「憲法無効論」というのをご存知ですか。ここで言う「憲法無効論」とは、現行憲法を無効にすべきだと主張するのではなく、現行憲法は今でも<憲法>としては無効であり、旧憲法が今でも<憲法>として有効なのだと説く主張。つまり、憲法改正限界論-「主権論・憲法制定権力論」-憲法の概念論-国際法と国内法の関連と優位劣位の考究等々の、憲法総論や法哲学、および、国際法の研究水準と伝統を踏まえた<真面目な法理>として現行憲法の<憲法>としての効力を吟味検討する議論ではなく、旧憲法が現在でも「実定憲法=現行憲法」であると強弁する、謂わば「八紘一宇型の憲法無効論」のことです。而して、それは、
・旧憲法75条(「摂政の置かれている間は憲法改正はできない」)の類推解釈
・ハーグ陸戦条約違反(「占領下では新しい法律の制定や改正はできない」)
・現行憲法の「改正」プロセスにおけるGHQの「圧力」の存在
・「旧憲法→現行憲法」の「改正」は憲法改正の限界を越えた「改正」であること
・ポツダム宣言(+所謂「バーンズ回答」)違反
等々を理由に現行憲法は<憲法>としては無効だ、とする考えです。
この主張の代表的論者(というか実質、唯一の論者)南出喜久治弁護士の著書、『占領憲法の正体』(国書刊行会・2009年)を読みました。その結果は・・・。
はい。蓋し、憲法無効論は不毛ではないが無効である。すなわち、「それは法律論としては笑い話だが、現行憲法のいかがわしさを知る上では良書」かもといった所。例えば、小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書・2006年)などの非論理に対する解毒剤としては、それと同じ程度の非論理性の本書はちょうどよいくらいかも。
本書で挙げられている現行憲法の「無効理由」なるものは、それがすべて事実であり真だとしても現行憲法が<無効>であることを主張できないものです。要は、「人を殺したる者は」→「死刑・無期若しくは三年以上の懲役に処す」という関係を、「法律要件」→「法律効果」の関係と呼ぶとすると、本書の挙げる「無効理由」は「法律要件」ではあるとしても「法律効果」をともなっていないからです。例えば、旧憲法75条に違反した憲法の改正が「無効」になるとは何を根拠に言えるのか。この論証が本書では欠落している。
土台、(「改正」された憲法が最高法規として機能している限り)旧憲法に違反する憲法の改正は、単に、新しい憲法の制定がなされただけのこと。実際、現行憲法が旧憲法の「改正手続」を儀式のアクセサリーとして使用して行なわれた「新憲法の制定」であると(要は、旧憲法からの正当化を新憲法は求めていないと)考える、通説・実務からは本書の主張は痛くも痒くもない笑い話(笑)。
加えて、著者が使う(尾高朝雄氏から借用した)「法の妥当性」という言葉の意味も尾高氏や法哲学研究者のコミュニティーで一般に使用される意味とは全く異なり、また、「交戦権」という言葉の意味も「八月革命説」の内容理解も一般に憲法-国際法の研究者コミュニティーで語られる意味とは異なる、ほとんど著者独自のもの。
更に言えば、現行憲法は「9条で「交戦権」を放棄しており、交戦権に含まれる講和条約を結ぶ権限が日本政府にはないはずだ」→「SF平和条約等の講和条約が結ばれた」→それは旧憲法の「講和大権によるもの」→旧憲法が「今でも現行憲法だ!」という著者の主張は、「戦争=戦時国際法が適用される状態」「休戦条約=戦争状態を終結させる条約」「講和条約=先の戦争に起因する賠償・戦争責任の確定・領土の変更等々を一括処理するための条約」「交戦権=戦争を行なう権利:戦争状態に入る/戦争状態から出る権利」という国際法上の一般的な用語の定義を考えただけでもそれはそれこそ噴飯ものの主張です。
こう見てくれば、(左右、保革、英米系-大陸系を問わず)本書が扱う論点に関係している、憲法-法哲学-国際法の専門研究者の誰一人本書の主張を支持していないこと。否、本書の著者がそんな専門研究者の誰からも相手にもされていなことは当然でしょう(笑)。
要は、あるラーメン店が「ラーメン大学」と名乗っていたとしてもそれが<大学>ではないが如く、「日本国憲法」が「憲法」と称しても<憲法>ではないという彼等の論法は破綻している。
蓋し、「ラーメン大学」が<大学>ではないのは、教育機関としての<大学>の定義を定めている関連法規から見て言えること、あるいは、<大学>という用語を巡る国民の常識に照らして言えること。ならば、「現行憲法」が<憲法>ではないと言いたいのなら、<憲法>の定義と、誰がその判定を行なう有権解釈者であるかを根拠を挙げて明らかにすべきでしょう。
それをしない所謂「日本国憲法=ラーメン大学」論は単に自己の認識の告白にすぎない。「ラーメン大学が<大学>でないのと同様、現行憲法は<憲法>ではない。なぜならば、私(=南出)は、ラーメン大学が<大学>でないのと同様に現行憲法は<憲法>ではないと思うからだ」、という類のね。
要は、憲法無効論は「現行憲法の正当性」のいかがわしさを暴露しており、而して、彼等が挙げる「無効理由」は現行憲法のいかがわしさの「理由=根拠」ではあるが、それらは、現行憲法を<無効>にする「理由=根拠」ではなく、まして、それらは旧憲法が現在でも<現行憲法>の効力を持つことをなんら根拠づけるものではない。実際、旧憲法が<現行憲法>であるのなら、その実定憲法性は(現下の付随的司法審査を通しても、つまり、具体的事件を解決する訴訟を通しても)司法判断できるはずですが、彼等はそのような訴訟を起こすつもりはないようですから(笑)
ただ、著者の地道な「布教活動」により、現行憲法の出自のいかがわしさが更に広く具体的に世に知られることになるかもしれない。ならば、憲法改正を目指す我々には(笑い話にせよ)本書は好ましいものかもしれない。
法律学的には「憲法無効論」など相手にする実益も暇もないのですが、このトンデモ論は護憲派の思考様式を炙り出す上での<触媒=補助線>としては使えるかもしれない。また、基本的人権・国民主権・平和主義は現行憲法の根本規範であり、それらは現行憲法96条の改正手続によっても廃棄することはできないとする(通説たる)護憲派の一部が唱なえる「憲法改正限界論」に対しても、それらを修正することも(同96条に基づく「改正手続」を儀式のアクセサリーに用いて、「新たな憲法の制定」を行なうことで、合憲的ではないが)法論理的には可能であること。このことを我々改憲派が確認する上でも本書は<叩き台>としては使えるかもしれない。そう思いました。
尚、「憲法改正」を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。集団的自衛権の政府解釈の修正、そして、憲法改正の実現に向けて頑張りましょう。
・憲法無効論の破綻とその政治的な利用価値-憲法の破棄もしくは改正を求める立場からの素描(上)~(下)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65362366.html
・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html
・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241