英語と書評 de 海馬之玄関

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英語がお得意な貴方へ、ひとこと言っていいですか? シャットアップ!!

2010年01月12日 07時09分52秒 | 英語教育の話題


下は、あるブログ友の記事の転載です。
日本人の英語力の現状について考えさせられる。
そう思い転記させていただきました。


シャットアップ!!

仕事の接待で、とあるアメリカの大学の政治学の先生御一行との会食に出ました。
先方は10名近いグループで、先生と秘書のほか、先生の同僚、仕事仲間、そして日本人留学生を含む学生さんなど。

日本人は3人ほどいらして、ひとりは先生の仕事仲間らしい中年のひと、残りは留学生らしいお嬢さんたちでした。

後者の二人は大和撫子らしくてほほえましかったのですが、
先生の仕事仲間らしい中年の日本人女性は、外見は日本人ですが態度はすっかりアメリカ人、という感じのかたでした。

そして、正統派日本語なまりの流暢な英語で、まくしたてます。
「日本人は、自民党に辟易して政権交代を選択しました。自民党は実力じゃなく世襲で議員になる人がたくさんいましたから。今の日本の格差社会をつくったのは小泉です。取る人が全て取り、貧しい人はなにももらえない社会になりました。高校教育にも日本はすごいお金がかかります。民主党は高校教育を無料にしようとしています。」

わたくし、心の中につっこみがいくつも浮かんだのに、何も言えなかったのは、もちろん第一にはこちらが接待する側だったということもありますが、
やはり、英語の会話では瞬発力がどうしても不利、ということも理由だったことは否めません。


・・・それにしても、このかたを見ていて、思い出したのは、
ロンドンにいたときBBCニュースに登場していたグリーンピース・ジャパンの代表の日本人(名前失念)でした。

日本が調査捕鯨を開始したのを受けたものでしたが、うら若いその日本人青年は、やはり正統派日本語なまりの流暢な英語で、これが調査捕鯨の名を借りた商業捕鯨である旨をまくしてたてていました。


・・・君たち、シャットアップ!!!!


赤旗を読んでいても思うのですが、なんというか、そのスジの方々は、実によく勉強していて、そして英語のニュースソースもよく読んでおられ、つまり英語に強い。
海外へ英語でまくしたてられる情報が、かなり偏ったものになっているとしたら、
それは、中道から中道右派な人々が世界に対してまくしてたてる度合いがちょっと足りないからなのかも、という仮説を立てたわたくしでした。


【転載元: なぜかロンドンそして東京】
 http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/58031049.html 







一瞬、「あれ、これ自分で書いた記事かな」と錯覚してしまいました(笑)。

それくらい共感した記事。

本編記事のポイントは切り口次第で幾つもあると思うのですが、
英語教育屋さんとしての私的には次の3点を考えさせられました。

①日本人の英語力は(潜在的にせよ)そう低いものではない、こと。
ちなみに、プロですから当たり前ですが、私も、例えば、TOEICで950点以上のスコアは持っています。

ただ、

②英語ができるタイプの日本人の英語にはかなりクリアカットな特徴が観察されること。それは、コミュニケーションの効率を離れて(声色から表情から身振り手振りに至るまで)英語のネーティブスピーカーに近づくことが自己目的化しているのかもしれないこと。

例えば、キッシンジャー氏やリー・クアンユー氏の英語は酷いドイツ語や広東語訛りの英語だけれど、両者ともその発信する内容によって広くアメリカでも尊敬を勝ち得ている。このような事態は、日本人の英語のできるタイプの向きからは癪に障る不愉快な事柄なの、鴨。

そして、

③英語のネーティブスピーカーを、その声色まで真似るかどうかは(英語でのコミュニケーションスキル開発のため「最適投下時間」という判断を超える、ある意味)個人の美意識の問題であり、それは各自の自由ではあるでしょう。しかし、個人の勝手ですまないかもしれないことがあるのではないか。

蓋し、英語ができるタイプの日本人には、内省の契機が乏しいというアメリカ人の悪い側面と、論理的に話ができないという(特に、相対的で異質な諸価値が錯綜する場面に論理的に対処できないという)、一種、日本人の弱点とされるものを併せ持つ方が少なくないこと。要は、そんな日本人は、往々にして「日米の悪いとこ取り」になっていることです。


これら①~③を鑑みるに、蓋し、(甲)一般の日本人にとっては、「英語より国語。国語より礼儀作法が遥かに重要」であり、そして、(乙)海外と戦うのが持ち場の日本人は英語で存分に戦える英語力と論理力と歴史的知識を何が何でも身につけてもらわなければならない(ならば、声色なんぞ真似ている暇は恐らくない)。これら(甲)(乙)の2点が本編記事から演繹される、現下の日本人の英語に露呈している課題ではないかと私は考えます。

いずれにせよ、私は、自身、学部以降ドイツ語がメインだったこともあり、英語を使い始めたのは20代後半から。まして、英語教育のプロとしての修業を始めたのが30代前半からということもあり、幸か不幸か、声色まで真似る暇はありませんでした。だから、そのような凄く英語がおできるなる方々は雲の上の<女神様>だと思っていた。

で、30代の半ばのある日、アメリカの学界セミナーで、そういう女神様達が、美しい英語で全く内容的にも論理的にも支離滅裂なことを話していることを発見するに及び、驚愕。その後、立場も漸次上になり、今では私よりも若い世代のそういう女神様達が書かれたペーパーを読む機会も増え、要するに、彼等の多くが英語だけでなく日本語でも到底世界で通用しないどころか世間に出せない類の能力しか持たないこと、(カントの『道徳形而上学』流に言えば)「美しいかもしれないが、ただ残念なことに脳髄のない頭部」の持ち主であることを確信しました。

而して、

それ以来、私は綺麗な英語の発音をする方は、なるべく自分のチームには採用しないことにしています。



【参考記事】
・鳩山首相のコミュニケーションスタイルは日本人特有のも

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/6881d002420b1976e1988a60610ec9ea

・世界の名言:チャーチルが描いた「悪しき政治指導者」の意味の意味 

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fdb06ace8b69e6f536cc875aa932e8f7


・明治時代の政治家の英語力?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/cabe9aa4bcab0184771e55ae45d8fc58

・英語ディバイドという現象
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b0374fc208e1d2cbd37a24ede26dc560







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4 コメント

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「英語ができる」という表現に常々疑問がありました (ふくふきママ)
2010-01-12 20:59:43
お邪魔しております。

わたくしの勤める会社は、まだまだ英語の必要な部署は少数派です。
そのせいか、いまだに
「あの人は英語ができる」「あなた英語できるんでしょ」
という言い回しに出会い、ううううまだまだだなーと生意気にも感じる日々です。

何の分野の英語なのかを欠いた、抽象的な意味での「英語力」など、仕事上なんの意味もないのに、こういう言い方がなくならないのは、つまりいかに英語が実際に仕事に使われていないか、をよく示していると思うのでした。

英語が特殊技能でありなにか聖域のような扱いを受けて、その中身とか実用性がまだまだ理解されていないのは、やはり日本語だけでとりあえず生きていけるわが母国の幸福な環境ゆえの弱点なのですね・・・。

それは、流暢なだけで中身のない英語を乱発してきた(一部の)帰国子女たちと、そして彼女たちを無駄にほめたたえている全ての人々の責任なのだろうなと思います、やはり。。。
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初めまして。 (Shin)
2010-01-16 14:43:25
 初めまして。

他の記事はまだ拝見させて頂いていないのですが、この記事には深く共感致しました。

 私は某英会話学校で先生をしている者ですが、帰国子女であり、カナダの大学を卒業している私の会話力を、マネージャーや上司に過大評価されています。“英語力が高い”というひどく広く曖昧な表現で持ち上げられることが多いのですが、英会話教育に携わる方達でさえこのような認識であることが残念だと思います。

 私の専攻は心理学であり、クリティカル・シンキングなどの授業も受けたため、日本語を話す時や英語で論文を書く時などは論理的思考ができていると思います。しかし英語で友人と話す時は、ご指摘のように、内容的に薄く、論理性に乏しい話しかできません。
今回の記事を読んで、それが私だけでなく、英語を使う日本人全体の課題だということを認識しました。
 発音や流暢さのような外見ではなく、中身の詰まった英語を使えるように精進したいと思います。
興味深い記事、ありがとうございました。
返信する
英語が苦手でも困らない素晴らしい国 (KABU)
2010-01-19 04:48:15
ふくふきママ女史>

お世話になっています。これは最早「通説・判例」なのだと思うのですが、「日本人が英語が苦手」と言われる現象は、①都市伝説にすぎない、ただ、②現象面でそう見える場面が確かにあるとしても、それは「大分の日本人にとって英語ができなくても生きていくのに困らない状況の存在」がその原因である、と。

そう私も考えています。実際、米国大学院留学者において日本人のGPAはどう見ても悪いグループではないし、②との接点の現象ですが、およそあらゆる学問・情報の領域で世界の主要な長作には邦訳が出ていることを想起すれば、①は明らかでしょう。

ならば、過去の英文法・英文和訳中心の英語教育の悪影響などではなく、端的に必要がないから英語をやらないという②も十分な説得力を持つ。

ただ、残念ながらそういう「国民の大多数が英語が苦手でも困らない素晴らしい国」では日本もそろそろいられなくなってきているのも事実。それを考えれば、逆に、センター試験の英語を見てもコミュニケーション中心で英文法と英文読解(≒語法+構文+ボキャブラリー)がおざなりにされている現在の我が国の英語教育の現状には私は強い危機感を抱いています。この英語系ブログを運営しているのも、この危機感が一つの理由です。
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いらっしゃいませ (KABU)
2010-01-19 04:54:06
Shinさん>

コメントありがとうございます。昔、帰国子女の進学準備機関(上智+ICU, かっての帰国子女枠, 海外留学)の総合ディレクターをしていたこともあり、また、彼等の就職ガイダンスも行っていた経緯もあって、コメントしみじみ共感できます。

本編記事にあるような経緯からか、日本では英語というか「英会話=秘儀」の如く扱われている節がなくもない。それは、逆に、英語を日常的にしかも(英語を道具としてではなく、目的として扱う)英語教育業界ではパラドキシカルながら一層顕著なのかもしれませんね。自戒を込めてそう思います。今後ともよろしくお願いいたします。
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