烏丸久美子は完全に言峰綺礼であり
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それ以上に「友奈」という存在は衛宮士郎だった
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善悪の天秤ってそういう…
烏丸久美子、横手茉莉、高嶋友奈
この三者は全く交わることのない組み合わせだというのが良かった
烏丸久美子と高嶋友奈は対極に位置する存在であるとともに、同質の存在でありベクトルが違うだけの存在でもある
このあたりがまさに、言峰と士郎の関係性と同じ
茉莉は高奈と同じ属性の存在であるように見えて、大きな隔たりが存在する
どこまでも一般人だった茉莉
今回のかくみにより、勇者であるシリーズに登場する勇者や巫女が「異常者」の集まりであったことが露呈した
一期の頃からは結城友奈も「だって私は勇者だから」に見られるように
一部ではエミヤ系女子だとか言われていた
今回、混沌とする世界を必死で生きる一般人を描く事により、どれだけ友奈の生き方が「外れている」か浮き彫りになった
芙蓉友奈は勇者でないは平穏な世界を舞台にした一般人の生き方を描いた
一方、烏丸久美子は巫女でないは混沌とした世界を舞台にして一般人の価値観を描いた
面白いことに、高嶋友奈の本心が烏丸久美子は巫女でないでは描かれていない
高奈という人間の考えは、のわゆ内の描写にて汲みとれということだろう
だけど、高奈の生き方っていうのは実はシンプルだったりする
自分が傷つくよりも、他の誰かが傷つくことが嫌だ。と嘆く
ただの普通の女の子
だけど、それは「普通に」考えたら異常なのである
そんな生き方はフィクションの中でしか存在しない
ある意味、そうあるべきとして容認されて
それが当然だと受け入れられている
ヒーロー漫画のヒーロー性にメスを入れにきたのがかくみである
しかも、高奈のヒーロー性は特に異常である
自分を犠牲にしてでも、誰かを助けたい。という考えは、その「誰か」が家族や友人や恋人であるなら
ある意味、当然な考えとも言える
友達を助けるために自分を犠牲にするのは、言ってみれば「普通」なのである
横手茉莉がその普通の体現者
高奈が異常であるのが、誰かを助けるの範囲が
見ず知らず、手の届く範囲外。自分には見えない範囲にまで及ぶところである
もはやそれは人間といえるのか?
フィクションの登場人物の思考として考えるなら、まぁそういう考えもアリか。で終わらせる事もできる
だけど、勇者であるシリーズの常として登場人物の価値観や思想はリアリティに基づいた設定で組み立てられており
友奈以外の勇者は心理描写に納得のいく描き方が多いけども
友奈はちょっと常軌を逸しているのではないか
いやいや、友奈だって普通の女の子なんだよ。というフォローのもと作られたのが実は2期ではあるものの
二期では「無理せず自分も幸せであること」が結果的に自分と相手の幸せに繋がるのだと気付けた友奈ではあるが
かくみを通して、改めて友奈という人間の奥深さ
構造の深さが垣間見えることになりました
人類愛という簡単な言葉ではとても片付けることはできない
それはそうと冒頭の斜体で書かれてたアレが気になるが、アレはつまりそういうことなのか…!?
それとも上里ひなたに協力して暗躍して、その末に死ぬことになるのか
後者なんだと思います…
結局黒シャツの男や茶髪の女はどうなったのだろうか。
単行本化される時のオマケ小説か何かで明かされるといいな。
幸福の王子のテーマ性が不明瞭にも感じました
たぶん単行本化に伴い、冒頭の烏丸先生散華(物理)が掘り下げられる?
まさかの茉莉ちゃんにniceボートされる疑惑もありますが、ひなたの手足になって障害を排除しているうちに恨みを買って復讐にあう。とかが王道?
改めて見るとシンフォギアのクリスの姿がある意味大赦に入ることになった世界線の茉莉なんじゃないかなとも、XDの並行世界のクリス見てるとそう感じることが多々あります。感情が高ぶる特徴が乱暴になる点とか特に。
それ以上に久美子の友奈への言葉を聞いてシンフォギアで弦十郎が響に対していった「歪」や了子の言った「こちら側」強く思い出しました。
響の場合その精神性に内包する歪さとその理由が描写されてるから分かりやすいけど、高嶋に関してはそれがないから推し量るのも難しいからなおのこと歪さを感じるんですよね。
正直それらが今後明かされることはないのかなと感じてます。
高嶋さんの掘り下げはもしかしたら三期である?
三期でのわゆが描かれなかったとしても、高奈と若葉様は神樹(牛鬼)と若バード絡みで登場しそうな気はします