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<アーカイブ>海馬之玄関推奨--国内10大学--

2018年12月05日 05時54分55秒 | 教育の話題

 

2014-2-26

 

昔、英米大学院の留学予備校で勤めていた頃、顧客である都市銀行とかの企業人事部の方によく聞かれた質問があります。それは、例えば、「ハーバードがアメリカの東大だとすると、シカゴ大学は早稲田ですかね、それとも、大阪大学ですかね」という類の質問。

顧客の前で爆笑するわけにもいかず、そんなときは、質問者が期待する方向で、有意味な事実認識のストライクゾーンぎりぎりで大体こう返答をしていました。例えば、「そうですね、シカゴは阪大で、スタンフォードが京大、コロンビアが早稲田、NYUが明治っとこでしょうか」とかとか、と。

神様ごめんなさい。神様はご承知の通り、
この返答はなんの根拠もない単なる音声の連続でした。;


土台、非対称どころか、トポロジー的に見ても構造を異にする、ある国の大学群と別の国の大学群を対応させること自体が無意味。すなわち、国によって大学の歴史も違えば、国によって<大学>に憑依している権威や実利も全然違う。東大がどんなに狭き門であれ、そう、例えば、シンガポールのシンガポール国立大学と南洋理工大学の門の狭さに比べれば赤門どころか<大門>でしょう。それは、フィリピンにおけるフィリピン大学でも同様。 

ただ、人間、何か知らないことを理解するとき、自分が既に知っていることと対応させれば理解も早く、心も安らかになるということは--蓋し、<解釈>の営みというのはすべからくそういうものでしょうけれどもね--私にもわかる。だから、神様にはごめんなさい、ですが、嘘も方便でそう返答したものでした。閑話休題。



 


【防衛大学校卒業式】



さて、合格通知もおおよそ出揃ったのでしょうか、あるブログ友から「KABUの推奨する国内の大学を幾つか挙げて欲しい」と言われた。うみゅー、困った、鴨。だって、いろんな大学にしがらみあるから。でも、ブログといえども客商売。なんとか<お客様のニーズ>には答えたいと思います。

而して、しがらみがある以上、個人のブログのお遊びとはいえ「評価基準」は明確にするしかない。ということで、考えたのが--だって、「偏差値」という名の素人による人気投票数値は皆さんご存知でしょうから--次のような基準です。 

①多様かつ優秀な人間に遭遇できる蓋然性
②社会的な影響力-より低コストでいろいろな<世間>を知りうる蓋然性
③入学時に比べ卒業時により能力開発できる蓋然性
④卒業時のその大学に対する満足度が高い蓋然性
⑤日本社会に対する独自の貢献度-代替可能性の低さ


もちろん、これらは学部レベルに対するものであり、大学院での研究とかは--分野が違えば、そう例えば、ある東大教授は自分の東大生の娘さんに東大の大学院を薦めなかったくらいですから--まったく別物です。けれどね、あのー、大部分の学生は日本であろうとアメリカであろうとそう勉強はしてないんですよ。研究レベルから見ればですけれども。ならば、研究水準という、ある意味、わかりやすい指標のある大学院はさておき、学部レベルではこのような評価基準が曖昧だけれども適切ではないか。と、そうわりと真面目に考えました。

だってねー、昔、MITとシカゴ大学、そして、ウォートンスクール(ペンシルバニア大学MBA)のMBAのアドミッションディレクターから異口同音に同じこと聞きましたもの。それは、つまり、一般論として、ある学生が「うちのMBAに入って獲得できる能力や体験の20%は我々大学側が提供する。けれども残りの80%は学生同士が吸収しあってもらわなければならない」、と。ならば、研究水準とかよりも別の指標がより学部レベルの大学選択には必要なのではないか。と、私はそう考えるのです。つまり、<大学>とは情報と体験を交換流通する<メディア>なのだということです。 

尚、最後の基準、歴史的に蓄積された、かつ、現在進行形の⑤「日本社会に対する独自の貢献度-代替可能性の低さ」は、結局、生涯にわたって<本人>のプライドを支える要素だと思い入れました。ということで結果発表。ちなみに、順位には特に意味はありません。また、①~⑤の評価にはKABUの好みが各項目、そう100点満点で75点ほど加算されることはいうまでもありますまい。


 


【津田塾大学キャンパス、ほんと、いつも綺麗で凛としている】



【海馬之玄関推奨国内10大学】 

・東京大学
・京都大学
・早稲田大学
・同志社大学
・防衛大学校
・津田塾大学
・東京女子大学
・日本大学
・熊本大学
・東北大学


東京大学については②「社会的な影響力」はもちろんですけれど、逓減してきたとはいえ④⑤の「卒業時のその大学に対する満足度」と「日本社会に対する独自の貢献度」が大きい。しかし、実は、東大の最大の魅力は①「多様かつ優秀な人間に遭遇できる蓋然性」なの、鴨。あんまり、好きな大学ではないけれどそう思います。だって、ここの学生みんな知ったかぶりさんなんだもの。 

而して、京都大学は①~⑤のすべてで高得点。文句なくの10位入賞。逆に、①~⑤のすべてでパーットせず入賞ぎりぎりだったのが、早稲田大学と東北大学。なんかいつのまにか<普通の大学>になったね、というとこ。特に、東北大学は、そう、新幹線が八戸あたりまで通じた頃から年々<普通の大学>になったような気がします。 

畢竟、同志社大学と防衛大学校、および、津田塾大学の入賞は大方文句はありますまい。はい。⑤「日本社会に対する独自の貢献度-代替可能性の低さ」がぬきんでている上に①~④のすべてでほぼ合格点ですものね。尚、津田塾大学については下記拙稿も併せてご一読いただければ嬉しいです。 


・書評☆古木宜志子「津田梅子」(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b321120a98e4219e5e52525d85d35097 



さて、なんで日本女子大ではなく慶応大学でもなく東京女子大学を選んだのか。簡単です。これまた、歴史的に見た場合の⑤「日本社会に対する独自の貢献度-代替可能性の低さ」で他校に比べてスコアが上回ったから。そして、日本大学を選んだのは、その規模の大きさ--人脈の広がり--は当然として、④「卒業時のその大学に対する満足度が高い蓋然性」が高いと日頃感じているからです。あんまり、言いたくはないけれど、例えば、明治大学とか東海大学の卒業生の中には自分の出身大学を口にしたくないという傾向があるのに比べて、日大の卒業生は全然違うものね。「うち、これでもな、ポン大卒やねん、ええやろー」、と。 

最後の入賞は熊本大学。これは本当は千葉大でも広島大でも、岡山大でも山形大でもどこでもよかったのですけれど、<地方国立大>の代表として入賞。地方国立大は、流石に、①「多様かつ優秀な人間に遭遇できる蓋然性」では劣るものの、他の、②~⑤ではすべて安定したスコア。特に、その<地方>を文字通り支えるという意味での、⑤「日本社会に対する独自の貢献度-代替可能性の低さ」では選外大学とは隔絶していると思います。 

残念ながら総合大学とまではまだ言えず、①「多様かつ優秀な人間に遭遇できる蓋然性」で致命的なので選びませんでしたが、国際大学の教育と心意気はすばらしいと思います。そして、次点ぽかったのが、上智大学と関西大学と大阪大学、北海道大学と首都大学東京と立命館大学。あるいは、・・・。 

ちなみに、絶対入ってはいけない大学は・・・。


以下、自主規制。


 


【東京女子大学】



最後に一言だけ付け加えておきますね。それは、 

それは、 

それは、正直、学部レベルの大学選択なんかどうでもいいのですよ。よって、入学する自分の気持ちの方が「この大学が最高!」というマインドセットになれば、進学する大学の違いにかかわらず、より多くのことを<大学時代>に学べるのではないでしょうか。そして、なにより、一度入学したら自分の大学の制度や施設をどんどん利用しましょうよ、ということ。

数年前、首都大学東京の法学部の新入生が、速攻で退学して私が関係していた機関を使いその秋にはアメリカ留学した。彼女が退学した理由は、おおよそ、「講義の後に教授に質問にいったら、「そんなことはまだ考えなくていいから、この1~2年は基礎を学びなさい」と言われて、あっー、教育を放棄している!」と感じたことらしい。アメリカの大学は厳しいけれどきちんと教育をしてくれるだろう、と。 

けれど、私はこの先生はものすごく適切なアドバイスを--残念ながら、今どきの子には通じない<言葉>で--言われたのだと思います。あのー、まだ魚を三枚にもおろせない人に、鱧尽くしの作り方のTips聞かれたらどう答えますか。あるいは、ランニングで1キロも完走できない人に、駅伝の最終区ランナーの走り方のTipsを質問されたら・・・。はい、それは、「そんなことはまだ考えなくていいから、この1~2年は基礎を学びなさい」と言うしかないのではないでしょうか。実は、アメリカでもこれは同じです。ただね、彼の地では今どきの子にも通じる<言葉>でそう言うのですけれども。 

実際、昔、京都大学のある教授は、ご自分が目をかけていた--4回生(←関西では、学年のことを「1年生とか2年生」ではなく「1回生とか2回生」と呼びます)の--学部学生が、3回生配当の自分の講義に2回生の彼女さんと出席しているのを見咎めて、「おまえら! こんなとこで遊んでないで、図書館なり下宿で勉強しろ!」と一喝されたらしい(実話です)。 

要は、勉強は<自分>でするものだという哲学。蓋し、大学は--もちろん、トレーニングジムでもある反面・半面--そういう所でもあるということでしょう。ジムでありメディアである重層的かつ多義的な両義的存在。そして、この経緯は、実は、日本でもアメリカでも、首都圏や関西でも九州や北海道でもあまり変わらないの、鴨。と、私はそう思います。ちなみに、この経緯については、下記拙稿を併読いただければ嬉しいです。 


・衛星放送型通信教育☆サテライトの思想的可能性 
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11181538604.html 

・ピグライフは勝れものの「マネージメントスキル開発ツール」かも(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11421300439.html



畢竟、パスカルが、「神が存在すると信じても良いことはあっても悪いことはない。それに対して、神はいないと思い込むとろくなことはない--悪いことはないが良いこともない--、ならば、論理的に考えて<神の存在>は文字通り、good news(福音)ではないか」とかなんとか述べたのと同じ理屈。大学に入学したら「自分の大学が最高!」と思うことが合理的な行動選択である。と、そう私は考えています。 

ということで、<あなた>の大学選択の範囲とは、位相を異にするかもしれない大学群--ある意味、別の国の大学群--を念頭にこの記事は書かれたとも言える、鴨。つまり、<あなた>が進学する大学とここに挙げた大学の比較は無意味ということ。だから、ご自分が進学される大学を「最高!」と思えるためのロジックを幾らか本稿が提供できたなら嬉しいです。


日本のため、そして、結局は自分のため、
自分のため、実は、究極的には日本のため

頑張ってください。





共に闘わん!

 

 

以上

 

【MV】僕たちは戦わない Short ver. / AKB48[公式]・・・「日本」を頑張る、のイメージ




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