◎戸坂潤『日本イデオロギー』(岩波文庫)
戸坂潤は治安維持法にかけられ獄死した大東亜戦争前の社会主義の哲学者。而して、この「治安維持法違反容疑→投獄→終戦前後の獄死」という点では、所謂「西田左派」に属する同門の三木清(死亡:昭和20年9月26日)と同じ経過をたどったわけです。而して、死亡の日は昭和20年8月9日。終戦の1週間前、長崎に原爆が投下され、満州や北方領土にソ連軍が怒涛の<火事場泥棒攻撃>を始めた日です。
私は田中美知太郎、藤沢令夫と続く現在の哲学の京都学派は素晴らしいと思うけれど、世間で京都学派の源流と評されている西田幾多郎を全く評価しません。この評価は、例えば、大庭健『はじめての分析哲学』(産業図書・1990年)の認識とあるいは近いかもしれない。
そうかもませんが、蓋し、私に言わせれば、西田は簡単なことを難しく、難しいことをオカルトチックに述べているだけである。しかも、本当はディルタイなりフッサールなり、ベルグソンなりハイデガーなりの種本があるのに(それを素直に翻訳紹介でもすればよいものを)、恐らく、ご自分もよく解っていなかったであろう(?)東洋哲学のジャーゴン(=専門家コミュニティー内部でのみ通じる隠語的専門用語)をそれらの種本の骨格の上に散りばめることに終始している。畢竟、西田幾太郎は哲学者としては最低であり、哲学研究者としても最悪の部類ではなかったかとさえ思っています。
戸坂は44歳で獄死したけれど、京都大学で(広い意味での「西田幾太郎門下」ではありますが)田辺元を指導教官として哲学を学び、投獄された段階ではすでに一家をなす風貌を湛えた気鋭の研究者でした。畢竟、戸坂は、科学方法論・認識論、そして、哲学の理論史においては1945年時点では本邦でも三本の指には入る力量をもっておられたと思う。尚、他の二指は、『認識とパタン』(岩波新書)の著者、渡辺慧先生とライプニッツ研究者の下村寅太郎先生でしょうか(興味深いことに、戸坂・渡辺・下村とも元来は物理学専攻の研究者であったことも共通しています)。
けれども、戸坂がもし戦後も例えば20年生きたとして日本の哲学になにか更に貢献しただろうかと聞かれた場合、私は確信をもって「肯」とは答えられません。大急ぎで予防線を張らせていただければ、これは私と戸坂の左右の主義主張の違いや、分析哲学・新カント派・現代解釈学・現象学という私が好む哲学の思潮と、些か独特ではあるがかなり教条主義的な(というかマルクス=レーニン主義の<教科書的>な)マルクス主義理解を基盤とする戸坂の違いに起因する予想ではありません。掛け値なしに正直な所感。
本書『日本イデオロギー』(岩波文庫・1935年)は、当時の日本の哲学と社会思想の大物研究者や潮流を辛口の言葉で小気味良く斬った作品。出版後75年、著者没後65年にして、今読んでも上手にまとめられた秀作だと思います。逆に言えば、本書は「ミイラ取りがミイラになる危険」をかえりみず、而して、返り血覚悟で批判対象の土俵に踏み込んだ内在的批判はなされていない。要は、本書は<軽い>作品なのです。が、しかし、批評の規準、つまり、批判のストライクゾーンの見極めがしっかりしている。畢竟、時代を超えた<秀才>の小品、知性が輝く小粒の真珠にも喩えられるべき一書だと思います。
私は、西田幾多郎を批判した「12 「無の論理」は論理であるか」に大いに共感しました。と、同時に、西洋のものを日本に持ってきて日本的な何ものかと合体させ、もって、西洋の哲学者にも日本の哲学者にも理解不可能な(本当はご著者本人も含め、誰にもわからないのだと思うのですが)、凄まじい作品が平成の御世になっても後を絶たないこの国の社会思想や社会哲学の世界の病理も、あるいは、この日本哲学の源流・西田幾多郎が高い評価を得たままやりすごされていることに起因する現象ではないかと思いました。
而して、戸坂が戦後も20年程生きていたなら、少なくともこの<怨霊>だけは退治してくれたかもしれない。つまり、西田幾太郎自身と西田を権威と感じるこの国の知識人層の<澱んだ空気>だけは一掃してくれたかもしれない。それを考えれば戸坂さんの獄死は日本にとって大きな損失だったかもしれません。
このようなコメントは獄死された方にあるいは失礼と感じられる方もおられるかもしれません。しかし、それはもちろん私の本意ではないです。蓋し、本書を読めばおそらく誰の目にも明らかなように、私は戸坂の持ち味をその学説理解の素早さと空間的構図における把握能力だったと思っている。要は、対象批判の切り口の鮮やかさと対象把握の全体性です。(大事なポイントなので)換言すれば、それは、批判対象となる学説や思想の本質を直観する力と図形的な再構成の力。而して、その卓越した能力は自己のオリジナルな哲学体系を創る上では必ずしも有利な資質ではないけれども、他の哲学体系を平明に説明する上では不可欠の能力であっただろう、と。そう考えています。
よって、もし、この戸坂評が満更私の思い込みではないとするならば、戸坂の才能は氏の全集に納められた作品にほぼ投入されていると言えるのではないか。獄中での死というのはどこまで行っても悲惨ではあるが、ある意味、それは理論史家としてはほぼやるべきことはやり終えた上での幸せな人生の終焉だったと言えるのではないか。そう思っています。これが、上で「戸坂がもし戦後も例えば20年生きたとして日本の哲学になにか更に貢献しただろうか」という自問に対して、私が確信をもっては「肯」とは答えられないと記した理由です。
最後に別の感想を一つ。本書を通読して改めて教えられることの一つは、「戦前は言いたいことも自由に言えない暗い時代だった」というのが「都市伝説」とまでは言わないけれども(実際、本書の著者はその「暗い時代」の犠牲者であることは間違いないのですから)、少なくとも、一面的な見方にすぎないということ。まだ、1935年当時はこれくらいラディカルな社会主義からの哲学書が出版可能だったのですから。そのことが確認できることだけでも本書は日本の近現代史を反芻する上で参考になる書籍ではないだろうか。本書を紐解くたびに私はそう感じています。
いずれにせよ、間違いなく自由にものが言える、そして、グローバル化の昂進著しい時代に生きる我々は、日本のアイデンティティを再構築しつつ国際競争力のある安定した社会秩序を維持強化するためにも、橋爪大三郎さんがよく書かれているように、「外国のものを日本に持って来る」「専門領域の知見を日常の出来事の隠喩に使用する」のではなく、そのような、<インテリ遊び>でなくて、逆に、「日本のものを外国にもって行く」「日常の経験を専門領域の知に高める」作業が死活的に重要であることも間違いないでしょう。ならば、荒唐無稽な西田哲学が<裸の王様>として君臨している滑稽と醜悪をその西田哲学なるものの全盛期に指弾した戸坂の見識には見習うべきことがまだ残っているのではないか。私はそう思います。
本書は品切れかもしれませんが、『戸坂潤全集』(勁草書房)にももちろん収録されており、地域の図書館等ではわりと見つけやすい古書ではないかと思います。機会があればご一読をお薦めします。