われた経験がある人は結構いると自分の経験からも思っている。
話の合う人は中々いないし、放送期間くらいなら簡単に調べられる筈なんだが普通の人はそこまでしないし、段々自分の方が間違ってんじゃないかという気分にさせられたり、中途半端な知識で的外れな事を言われたり、もう話題にする事が嫌になってしまったという人も多い様な気がする。

これに関しちゃ自分も近い経験があるので、気持ちが解ったりする。
ただし今は真面目に研究されてる方や、熱心な藤子ファンの存在を知ってるので、出来るだけ解る事は伝えようという考えになってますが。

幸い私は姉と一緒に見ていたので、姉と日テレ版「ドラえもん」の話をよくした。
おかげで存在を疑問に思う事も無かったけど。


・見たという記憶はかすかにあるが、小さい頃過ぎて細かい事までは思い出せない。

これも結構いそうである。
しかしこれはもう仕方ないとしか言えないが。


しかし長々と書いてしまった。
えーと、この件に関する疑問や意見、反論等いつでもお待ちしてます。








『日本テレビ動画研究会』レポート(5)

2007-02-28 20:05:02 | 日本テレビ版「ドラえもん」
やっと、今回でこの話題終わりです。

て事で、しつこく旧ドラ上映の話題な訳ですけども。
最後に「潜水艦で海へ行こう」(本放送昭和48年8月5日Aパート)を上映して頂いたのですが、これは昨年ネオ・ユートピアの上映会でも公開されたので、一部の方々には比較的有名かと。

あ、これ「くるった腹時計」と放送日が一緒ですね。
両方夏休みの話だもんなあ、一応放送一回分見れたって事か。

そういえば、「くるった腹時計」の巻で、ガチャ子がドラえもんに対して「21世紀から来てる癖に」というセリフがあるのだが、当時はまだ22世紀からではなく、21世紀から来た事になってたのだなあと妙な感慨を抱いた。
原作も当時は21世紀から来た事になってましたから、これは当然なんですが。

「潜水艦で海へ行こう」については昨年一度見てるし、他の方の感想等も色々あったので、この話に関してはレビュー省略(決して手抜きではない、信じる様に)

で、あらためて見返して旧ドラの面白さを再認識させていただいたのだが、返す返すも残念なのは、フィルムが全話は残っていない事である。
しかし、数年前には絶望的とさえ言われていたフィルムが数話分とはいえ個人的に保管されていたのだ。
いつかどこかで全話分が偶然見つかる可能性だって無くはない。
希望をもち続けよう。

その後、場所を移し、軽い雑談等を皆とさせていただき、大変楽しかった。
参加された皆様、本当にありがとうございました。

ついでに今までのネット等での噂や納得いかない風評についてこの際、当時の視聴者であり、あらためて見てやっぱり面白かったと確信した旧ドラファンからの反論をここで記しておきたい。
以前も似た様な事を書いた覚えもあるが、まだ色々書きたい事があったので、物のついでに(笑)

まず、

・雰囲気が陰気で暗かった

これは数年前に一部で噂になってたのだが、出所もよくわからないし、しかも当時見てた人の意見であったらしい。
本当に当時の視聴者の意見か?と、この噂を読んでからずっと疑問であった。
ネオ・ユートピアの上映会で見た人ならわかるかと思うが、「陰気」ってのは一体どう解釈すればそう見えるのだ?
どっちかっつーと、「うるさい」くらいの番組かと思うんだけど。
まだ、「下町人情的雰囲気があった」なら解るんだが。

・あのオープニングだと人気が出ないのも無理はない

たまにこういう論調の方がいるのですけど、これは勿論、主題歌を実際聴いての意見なんだが、これも当時の視聴者からは意味のわからない言いがかりでしかない。
↑ちょっとこの表現もどうなんだという気はするが、当時はあのオープニングが「ドラえもん」の主題歌であり、普通に毎週楽しみにしてたし、よく私は口づさんでいた。
むしろ、後のテレビ朝日の「♪あんなこといいな、できたらいいな」の方が自分はよっぽど違和感あったくらいである。
大体、旧ドラを見てなかった人は視聴習慣によって(当時は宣伝も大々的にはやってないし、裏番組を毎週見てたらまず他のチャンネルにはしない)、そもそも放送してた事に気付いていなかった人の方が多い訳で(実際、見れる状況であっても後で旧ドラの存在を知ったという人がいる)、オープニングがパワー不足だからといって見なくなる理由にはならない(私はパワー不足とも奇妙とも全く思わないが)。
私にとっては旧ドラのオープニングこそ「ドラえもん」のテーマとして馴染んでいたのだから。
単に後のシンエイ動画版主題歌に比べてイメージが違う為、シンエイ版主題歌が刷り込みされている人にとって違和感があるというだけの話であろう。

とりあえず、今回はこんなとこで。

ネオ・ユートピア43号の大特集が今のところ決定版ともいうべき資料であるし、しばらくは旧ドラ関連に新しい展開は無いと思われるのがやや残念ではあるけど(あるとしたら残りのフィルム発見しかないかな)。

さて、ネコあつめ鈴の件もそうだが、私は自分の記憶を確かめたい話が他にもいくつかある。
単純にもう一度見たいというのは当然あるが、再確認したい場面も結構あるのだ。
記憶が正しいかどうか、そろそろ自信もなくなってくる位の年数は経ってしまっている。
いつか、旧ドラが偏見と好奇の目ではなく、当時のアニメ化の意義と「ドラえもん」の状況を理解されて、普通に視聴出来、正しく評価される日がくる事を心の底から願う。



『日本テレビ動画研究会』レポート(4)

2007-02-27 20:30:04 | 日本テレビ版「ドラえもん」
更に旧ドラ上映会、感想。

続いて上映していただいたのは、

「くるった腹時計」(本放送昭和48年8月5日Bパート)

内容は、いくらラジオ体操の為に朝起こしても起きないのび太、しかも起こしても起きない癖に起きたら「起こしてっていったじゃないか」と文句まで言うのび太に豪を煮やしたドラえもんがポケットから、「おきる」「ねる」等と書かれた時計を取り出す。
それは「起きる」のところに針を指しておけば絶対眠くならず、「ねる」に指しておけば必ず寝るという時計。
しかし、どうも調子が悪いらしくうまくいかない。
そこにガチャ子が登場して、未来まで行って直してくるという。
そしたらどうもドラえもんが寝付けなくて困っている。
どうやら、「おきる」で止まったまま壊れたせいでドラえもんがいつまで経っても眠くならないらしい。
のび太も寝てしまい、退屈なドラえもんは皆が寝ながら言う事を聞くという笛を取り出し、球場にまで忍び込み、皆と野球を開始。
しかし結局守衛さんに見つかり、退散。
翌朝、ラジオ体操の会場で皆が体操をしながら、「昨日、野球してる夢を見た」「俺も」等と言い合う中、
ドラえもんが今度は寝たり起きたりを繰り返す。
直った腹時計をガチャ子が「ねる」にしたり「おきる」にしたりを繰り返してるせいだった。

てな感じですが、この話、こうやって見ても原作がなんだか解らない。
とゆーか、多分オリジナルかと思われるのだが、ネオ・ユートピア43号によれば「ゆめふうりん」(てんとう虫コミックス2巻収録)の大幅アレンジらしいとの事。
確かに寝ながらする事が「相撲」から「野球」に変わってはいるが、ラストの皆のセリフ等からそう考えられる。
道具(旧ドラでは通称「秘密兵器」、当時はまだ「ひみつ道具」という名称は無かった)が全然違うので、解りづらいとこですが。
もっとも当時は単行本も出てないから大半は原作なんか知らずに見てた訳だし。

ドラが笛を取り出す前にネコあつめ鈴で猫を集める場面があるのだが、首についてる鈴ではなく、ポケットから鈴を取り出して鳴らしていた。
自分の記憶では、首の鈴で猫を集めてた場面に覚えがあるのだが、記憶違いだったのか、それとも別の話では首の鈴を使っていたのか。
この話では名前が「ネコジャラリン」になってるしなあ。
誰か覚えてたら教えて下さい。
ついでに書いておくと、鈴が故障してるって設定は旧ドラ放送終了数年後に出来た設定ですからね。

ほとんど後半はドラえもんの暴走で展開してます。

猫が集まってくるシーンでは猫たちが泣き声で「黒猫のタンゴ」をハミング。
時代を感じる選曲です。

この話もドラの声は野沢雅子さんなのですけど、当時は気付きませんでしたが確かに野沢さんになってからドタバタ色が強まったのは事実の様です。
ノリとしては、「ど根性ガエル」とか東京ムービーのギャグアニメに近いイメージもありますね。
しかし、私はこのドラえもんを毎週楽しみに見ていたのですよ。

何はともあれ、自分の記憶の再確認が出来る機会に巡り会えて私は嬉しい。


で、まだ続きますよ、旧ドラについて。


『日本テレビ動画研究会』レポート(3)

2007-02-26 20:00:50 | 日本テレビ版「ドラえもん」
旧ドラ上映の感想、続きです。
次に上映していただいたのは、

「お天気ボックス」(本放送昭和48年8月26日Bパート)

原作はてんとう虫コミックス10巻掲載「お天気ボックス」
この回はドラえもんの声が野沢雅子さんに変わってからの話。
出だしが何故か相撲大会、しかもドラえもんも参加しようとしてるのが笑える。
そして、ジャイアンが勇んで相撲に望もうとしたところ、雨が降り出してカミナリが鳴り、カミナリが苦手なジャイアンが逃げ出して(お前は怪物くんか?)、対戦相手ののび太が運よく勝利。
そこで、色々ドラえもんやスネ夫達とやり取りをしてる間に雨がやみ、静香ちゃんが虹を見て感動。
ひとり突然乙女チックな目をして「虹を捕まえてくれる人がいたらお嫁さんになってもいい」という発言にのび太が躍起になり、ドラえもんに泣きついたところ「お天気ボックス」の登場。
晴れや雨などのカードを入れるとその天気になるという物だが、虹は作れないという。
しかし、うまく組み合わせれば虹が出来るかもとドラえもんが一度シュミレーション。
それがうまくいったので、早速静香ちゃんの家へ。
ところが今度はカードの順番をドラえもんがメチャクチャに入れてしまい、猛吹雪が巻き起こり、静香ちゃんをカンカンに怒らせる羽目に。

といった展開のお話です。

冒頭のシーンで、ジャイアンがカミナリに弱いというのは独自設定であるけど、旧ドラのジャイアンはガキ大将ではあるが、多少気の弱い面もあったので意外と違和感は無い。
しかもジャイアンの出番はこれだけ。
しかし、ドラえもんのまわし姿は、富田さんの男気溢れる感じのドラえもんと違い野沢さんの妙に女言葉的な言い回しと相まって奇妙なおかしさを誘発させる。
そして、静香ちゃんが虹への感動をひとりで乙女になって語るシーンのバックでかかってるBGMが、一部の方には有名な「あいしゅうのドラえもん」のインストゥルメンタルバージョン!

知らない方の為に説明すると、当初ドラえもんの声だった富田耕生さんがボーカルの歌の題名です。
富田さんがドラえもんとして唄ってるのですが、中々インパクト大ですよ。
このボーカル入りの歌自体を番組で使った事は多分無いと思うのだが(自分もこの歌の存在は数年前に初めて知ったし)、曲はこういう形で使用されてたんですねえ。
しかし、もうドラえもんの声は野沢さんになってる時ってのが何とも。
個人的にこれが一番の発見かも(笑)

で、「お天気ボックス」登場前にのび太がヘリトンボ(タケコプターの初期名称、旧ドラではヘリトンボ)を使って虹を本当に捕まえに行こうとする展開があるのですが、無理矢理ドラえもんも付き合わせようとして、ドラが嫌がってると、「君は僕の親友じゃないか」という、今の皆が知ってるのび太らしいセリフも聞ける。
それに対するドラの「君と親友になんかなるんじゃなかった」という後にはよく見られる様なやり取りが見れる。

結局直接取りに行く事は諦め、「お天気ボックス」登場になるのですが、静香ちゃん家に行ってから調子づくのはのび太ではなくドラえもん。
あくまで場を引っ掻き回すのはこの時はドラえもんなのですね。
ま、この時は「調子づく」というよりは、「あせってパニックを起こす」といった展開ですけど。

お天気ボックスの操作がうまくいかず、猛吹雪を起こし静香ちゃんを怒らせるシーンでは、ドラえもんに物を投げつけたり、ほうきでドラえもんを叩きつける暴力的な静香ちゃんという、現在では中々見る事が出来ない場面も見れたりする。
ま、当時のギャグアニメのお約束みたいなもんですけどね、こういうシーンは。

で、その叩かれたドラえもんの目がグルグル回って、ドラが「今、虹が出てる」というセリフでオチ。

大体、ドラえもんがコケたりとかのシーンでオチという事が多かった思い出はあるので、このオチは妙に自分の記憶とマッチしててちょっと嬉しい。

ただ、こうやって見るとほとんどオリジナルストーリーですねえ。
しかし、決してつまらなくはない。
スラップスティックを基調としながらも、ドラとのび太の関係など少しづつ番組内での変化も垣間見えるセリフもあったりして、スタッフの試行錯誤もしのばれる(これは考え過ぎか?)。

しかし、原作初期のドラえもんの雰囲気をアニメ化したと考えれば、中々いい出来の様にも思うんだが。
間違いなく、このドタバタのノリは初期原作に通じる部分ではあるのだ。
それから静香ちゃんの家が出るので、例のお手伝いさんボタ子も登場したのだが、声が野沢さんのままだったのかどうか聞き取れなかった(出番もほんのちょっと)。
多分、野沢さんのままだと思うんだけど。

しかし、やっぱり面白かった。

で、感想は更に続きます。


『日本テレビ動画研究会』レポート(2)

2007-02-25 12:45:16 | 日本テレビ版「ドラえもん」
さて、今回は『日本テレビ動画研究会』で上映された日テレ版ドラえもん(通称旧ドラ)についての感想を。

まず最初は、

「ねがい星流れ星」(本放送昭和48年6月3日Bパート)

この話は実際この本放送時に見た記憶がある。
原作はてんとう虫コミックス第10巻掲載「ねがい星」。とはいっても本放送当時コミックスは出てないが。
ストーリーはドラえもんがポケットの中を整理していていらない道具を捨てようと、空き地に埋めてしまうのだが、のび太がその願いが叶う星をこっそり持ち出しドラえもんに内緒で使おうとする。
ところが、このねがい星は妙にズレた判断ばかりするのであった。
ジャイアンとスネ夫も星を持ち出して願い事を言うが、結局とんちんかんな判断をされる羽目に。
そして偶然静香ちゃんの家の前に来た星に静香ちゃんは「赤ちゃんがほしい」と願い事をする。
すると、家の前に赤ちゃんが置かれており、願いがかなったと静香ちゃんは大喜び。
しかし、実際はこの赤ちゃんは捨て子であった、それに気づいたドラえもん達は右往左往。
結局、本当のお母さんが見つかり、赤ちゃんは本当のお母さんの元へ。
そして静香ちゃんは今度は自分の両親に弟が欲しいとねだるのでした。

といった展開なのですが、原作を知ってる方なら後半全くオリジナルストーリーになってる事が解るかと。
以前も書いたが、私は原作より先にこの日テレ版を見ている。
後で原作読んで後半オリジナルだと知った。
しかし、なんでこれが印象に残っているか自分でも謎だったんだが、今思い返すと内容というより「役に立たない道具の話」だった事が理由だと思う。
まず、冒頭でドラえもんに役立たない道具があるという面白さ。
しかも、「さすと雨が降る傘」とか「一人でけんか出来るグローブ」とか本当に存在意義が解らない道具の存在のおかしさ。
そして当の「ねがい星」もちょっと的外れな判断ばかりするという部分の面白さが私の好みだったのだと思う。
私は当時幼稚園くらいでしたからね、単純にバカバカしい面白さの方に興味があったのだろうと。
さすがに幼稚園男児に「赤ちゃんが欲しい」て気持ちは理解出来なかったろうし。

ちなみに旧ドラでのねがい星は少し濃いピンク色であった。何故この色になったのかは不明だが、画面上のコントラストの問題だろうか。
この話は富田耕生さんがドラえもんの声だが、唐草模様のほっかむりをして空き地に道具を捨てに行こうとする場面は富田さんのドラえもんにぴったりだと思った(笑)
妙に江戸っ子気質なとこがいい味出してるんですよ。
白昼堂々ほっかむりをしてたらかえって目立つだろうというツッコミはこの時代のアニメには無意味でしかない(笑)
この話では静香ちゃん一家のお手伝いさん、ボタ子もかなりいい味出した演出で登場。
出番は少ないが、ズーズー弁(正確にはズーズー弁でもないんだけど)の独特の喋りは強く印象づけられる。
原作には無い設定だが、静香ちゃん家にお手伝いさんがいるのですよ。
そのお手伝いさん、ボタ子の声はこの話の数週後に主役ドラえもんの声を演じる事になる野沢雅子さん。

多分、放送当時の原作ではまだ静香ちゃんの家族は登場してなかったのではないかと思われる。

原作の短さを埋める意味とキャラクター紹介も兼ねてこういう展開にしたのではないかと思いますが、それなりに面白かったし、今見るとボタ子のキャラクターが強烈。

あ、あらためて見て今ごろ気づいたけど、のび太の家の外観はシンエイ動画版とほとんど一緒でした。

で、他にも上映作品はございましたので、その感想はまた次に。



長くなるかな、このレポート・・・。