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進路指導ー余滴:文系と理系? あのー、ご両親、わたし「占い」は専門じゃないんですよ❗️

2023年11月15日 20時53分34秒 | 教育の話題

ブログ冒頭の⤴️画像:記事内容と関係なさそうな「食べ物やお料理さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e03beafbd5b690bed61fda9e978db7a

 

この⤴️画像はブログ友の記事からお借りしました。その心は、

🍱世の中には固有の歴史と伝統を共有するいろいろな仲間がいるから

気品と優しさを兼備する「お膳≒日本」ができている🍱

 

Agatha Christie said, 'Good advice is always certain to be ignored,

but that’s no reason not to give it.'

(良い助言というのは常に無視されがちではある、だからと言って助言しない理由にはならない)

*ここで指示代名詞の⤴️「that」は前のセンテンス全体を指しています。

「that」「this」は単語とセンテンスの双方を受けることができるから(尚、原則、「that」は先行する単語とセンテンス、「this」は先行またはこれから登場する単語とセンテンスを受けるのが正規の語法ルール。ではありますが、寧ろ例外の方が多い、鴨💦)。それに対して、指示代名詞の「it」が受けるのは先行する/これから登場する単語のみでありセンテンスは受けません。ということで、上の⤴️「it」は「good advice」なのです。そんな面倒なこと知らなくても意味はわかる。もちろんそうでしょう。けれども、このような仕組みを体得・血肉化するのが英語でするコミュニケーションーー就中(especially)、ライティングでのーー実践技量の向上には重要だと思います。🍎一歩一歩🍎

仮説:Especially, Particularly の使い分けに見る日本人脳内の英単語のいびつな収納状況についての雑感

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d3093cfef8295e7e2114b0731691b6a1

英単語を覚えるには諦観と気迫ですーー「短期記憶・長期記憶」談義のその先へ

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/71dfff5f7a1c019a7ab58ced83266b3b

 

*ちょびっと補足。次の二つの「it」はなにを受けている?

He calculated. He would probably have to take her out a couple of times before she came throgh.

Then that settled it; it couldn't be this month ー money was too short.

(彼女と懇ろになるには二三回はデートしなきゃならないよな、と彼は頭の中で算盤をはじいた。

これで決まりだ今月アタックするのは無理だ。財布があまりにも軽いから)

(出典:中原道喜「誤訳の構造」pp.145-147)

実は、「it」は「センテンスは受けないけれど先行する文意やパラグラフの大意を受ける」ことができるのです。

この「it」の用法は(特に、二番目の「it」は)限りなく、「It was Wednesday yesterday.(昨日は水曜日だったよな) 」とか

「I made it.(間に合った❗️)」の「Impersonal it:非人称のit」に近いもの、鴨

 

文系か理系か? 最近、ネットでふらふら散策していてこのお題をときたま目にします。そういえば、11月半ばの今頃はKABUの前職の*塾予備校では進路指導の最終局面。というか、ほとんどの生徒とそのご両親に対する進路指導は、過半は昨年の高2の夏休みあけ、大多数は今年高3の夏休み前には終わっているから、この期に及んでの進路指導はこちら塾予備校側にとっても生徒と塾予備校の本当の顧客であるそのご両親にとっても*冗談抜きに真剣勝負になります💦 

而して、そこで出てくる語彙の一つが「文系か理系か?」。そして、他方、ウェブでもその道の識者さんが、「旧来の牧歌的な文理の枠組みを超えて学術領域が分化・多元化し、また、AIとITテクノロジーの進歩が著しい現在、更には、学際領域が拡大・国際化している現在、それは無意味で日本特有の二元論ですよ。まして、それが女子の進路選択の制約バイアスになっている可能性を想定するならばとんでもない悪弊です」というコンテクストで時々俎上に載せられるのが「文系か理系か?」のお題。

ちなみに、この識者さんのされる議論についてはーー新書というその書籍の形態から「menu:微細なもの、献立表」にならざるを得ず、特に(particularly)、①西欧の大学史における(領主でもあり学灯流派的な専門店FCネットワークでもあった修道院を含む)キリスト教教会と宗派の存在の大きさ、あるいは、②西欧の大学が神学や宗教学や哲学に加え実社会の(親族相続法域の)裁判規範としての教会法の研究・研修機関および古典テキストの収集と復刻出版機関というよりも、あるいはそれらに加えて「ラテン語とギリシア語の研修機関」、今で言えば「簿記スクールや会計学校」「宅建・行政書士・司法書士・ロースクール予備校」的な、大原簿記さんやLECさん的な側面が少なくはなかったこと、加之、③19世紀後半以降の英米はもとより日本における「士官学校・兵学校➡️陸軍大学と海軍大学」の文理の観点からも占めていた社会的役割の大きさにあまり触れておられないのは残念ですがーー隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」(星海新書, 2018年)という良書が日本語で読めますから、是非、そちらを参照いただきたいと思います。

【再掲】ノーベル賞の黄昏--自然科学部門と人文部門が織り成すメビウスの帯び--
 

畢竟、本稿の主題は、ーー実は、ネット情報が、現場の実情を知らない識者の蘊蓄を遥かに抜き去っている現在、そんな周回遅れの識者に言われるまでもなく、ーー生徒とそのご両親は「文系か理系か?」の問いが「学術領域が分化・多元化し、また、AIとITテクノロジーの進歩が著しい現在、更には、学際領域が拡大・国際化している現在、それは無意味で日本特有の二元論」などは百も承知なのに、だって、研究テーマとかの他人事ではなくて自分の将来/自分の子供の将来がかかっているのですよ❗️ それなのに「文系か理系か?」の問いが(わたしの知る限り米英の教育と進路指導の現場ではそうではないのに比べて)この日本の進路指導の現場でなぜに纏わりついてくるのか? そのことの背景と今後の推移に関する予想的な随想です

 

蛇足的注:塾予備校の進路指導

塾予備校に対する(公立)高校の進路指導は如何。大雑把に整理すると、理念的に1985年くらいまでの所謂「大学全入時代」(大学・短大の総定員が大学・短大の入学志望者を超えた時点)までの古き良き予定調和の頃までは塾予備校と高校との間で役割分担の住み分けができていたのだと思います。

それが「大学全入時代」以降変わった。要は、浪人生マーケットが論理的に消滅することを睨んでその十年前くらいから(進路指導の商品化を含む)商品とマーケティングの改革に取り組んだ塾予備校に対して無為無策だった(公立)高校は惨敗する。赤裸々に言えばそれ以降の「高校は三年間実社会から(勉強ができるできないにかかわらず公平平等に)高校生を隔離幽閉する時空」になった。簡単な話です。教科指導の領域で権威を失い生徒とそのご家庭の信頼を失った高校に誰が進路指導を期待しますか❗️ その結果はこんな感じ、多分。

尚、ことここに至ったのは高校の先生方のせいではないです。無能で無責任な文部科学省が教育現場に持ち込んでくる部活動や地域活動の推奨はもとより「主権者教育」だのESD(Education for Sustainable Development)とかの無用なとまでは言わないまでも余計なタスク、あるいは、公教育セクターに過ぎない教育現場に躾なり子供たちの身の安全なり格差を感じさせないメンタルケアなりをあたかも当然のように要求してくるモンスター保護者ならびにマスメディアの監視と圧力の前には先生方の本業たる「教科指導も進路指導」もまともにはやれんです。それは、両足縛られた上で国体の水泳競技で入賞しろと言われるに等しい無理難題というもの。と、わたしはそう思います。

🌺古き良き時代:

[普通科高校]高校生の教科指導と進路指導

[予備校]高卒浪人生の教科指導と進路指導

[補習塾]高校生の教科補習

⬇️ ⬇️ ⬇️

🌺現在の状況:

[普通科高校]高校生の教科指導の真似事と進路指導の真似事

[予備校]高校生の教科指導と進路指導

[補習塾]高校生の教科補習

 

書評☆苅谷剛彦「大衆教育社会のゆくえ」 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/149f778fcddb7041f43a199bf390fb9e

書評☆吉川徹「学歴分断社会」
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c105f7e51f3b364922fbe969035c173f

 

蛇足的注:教科指導から見た文系か理系か?

例えば、2023年の11月3日、STU48の瀧野由美子さんの卒業コンサートの日に「文理を絡めて進路のファイナルアンサー」を決める三者面談が行われるとき。教科指導の面ではある前提があります。それは受験の合否に関してはーーそう、宅建試験が実質的に民法の財産法の試験であり、TOEIC 470点達成は中学英語をどれくらいマスターしているかどうかの試験であるのと同様に、そして、国公立と私立の上位大学合格のための実質的の予選通過の是非が英語力、もっと絞れば長文読解力であるのと同様にーー数学(と物理)が理科系大学の合格水準に到達していること。それゆえに、例えば、

「自分は東大理Ⅰは合格できると思うが、どうも法学とか外交史とか国際経済にも興味がある。それらの現象を重回帰分析とかしてみるのも面白いと思うから。でもそうなると東大文Ⅰや文Ⅱは正直合格は怪しい。早稲田や慶応は科目数から見て寧ろ無理かもしれない。でも、自分はもともと理系人間だし、わが家はひいおじいさんの代から理工系だからやっぱり理Ⅰか東工大かーー関西に行くのはアメリカの大学に進むよりもおっかないけれど、そこは「女は度胸♥️」ーー好きな先輩が進んだ阪大工学部が正解、鴨」という相談になるのです。

わかりましたか? この相談において、繰り返しますが、「文系か理系かなどは学術領域が分化・多元化し、また、AIとITテクノロジーの進歩が著しい現在、更には、学際領域が拡大・国際化している現在、それは無意味で日本特有の二元論」などの識者の陳腐なご高説は微塵も介在する余地はないことを。

 

 

理系か文系か? 文系か理系か? わたしは社会人になってリタイアするまで広い意味での民間の教育インダストリーに身を置いてきました。

けれども、1️⃣わたし自身がーー父親と三人の兄がすべて理工学部に進み兄たちは全員博士号を取得した、また、母も経理と数理統計処理が専門であったにもかかわらず?ーー高校生になるくらいには法学専攻を決めていたこと、2️⃣就職してからの20年間は、米英大学・大学院留学研修および米英愛(↖️「愛」=アイルランド)の大学と日本企業の研究プロジェクトの仲介に携わっていたこともあり、キャリアの後半にドメスティックな塾予備校に移りその実務に入った当初は、この「文か理か?」という語彙が(経営者からアルバイトのスタッフさんにいたるまで、その口から)頻繁かつ切実に語られる風景には違和感を覚えました。

おいおい、それは血液型占いと違うのか、と。

くどいですが大切なことなので繰り返します。識者さんたちの夏休みの自由研究の感想文レポートではなくて、こちらは真面目に企業の収益がかかっているのだから、塾予備校の教務スタッフや経営者・経営管理者で、文理の二元論などは「学術領域が分化・多元化し、また、AIとITテクノロジーの進歩が著しい現在、更には、学際領域が拡大・国際化している現在、それは無意味で日本特有の二元論」など知らない人はいないです。きっぱり。

そして、識者さんが見下すのは勝手だけれども、ネット普及の遥か前から戦前から、普通の市民も世過ぎの中で、例えば、自身最高のエンジニアで大手メーカーの取締役工場長さんにまでなった方がシェークスピアと漢詩に明るい文系知識人でもあったとか、東大法学部卒で戦前の大蔵省の事務次官確実といわれた、よって、旧陸軍からも一目置かれていたという元総理が(名誉ではなくて実力の囲碁九段であり)英国でもドイツでもカウンターパートから認められ一目置かれていた数理経済学の名手でもあったとかは知っている人は知ってきたこと。

ならば、この血液型占いがなぜに日本では生き残っているのでしょうか?

 

🎓️日本の国を支える文理の二本柱🎓️

 

Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.

(≒Everything happens for a reason.)

(🍎何ごとにも起こったことには起こった理由があるものです🍎)

(ヘーゲル流に言えば、歴史とは普遍的や一般的な概念による個々の出来事の理解であり、逆に、その諸々の個物を理解するプロセスでの普遍的や一般的な概念の変容であり、そして、それら普遍と個物との間で永久的に繰り返されるキャッチボールの営みである。そう私は考えています)

(出典:ヘーゲル「法の哲学」「Grundlinien der Philosophie des Rechts」)の序文から)

 

はい、「理系か? 文系か?」というこの血液型占い

現在、世界でも日本だけに見られる「五文型論」のように、

なぜに日本で生き残ってきたのか?

 

>はい、よくぞ聞いてくれました❗️

(これは(⬆)、元NHK基礎英語3のホスト投野由紀夫さんの決め台詞。
ちなみに、「よくぞ聞いてくれました」を「That's a very(/truly) good question.」と言ってしまうと、それは、「面倒な/余計なこと聞きやがって!」、あるいは、「こんなん誰も答えられへんちゅんねん!」という発言になる場合が多い。要は、「Good question」は――官房長官の記者会見の場で、自分の主張を一方的にいい募る、よって、「質問」とは呼べない発言を繰り返す、東京新聞の元記者さんの発する音声の振動などではなくて――、ちゃんとした質問なのだけれども、ちょびっと困った質問にこたえるための、英語でのビジネスシーンでは定番の時間稼ぎフレーズです。

尚、言葉の「表示義:denotation」どおりの「よくぞ聞いてくれました」は、「I'm glad (that) you asked. Please,let me tell you about it❗」とかとかを核に各人各様で工夫して応答するのが良い、鴨。ただ、どのような応答に際しても、NMB48の塩月希依音さんやAKB48の千葉恵里さんのような笑顔と明るい声をわすれては気持ち半分も伝わらないです)

なぜ日本では5文型論が生き残っているのでしょうか?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5b315dd60b6ef715fc92a701ae09bf76

『再出発の英文法』と英文法の体系
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/456520dd47a80deecba9b890028a6c0e

 

そろそろこの記事も第四コーナーにさしかかります。

はい、わたしの仮説は以下の通り。それは、

 

🍎居心地のよさ:実利は別にして派閥と仲間のいる心強さ

🍎居心地のよさ:人生が決定されているらしいことの安心感

🍎而して、それはこの日本社会特有のことだった。

 

急がば回れ、迂回します。アメリカには、彼の地では大学院のロースクールから法学教育は始まり、学部レベルでは「法学部」は原則存在しませんが、アメリカにも英国にも大学・大学院の学部や専攻分野としての(↖️旧来の英国の、特に、オックスブリッジにおいては伝統的に「Department/Faculty:学部」は日本やアメリカとは若干異なり大学機構の本体的な構成要素たる「College:学寮」に研修と研究を出前する大学機構内部の業者さんみたいな位置づけの存在でした。もっとも、現在の英国全体では On Campus の学寮にすんでいる学生・研究者は極めて少数派。でも、オックスフォードもケンブリッジもハーバード大学のある米国のケンブリッジ市と同様に学園町なので、どこに住んでいようが「On Campus」気分になる、鴨)、「(Natural) Science:理系学部」+「Engineering:工学部」と「Humanities:人文系学部」+「Social Science」の区別は遅くとも第一次世界大戦前の昔からあります。

そして、それ以前の中等教育プロセスでもハイスクールやプレップスクール(≒boarding school)、英国の(大学進学準備過程としての2年間の)「the 6th Form:↖️「condiments:一応、調味料」「主食:一応、staple diet / food」とかと同様に翻訳不可能😢」やパブリックスクールでは大学学部進学と大学院進学、もちろん、それらを終えたあと社会に出たときに有利になるだろうという(その時点でそう予想される)科目を重点的に履修する傾向があることも日本となんら変わりません。

このことは、かって(フランスのリセを含め)欧米の中上流階級・階層の中等教育等の特徴とされたーー「Daddy-Long-Legs:あしながおじさん」「Goodbye Mr Chips:チップス先生 さようなら」に見られるようなーーラテン語と古典文学と哲学・論理学の重視に特徴的な「リベラルアーツ:↖️翻訳不可能😢」が欧米でも漸次衰退してきたこの半世紀で、*日本と米英の類似性は一層明らかです。

蛇足的注:英国のリーダーとなると期待される高校生の歴史理解は

 日本のそのような高校生よりも優れているか?

最近、とある出版社から感想を求められて、松原直美「英国名門校で出会った最強のリベラル アーツ 世界のリーダーは歴史をどう学ぶか」(自由国民社, 2023年9月)を一読しました。その中の、イギリスの名門校では歴史を「歴史認識の方法論を重視、よって、資料批判をおざなりにしない」「暗記はあまり求めず」「自国の失敗を認める」「広く浅くの反面、各自が絞り混んだテーマに深く主体的に入る」という感想には深く同意しました。

けれど、その結果はどうだろう?  もちろん、わたしの「アメリカ人」の定義である「歴史に関心がなく世界には英語とスペイン語しかないと考えている人々」というアメリカのその高校生諸君よりは日本の高校生に近いにせよ、わたしの乏しい(パブリックスクール➡️オックスブリッジ➡️官公庁またはシティー勤務の)英国のエリートのタマゴさんとの付き合いから言えば、ーー「暗黒の中世」認識とか「ルネッサンスに対するイスラームの恩恵の軽視」とかアジアの歴史情報の欠落等々ーー彼らの歴史認識のあまりの金太郎飴的と古色蒼然さにはドン引きさせられました。それ、高校生の夏休みの自由研究レポートのレベル。きっぱり。寧ろ、年号・人名を丸暗記した上で興味のあるテーマを世界のその同時代史を念頭に考えている日本の将来を担うと期待されている灘とか開成とか桜蔭とかお茶の水女子とかの高校生の方が優っているとさえ言える。そう、わたしは満更考えないでもありません。

定義集-「歴史」

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3f3e4f0877f2ce8d9cb14493762b3f87

 

蓋し、ならば、【壱】文理型血液型占いの日本における特徴は、それが、高校生の大学進学の際の考慮要因にとどまらず、人生全般の自分のこの社会での心地よい身の置き方を判定するための判断基準になっていることなのでしょう。

そして、【弐】この文理型血液型占いの規範としての社会的の拘束力は、日本の社会構成員に極めて安定的に「各自の社会における心地よい身の置き方とその分に相応しい貢献をする方途を指し示すことで、ーー上州の小作農なら小作農さん、肥前の漁夫兼密貿易商なら漁夫兼密貿易商さん、大坂の遊女さんなら遊女さん、あるいは、家禄4千石ながら代々旗本寄り合い席で無聊をかこつ旗本さんなら旗本さんさんなりに、また、その旗本さんの囲碁仲間で江戸在住の貧乏御家人さんなら御家人さんなりにーー各自がその生涯を通してプライドを満たすことを可能にしていた江戸期の身分制秩序」が世界経済のグローバル化の波を受けて瓦解した明治維新からーー新島襄先生の書簡集「Life and Letters of Joseph Hardy Neesima」(1891)および津田梅子先生の書簡集「The Attic Letters」(1991, 1882 - 1911)あるいは福沢諭吉「学門のすすめ(1872年 - 1876年、特に1874年までに書かれた第一編 - 第五編)に赤裸々のように、維新当時は西欧列強の圧力の前に日本国の独立が保たれるかさえ危ういと感じられており、特に、福沢翁の言う「学門」にはそこに種差・品目の差はあったとしても間違っても「文理の区別」などはなかったのですからーー学制と軍制がようやく整い(中央官庁のスタッフの出入りの激しかった離職率も落ち着いてきて)日清・日露をなんとか負けずに乗り切った明治も末に形成されたのだと思います。

 U:「学門」

書評☆古木宜志子「津田梅子」

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b321120a98e4219e5e52525d85d35097

 

よって、【参】再度申し上げますが、文理型血液型占いそれは欧米の「学門ー科学≒Wissenschaft」の分布イメージから派生した進路指導のツールに用いられるsomethingとは次元を異にしている、(N)日本特有の、(M)明治期に形成された時代的にも限定的な、(B)具体的なビジネス活動とは無縁とは言わないけれど些か乖離した社会規範である。そうではありますまいか。と、そうわたしは思います。尚、この日本特有の社会規範の形成と確立時期について、上に紹介した隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」とわたしの理解が近いのかどうかよくわかりません。この点は今後よく考えてみたいと思っています。

 

 

さて、今後、この血液型占いの規範的の効力はどうなっていくのでしょう?

蓋し、今進路指導をさせていただいている高校生諸君が学部や大学院を卒業される4年後6年後9年後くらいまでは、根拠はありませんが、その進路専攻と想定される就職先の整合性は維持されるのかもしれません。そう、わが家も希望します。

けれども、ネットが普及する直前から普及し終わった1990年を挟んで30年間、一応、インターナショナルビジネスとITビジネスに従事してきたわたしたちの実経験からは、ーー例えば、わが家の奥さまは<9・11>の際にリアルタイムでNY行きの便でシカゴ上空にいたし、わたし自身、リーマンショックでそれまで5年間準備していたプロジェクトが瞬時に消滅した経験からは(↖️もちろん、そんなんじゃへこたれません❗️ しっかりと茫然自失した後は🏹二の矢🏹三の矢です)ーー今の高校生諸君が独立して起業するなりヘッドハンティングされるなり、あるいは、その時点の勤め先でいよいよそのチームの稼ぎ頭にならなければならないだろう10年後なり15年後に、現在の2023年の進路指導がどの程度整合性があるか予想はできません。無責任? いいえ、できないものはできないのです❗️

Work from Home ≒ 在宅ワーク:コロナくんが教えてくれた「働くため」の必須環境

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/8b2aaed5c544b46f34f1d9c300fec28e

そして、おそらく、この日本の社会でも文理の規範はかなり急速に消滅するでしょう。それは、最早、この社会に各自が心地よく身を置く効能を保持できないでしょうから。残念ではありますがそう思います。で、次の規範はなんでしょうか? そんなこと誰にもわかりませんよ。

 

ならば、もの凄くありきたりのことですがわたしの自戒を込めて

高校生諸君に一つだけ言えることがある。二つかな?

 

【潔く決断すること】

土台、論理的に不可能な進路指導などに頼らず、

文理占いも余興として使ってもいいから、自分でエイヤ❗️ 

と決断する。後は、その進路の良否を他人のせいにせず、

運命に与えられたあなたの持ち場で

(When life gives you lemons, make lemonade.)

世の一隅を照らすべく全力を尽くす。

 

【チャンスの時に向けて日々実力整備】

皆さん全員に身体を鍛えようとは言わないけれど、

健康第一。挨拶は大切。早寝早起き朝ごはん🍚 

そして、英語力は標準装備するとして、

自分の選んだ進路に肝要な分野で実力を日々のばす。

なにより足元の基礎力を常に整備する。

楽しく、たくさん、たんたんと頑張る。

 

文理の規範は壊れてきている。間違いない。

だからこそ、それが壊れつつある2023年のいま、

文理の規範を巡る進路指導は真剣勝負にならざるをえない。

と、そうわたしは思います。

 

頑張れ、塾予備校業界の後輩諸君❗️

頑張ってください、高校の先生方❗️

日本の子供たちのために、

共に闘わん❗️

 

[アーカイブ]所得と学力の相関関係と因果関係が投影する<格差論>の傲岸不遜

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fa8e67112fc2d19efe50de0ec09ab0ff

<アーカイブ>海馬之玄関推奨--国内10大学--

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/eb28cc07c571e6db4e7820bbcd47b198

 

 

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