女性専用車両反対派や痴漢冤罪厨は、いつになったら『男の敵は“男社会”』だと気がつくのか?

女を叩いても、長時間労働や男らしさの押し付け問題は解決しない。悪因は男性主体の競争社会。管理職の9割は勝ち組男。

(耕論)女性阻む、硬い天井 宋美玄さん、中村高康さん、木村忠正さん

2018-09-25 16:21:37 | ジェンダー問題

朝日デジタルより

(耕論)女性阻む、硬い天井 宋美玄さん、中村高康さん、木村忠正さん
2018年9月19日05時00分
 
女子の入学者数を抑えるため、一律に入試の得点を減点していた東京医大問題。表だって男女差別を認める人は少ないのに、何が「コンクリートの天井」となり、女性を阻むのか。
 
 ■抜け出せぬ役割分担意識 宋美玄さん(産婦人科医)
 性別や国籍への差別は存在するけれども、点数は裏切らないと思って育ちました。コンクリートの天井があるのもわかっていたけど、それでも女性でも、勉強すればなれるのが医者だと思っていました。それだけに、裏切られたことがショックです。
 得点操作に理解を示す医者がいますが、容認しているわけではないと思います。限られた人数での仕事に疲弊し、無力感から現状を変えられないと感じている。今の状態を諦めての発言だと思います。
 20代のころの私も、24時間態勢の産科医療の現場で働きながら、「産休や育休による人材減少を防ぐには、女性の医者は1割ぐらいに抑えた方がいい」と思っていました。周りはみな仕事と生活で燃え尽きていました。毎日降りかかってくる仕事を前に、「きれいごとを言っている場合じゃない」と考える気持ちはよく分かります。
 しかし健康面での「弱者」が来るのが医療現場です。様々な背景を持つ患者の気持ちを理解し、健康を守るには、医者も多様な人材であった方がいい。健康で、いくらでも働けるマッチョな人しか診る人がいないのは困ります。
 男性にも女性にも、色々な人材がいます。「女性にはこれが向いている」とか、一律に性別で分ける議論はしないようにしています。子どもの世代にも、こうしたジェンダー意識は植えつけたくないと思っています。
 それでも私自身、役割分担意識から抜け出せていない部分があります。たとえば医者同士が結婚し、夫の海外留学に妻がついていく例はよくありますが、その逆はあまり聞きません。みんな「おかしい」と思っているけれども、実際はそうなっている。我が家も夫が医者ですが、子育てを主に担うのは私で、夫は時間があったときだけかかわるという形です。
 こうした社会の現状を変えるには、男性がもっと育児休暇を取ることです。男性が育児や家庭に関わることで、女性にも男性にも「仕事と私生活を両立しなくては」という意識が育つ。子育ての負担が女性に偏っているから両立が課題となり、「女性は使えない」と言われてしまう現状はおかしくないでしょうか。
 昔はもっと低い所に「天井」があったと思います。「そんなものかな」と諦める雰囲気の中、いい意味で空気を読まない人たちが、子育てを諦めてでも男性社会に進出し、その下の世代が少しずつ道を広げていったのです。
 男性が重用されるのは、長時間労働に何十年も耐えてきたからです。そういう価値観で人を採用している組織を、若い人は避けて欲しい。日本社会が変わらなければ、優秀な人材はどんどん海外に逃げていくでしょう。
 (聞き手・湊彬子)
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 ソンミヒョン 1976年生まれ。丸の内の森レディースクリニック院長。女性の健康についての発信を続けている。
 
 
 ■能力の評価、恣意的に変化 中村高康さん(東京大学教授)

 能力というのは、厳密にはかったり比べたりするのが難しいものです。能力の定義は社会状況に応じて変わり、能力があるかどうかの判定にはあいまいさや恣意(しい)性がつきまとうからです。はかるのが難しい能力を、はかろうと無理をする時、そこに「差別」が潜り込む余地が生まれます。
 東京医大は入試で、受験生の将来の生き方や働き方まで判定しようとしました。医療の世界では「長時間働けて辞めない人材が医師として能力がある」という考え方もあり、それが入試でも物差しとして使われました。
 けれど受験時点で、将来の出産や退職などわかるわけがありません。そこで「女性は出産をきっかけに辞める例が多い」といった過去の事例にもとづき、一律に女子の得点を下げました。「Aという属性の人は能力がある(ない)確率が高かった」という経験に基づき人を評価する、「統計的差別」の典型例です。
 子育て中の女性医師が辞めたり早く帰ったりする様子を間近で見たことがあると、こうした判断に一定の合理性があると納得してしまいます。彼女たちがよい仕事をしたケースもたくさんあるはずですが、そこは注目されません。
 能力の判断は、特定のコンテクスト(文脈)に縛られています。たとえば労働問題を語る場では、「『子どもがいる女性』は勤続能力が低い」とみなされがちです。一方、国会議員の「生産性がない」発言が話題となりましたが、そもそも少子化という問題の前では、子どもがいるというだけで人を高く評価する視線さえ生まれます。このように、能力の評価は非常に恣意的に変わるのです。
 たとえば、医師でなく受験生や親の立場なら減点をどう思うかなど、異なる視点を想像してみましょう。それによって、自分とは異なる能力観を踏まえた建設的な議論が生まれやすくなると思います。

 今気になるのは、権力を持つ人が、鋳型にはめるように能力の判定基準を一方的に決めつける空気です。現在進行中の大学入試改革にもあてはまることです。東京医大の問題では、識者や医師の一部から「そんなに悪いことではない」という意見が公然と出たこと自体が、社会の雰囲気を示しています。それを容認するのは、「現実を考えれば仕方ない」と、あたかも男子優遇を医師不足の新たな解決策のように考えてしまうからですが、昔からあった差別を持ち出しているに過ぎません。
 人を選抜するという行為にはコネや主観が入り込みやすく、公平性の手綱を少しでも緩めると、すぐ隙ができてしまうものです。公平という価値は、先人が勝ち取り、築いたこの社会のインフラです。一度捨てたら簡単には取り戻せないと認識すべきです。
 (聞き手・高重治香)
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 なかむらたかやす 1967年生まれ。専門は教育社会学。入試や高大接続に詳しい。著書に「暴走する能力主義」など。
 
 
 ■弱者への批判と同じ構造 木村忠正さん(立教大学教授)
 私は、ツイッターや掲示板、ニュースサイトのコメント欄などに掲載されている数百万にのぼる投稿を分析し、いわゆる「ネット世論」について研究しています。今回の東京医大の問題も、得点操作が報じられた8月2日以降、ネット上の言論空間で発せられたさまざまな意見に目を通しました。
 医療現場の現状など問題の根深さを考える内容が目立ちましたが、中には女子大の存在への異議や、入試で女性枠は認められているのに、男性を優遇する得点操作を許さないのは「男性差別ではないか」という趣旨の投稿もありました。女性への優遇措置だけが社会的に認められているのはおかしいという、男性からの「逆批判」と言えます。
 女性に向けられたこうした批判は、ネット空間で「生活保護」や「LGBT」「沖縄」「障害者」など、社会的弱者や少数派へ向けられる批判やいらだちと同様の論理構造です。根は同じところにあると思います。
 ネット世論は保守的傾向が強いとされますが、「嫌韓・嫌中」を、憎悪に近い過激な言説で繰り返し投稿する人は投稿者の1%もいません。むしろ、ネット世論に通底する主旋律は、弱者や少数派が立場の弱さを盾に取って権利を主張し、利益を得ていると考える層が形作っています。いわゆる「弱者利権」へのいらだちや違和感です。
 私はこれを「非マイノリティポリティクス」という概念で捉えています。マジョリティーだがマジョリティーとして満たされていないと感じている人々が、彼らなりの「正義」や「公正さ」を求める現象です。彼らは仕事や家庭、生活で困難を抱えていても、女性や障害者のように自らを「弱者」と表明できず、そこに違和感を感じています。
 一般的に、リベラル的な公正さは平等や人権に象徴され、社会的弱者や少数派への優遇策や配慮につながります。しかし「非マイノリティ」が考える公正さは「数に応じた比例配分」や「因果応報論」「伝統・秩序の尊重」と結びつきます。LGBTへの配慮に疑問を呈した杉田水脈議員のような主張は、心情的に浸透しやすいのです。
 彼らの投稿を読むと、極端な感覚をもつ人々ではないことがわかります。しかし「女性専用列車は男性差別だ」と主張するとき、痴漢犯罪に苦しんできた女性へ想像力が向かうことはありません。
 社会が積み重ねてきた少数派への配慮の記憶を失うと、秩序や権威への服従が進み、「目には目を」といった地が現れてきます。こうした流れを止めるためにも、ネット世論を特別視するのではなく、理解を深めながら、公論の場を形成する言葉が必要とされていると思います。
 (聞き手・中島鉄郎)
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 きむらただまさ 1964年生まれ。専門はネットワーク社会論。「ハイブリッド・エスノグラフィー」を近く刊行。

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