じょじょりん文庫

読書好きで雑読。ゴルフ好きでへたくそ。
気の向くままに本ネタとゴルフネタを書かせて頂いています。

麗しの皇妃エリザベト ジャン・デ・カール

2008-09-09 | 伝記
麗しの皇妃エリザベト―BIBLIO人物 (中公文庫BIBLIO)
ジャン・デ・カール
中央公論新社

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絶世の美女として有名だった、19世紀末のオーストリア皇后エリザベトの伝記です。出版自体は古い本ですが、学生時代に愛読しました。
私の一番の憧れの女性です。
ウィーンに行かれたことのある方は、たぶんホフブルグやシェーンブルン宮殿などで、髪に星の飾りをつけたエリザベトの肖像画をご覧になったことがあるかもしれません。
たいがい、昔の女性の肖像画は言われるほどそう美人と思えない場合も多いのですが、写真も残っているエリザベトはまぎれもない超美人です。

エリザベトは1837年にバイエルン公の次女としてミュンヘンで生まれます。
父はバイエルン王家の分家ですが、母はバイエルン王の娘でした。
ノイシュバンシュタイン城を建てた有名なバイエルン王ルートウィヒ2世は、エリザベトからするといとこの子に当たります。
夫となるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフは、エリザベトの母の姉の子供で、いとこに当たるのですが、もともとはエリザベトの姉と縁談がありました。ところが皇帝は、姉ではなくお見合いの場に同席したエリザベトと結婚したいと言いだし、15歳のエリザベトは自分の意思に関わりなく、皇帝の花嫁になります。

結婚してウィーンに住むようになると、伯母であり義母である姑と対立し、姑が亡くなるまで約20年にわたり対立し続けます。子供もしつけと称して姑のところに取り上げられて、生き甲斐を無くしたエリザベトは耐えきれなくなって、宮殿から逃げ出し、旅から旅へと放浪することになります。
夫婦仲は悪くなかったのですが、世の常で皇帝は母親には頭が上がらず、その意味で妻を救えませんでした。

エリザベトは奇矯な振る舞いで有名ですが、姑との軋轢がその原因の多くを占めていたことは明らかです。
エリザベトは、強烈なナルシストで、美しくあることや痩せることに命をかけていて、1日の食事はオレンジ7個だけ。
身長170センチ、体重50キロ、ウエスト50センチというのは伝説になっています。以前、何かの展覧会で、エリザベト使用のベルトが展示されていましたが、本当に50センチくらいでしょう、誰もこんなの入りません、って感じに細かったことを思い出します。
四六時中運動をしていて、家の中に吊り輪もありました。何も食べずに60キロ近くを1日かけて歩き通したり、エキセントリックであったことは間違いありません。

姑が亡くなってからも、放浪は続き、その間息子である皇太子ルドルフがマイヤーリンクで亡くなって(自殺か他殺か謎になっています。映画にもなりました「うたかたの恋」)落胆したようですが、エリザベト自身は結局1898年にスイスで暗殺されます。

夢のような美貌の影に隠れた常軌を逸したダイエットや、皇后という地位の影に姑との壮絶バトルがあったり、私はエリザベトのそのギャップに惹かれてしまいます。
美人好きの方は、ぜひ。

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