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書評☆「新島襄書簡集」「新島襄の手紙」

2009年05月28日 13時20分54秒 | 書評のコーナー


本書『新島襄書簡集』(岩波文庫・1954年)の圧巻は巻末の「同志社設立の始末」だと思います。明治7年(1874年)、米国はバーモント州ラットランドでのアメリカ海外伝道師協会の大会で故国のために大学設立の肝要なることを訴え寄付金を募る演説の際の経緯描写。新島先生の求めに応じ多くの紳氏淑女が多額の寄付を申し出た直後のエピソードです。新島先生はこう書かれている。

既にして慇懃に良朋諸士の好意を謝し離別を告げ将に演壇を下らんとする時、一農夫あり、痩身襤褸を纏い徐に進て襄の前に至り戦慄止まず。懐中より金ニ弗を出し暗然涙を垂て曰く、余は碧山州北なる寒貧の一農夫なり、此のニ弗は今日余が帰路汽車に乗らんとして携えし所なり。然れども今子が演説を聞き、深く子が愛国の赤心に感激せられ自ら禁ずる能はず、仮令ひ余老ひたりと雖も、両足尚能く徒歩して家に帰るに堪ゆ、これ固より僅少数ふるに足らざるも、子が他日建設する大学費用の一端に供するあらば、余の喜び何ものか之に過んやと。(引用終り、286頁)


私は同志社大学OBの1人ですが、このような方々の助力によって建てられた同志社大学で学部時代をすごせたことを今でも誇りに思っています。蓋し、家庭と地域と社会の教育力とはこのような一農夫に支えられて始めて機能するものかもしれない。『新島襄書簡集』には収録されていませんが、これら多くの方々の共感と協力を得て大学を設立された新島先生が(バーモント州における演説から14年後に)書かれた文章を以下引用しておきます。すなわち、『同志社大学設立の旨意』です。

教育は、正に、一国の大業。而して、「努力することこそ人生の真善美」である。実に、戦後民主主義の教育観などによってこの学ぶことの貴さ、努力することの大切さは断じて毀損されるべきものではないのではないか。私はこの『設立の旨意』を読み返すたびにそう感じています。


●同志社大学設立の旨意
吾人が私立大学を設立せんと欲したるは一日に非ず、而して之れが為に経営辛苦を費やしたるも亦た一日に非ず、今や計画略ぼ熟し、時期漸く来らんとす、吾人は今日に於て、此を全天下に訴へ、全国民の力を藉り、その計画を成就せずんば、再びその時期無きを信ず、是れ吾人が従来計画したる所の顛末を陳し、併せて之を設立する所の目的を告白するの止む可らざる所以なり、

回顧すれば既に二十餘年前、幕政の末路、外交切迫して人心動揺するの時に際し、余不肖海外遊学の志を抱き、脱藩して函館に赴き、遂に元治元年六月十四日の夜、密に国禁を犯し、米国商船に搭し水夫となりて労役に服する凡そ一年間、漸く米国ボストン府に達したりき、幸いにして彼国義侠なる人士の助けを得て、アーモスト大学に入り、続いて又たアンドヴァ神学校に学び、前後十餘年の苦学を積めリ、而して米国文物制度の盛んなるを観、其大人君子に接し、其議論を叩き、茲に於て米国文明の決して一朝偶然にして生じたるものに非ず、必ず由て来る所の者あるを知る、而して其来る所の者、偏へに一国教化の敦きより生ずるを察し、始めて教育の国運の消長に大関係あるを信じ、心密かに一身を教育の事業に擲んことを決したりき、(中略)

茲に於いて明治七年の末、胸中一片の宿志を齎らし、十余年来夢寐の間に彷彿たる我が本国に帰着せり、明治八年十一月二十九日、同志社英学校を設立したり、是れ即ち現今同志社の設立したる創始なり、(中略)

斯くの如くにして同志社は設立したり、然れども其目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき、(中略)

教育は実に一国の一大事業なり、この一大事業を国民が無頓着にも、無気力にも、唯政府の手にのみ任せ置くは、依頼心の最も甚だしき者にして、吾人が実に浩嘆止む能はざる所なり、凡一国文化の源となる者は、決して一朝一夕に生じたる者に非ず、米国の如きは清教徒が寂寞人なく、風吼え、濤怒る、大西洋の海岸に移住してより十五年を出でざるに、早やハーバード大学の基ゐを開けり、(中略)

一国を維持するは、決して二三英雄の力に非ず、実に一国を組織する教養あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず、諺に曰く、一年の謀ごとは穀を植ゆるに在り、十年の謀ごとは木を植ゆるに在り、百年の謀ごとは人を植ゆるに在りと、蓋し我が大学設立の如きは、実に一国百年の大計よりして止む可からざる事実なり、(中略)

吾人が宿志実に斯くの如し、余の如きは実に力微にして学浅く、我が国家のために力を竭すと公言するも、内聊か愧る所無きに非ず、然れどもニ十年来の宿志は黙して止む可きに非ず、我邦の時務は黙して止む可きに非ず、又た知己朋友の翼賛は黙して止む可きに非ず、故に今日の時務と境遇とに励まされ、一身の不肖をも忘れ、余が畢生の心願たる、この一大事業のために一身を挙げて當らんとす、願わくば皇天吾人が志を好し、願わくば世上の君子吾人が志を助け、吾人が志を成就するを得せしめよ

明治二十一年十一月
同志社大学発起人

新島  襄

京都寺町通丸太町上







◆備考
現在は、『新島襄書簡集』とは別版として『新島襄の手紙』(2005年)が同じ岩波文庫から出ています。文献学的には、この記事で俎上に載せた旧版『新島襄書簡集』は、「事実上個人編集」に近く、「恣意的な削除があったのでそれを批判検討して、新たにセレクトした96通」の書簡によって、新版の『新島襄の手紙』が編集されたとのこと。よって、今から購入されるのならば新版をお薦めします。また、Doshisha University Pressから1980年に出ている”Life and letters of Joseph Hardy Neesima”も参考になると思います。




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